わが主、わが主人。


御足の下で 私は、
苦悩の重荷をせおい 
頭を垂れている汝の姿をみます。


罪びとである私のために 
汝のいのちの血潮が どくどくと流れ落ちています。


それなのに、
わが救い主である 汝のために
私は ほとんど涙を流すことがありません。



ご自身の弟子が 汝を、ユダヤ人たちに売り渡しました。
――友情の口づけと、忠義な言葉をもって。


私の唇は 何度となく 
汝に 忠実なる愛を語ってきました。

しかし、その欺瞞と、恥を 汝はすべてご存じです。



嘲笑とあざけりをもって、
彼らは――一見、汝の弱さのようにみえるもの――を
愚弄しています。


強打と憤怒により 汝の痛みは増し加わるばかりです。


しかし 汝はその柔和さの内に、
揺り動かされず、堅く立っておられます。


しかるに、不当に取り扱われ、中傷されるとき
私は なんとすぐに 泣き事を言うことでしょう!



わが主、わが救い主。


茨の冠をかぶった 血の滴る汝の額をみるとき、

私は今後、自分の快楽のために 
生きていくことなどできるでしょうか。


そして、たといこの先、
痛みとあざけりが 私の道程に待ち受けていようとも、

そこから しりごみすることなどできるでしょうか。



おお 汝の愛の犠牲。
最大のいやしをもたらす 苦悶。


おお 人を救う死。
私の慕う その御傷。
もっとも栄光ある その恥辱!


キリスト、私は汝の前に跪きつつ祈ります。


私を永遠に汝のものにしてください、と。





-Before the Cross, Jacques Bridaine (1701-1767)
私訳






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「寛容」という「非寛容」の実態―迫害される聖書信仰のクリスチャン(ノルウェー)

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