一生懸命奉仕していても結果がみえないとき

私が宣教の地で奉仕する中で、いちばんつらく感じるのは、
故郷恋しさ以上に、今やっていることが不毛に思える――そういう
思いにおそわれる時です。

特に、心を込めてお世話した方々がいともかんたんに私たちを
見捨てて去っていくとき、またそういう方々の言動が「誠実」とは
程遠いところにあるように感じるとき、私の心はしなえ、「いったい
ここにいる意味があるのだろうか?」と脱力感をおぼえてしまうときが
あります。

「見るところによってではなく、信仰によって歩んでいる」はずなのに、
いや、そうあるべきなのに――、できることなら見るところによって歩みたい、
現金な人たちではなく真剣な信者や求道者が増えるのを見たい、自分たちの
蒔いた種が、道ばたでもなく岩地でもなく、いばらの中でもなく、良い地に落ちて
実を結ぶのを見たい――、そう願う自分がいます。だから、そうじゃない現実に
ぶつかるとき、私の心はぐしゃんとなってしまいます。

広大な土地を、大型ブルドーザーでがんがんパワフルに耕していけたら、
進行状況もわかるし、仕事はずいぶん楽になるのかもしれません。

でも、主が私に渡されたのは、一つのちいさなスコップでした。

そしてこのスコップで、与えられた小さな場所を、すこしずつ、すこしずつ
掘り起こしていくよう、そしてそこに種を蒔いていくよう、主は私に求められました。

しゃがみこんで、すこしずつ掘っていきます。

容易に掘れるやわらかい土地もあれば、
何日かかっても1センチの深さにもとどかない、カチカチの場所もあります。
そういったカチカチの場所がつづくときもあります。

また、一見やわらかそうに見えたのに、いったん掘りはじめるとそうじゃなかった、
そんなクセモノの土地もあります。

そういう時、手も心もつかれます。

そうかと思うと、思いがけず、肥えた場所に行きあたることもあります。

いち、にっ、いち、にっ、、、、
毎日、地道に掘り起こしていきます。

いい時も、わるい時も、掘り起こしていきます。

ふと目を上げると、青空がひろがっています。
水分をいっぱいにふくんだ雲もうかんでいます。

空を造られ、雲を造られ、大地を造られた天のおとうさまが
ほほえんでおられます。

ようしっとまた気合いが入ります。

いち、にっ、いち、にっ、、、
今日もまた掘り起こしていきます。

(おわり)

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