あなたの心をこの世の花々に置いてはなりません。こういった花々はやがてしぼみ、枯れていきます。シャロンのバラであり、谷のゆりであるこの御方にこそ心を留めなさい。この方は変わることがありません。

この地上の誰よりも、キリストに近く生き、歩むようにしなさい。そうすれば、彼ら人間があなたから取り去られる時が来ても、あなたには、愛を傾け、心の拠り所となる御方がいるのです。

ロバート・マーレー・マクチェーン



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シャロンの花 イエス君よ わがうちに 開き給え
良き香り 麗しさを われに わかちあたえつつ

讃美歌Ⅱ192番 "Jesus, rose of Sharon", Ida A. Guirey 1922


雅歌2章1節の「シャロンのばら、谷のゆり(口語訳)」が、キリストのことを指しているのか、それともキリストの教会のことを指しているのか昔から二通りの解釈があるそうです(Gill's Exposition of the Entire Bible)。

そのいずれを指すにしても、私たちは雅歌の中に啓示されているキリストを見い出し、その霊が今、神の神殿とされた私たち信仰者、そして信仰者の群れとしての教会の内に宿っていることに驚異の念を覚え、

ああ わが魂の慕いまつる イエス 君の麗しさよ、朝(あした)の星か、谷のゆりか、何にぞなぞらえて歌わん

と賛美せずにいられなくなるのではないでしょうか。


ヘンリー・マシュー註解より (私訳)

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雅歌2:1-7 信仰者は、キリストの義の衣を着た美しい存在であり、その香りは御霊の恵みによって飾られています。そしてこういった信仰者たちは、義の太陽なる方の清新な光線の下ですくすくと成長していきます。

ゆりは東洋における非常に高貴な植物です。かなりの高さまで成長しますが、茎自体は弱いのです。教会はそれ自体としては弱いですが、教会を支える主にあって強くされています。

一方、邪悪な者――この世の娘たち――にはキリストに対する愛はなく、いばらのように、有害で他を傷つけます。

堕落や腐敗は、肉の中にあるいばらですが、現在、いばらの中にあるゆりは、やがて必ずそのような物の存在しない天国に移されます。この世は、魂にとって、不毛な木のごとくあります。しかしキリストは豊かに実を結ぶ木です。

哀れな魂が罪の自覚に、掟の恐ろしさに、そしてこの世での患難に押され、憔悴し、重荷を負ってうめく時、彼らはこのキリストのうちに安らぎを見い出します。この木陰の前を通り過ぎるだけでは十分ではありません。

私たちはその下に座る必要があるのです。









私の木の葉が落ちるとき―エミー・カーマイケルの信仰詩

祈りの情熱―レオナルド・ラーベンヒルの捧げた祈り