クリスチャンの子供向けのおはなしを編集・翻訳してみました。小学生低学年の子どもが自分で読めるように、漢字は最低限におさえてあります。おはなしの巻末には、「おかあさんといっしょに話し合ってみよう」というセクションもつくりました。このおはなしを通して、子どもたちの心に、神様を第一にしたいという願いが起こされますように!

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むかしむかし、レバノンという国(くに)の山のなかに、カディシャという小さなむらがありました。

そしてそのむらには、白くて、とてもながいおひげをはやした先生(せんせい)がすんでいました。

その先生はとてもかしこいので、むらのひとびとは、かれのことを「賢者(けんじゃ)」とよんでいました。

☆☆

ある日、三人のこどもたちが、村のはずれにすんでいる先生の小屋(こや)にあそびにきました。

「せんせい、おじゃましまーす。」

「おお、ようこそ、ようこそ。」先生は、おおよろこびで、こどもたちをむかえました。

「なんというなまえなのかな?」

「わたし、ナイリっていいます。もうすぐ10才になります。」

「ぼくのなまえは、アダール。」くろい髪(かみ)のおとこのこがこたえました。「ぼくは8才。」

「おまえさんは、なんというのかね?」先生は、三ばんめの女の子のほうをむいて、いいました。

「わたしは、エアンナ。あともうすこししたら、8才になります。」

「さあ、さあ、どうぞおあがり。」先生はいいました。

そして先生はこどもたちに、おいしいハチミツ・ケーキと、やぎのミルクをごちそうしてくれました。

☆☆

いろいろとたのしくおはなししたあと、先生はこどもたちにいいました。

「さあ、みんな、いっしょにゲームをしようか。ほら、そとにあるあの大きなつぼがみえるかい?」

「お水をいれるあのつぼのこと?」ナイリがききました。


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「そうだよ。そら、いっしょにそとにでよう。」こどもたちは先生のあとにつづいて、つぼのところまで行きました。

つぼのなかをのぞいてみると、水ははいっておらず、からっぽでした。

「ナイリ。あそこの森(もり)のいりぐちに、大きな石の山がみえるかい?」


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「はい、みえます。」

「うん、よろしい。あそこにある石はな、どれも、にぎりこぶしくらいの大きさなんだ。そこでおねがいなんだが、あそこに行って、このつぼをみたすくらい、石をあつめてきてくれるかな?」

「ええ、もちろん!」ナイリはすぐにはしって行きました。

つぎに、先生はエアンナのほうをむいて言いました。「エアンナ。おまえさんにもたのみたいことがある。わたしの家(いえ)のおしいれに、ぬのでできた小さなふくろがあるんだ。

そして、その中にはたくさんのビー玉がはいっている。それをとってきてくれるかい?」


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こうしてエアンナもかけて行きました。

さいごに先生は、バケツとスコップをもってきて、それをアダールにてわたし、こう言いました。「アダール。おまえさんにしてほしいことはね、裏庭(うらにわ)に行って、そこにある砂(すな)をもってくることなんだ。できるかな?」

「うん、できるよ!」アダールもげんきにとびだして行きました。


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☆☆☆

さて、こどもたちが石やビー玉や砂(すな)をあつめている間、先生は木の下でやすんでいました。

すると、まもなく、こどもたちがもどってきました。

「先生、あつめたよ。それで、どうやってゲームするの?」

「うん。これからつぼの中をいっぱいにしていくんだ。」

こう言いながら、先生は、よいこらしょっと、重(おも)いつぼをもちあげ、それをこどもたちのまえにおきました。

「アダール。スコップで砂をつぼの中に入れていって、いっぱいにしてくれるかな?」

アダールはそれきたとばかりに、おおいそぎで砂をいれていき、こうして、すぐにつぼはいっぱいになりました。

「よくやった、アダール。」先生はいいました。

「それじゃあ、エアンナ。つぎに、おまえさんが、このつぼの中に、ビー玉を入れていくんだ。それがおわったら、おつぎは、ナイリが石を入れていく。」

「はい、、うーん、でも、、、」

エアンナはいっしょうけんめい、ビー玉をつぼの中に入れようとしましたが、つぼはすでに砂(すな)でいっぱいで、ビー玉は中に入らず、外にとびだしていってしまいました。

「やっぱり、だめだ。砂でいっぱいすぎて、ビー玉のはいるばしょがないよ!」

「そのとおりだ、エアンナ。」先生は言いました。

「ビー玉のはいるばしょはないし、ナイリの石だって、もちろん、入るばしょはない。そうだね?」

こっくりと、エアンナはうなずきました。

「それじゃあ。」と先生は三人のこどもたちに言いました。

「もういちど、はじめからやりなおそう。つぼをからっぽにしたいから、みんな、てつだってくれるかな?」

☆☆

こうして先生とこどもたちは、つぼをひっくりかえし、中の砂(すな)を外にだしました。

「それじゃあ、こんどは、ナイリ、おまえさんからはじめてもらおう。石でつぼをいっぱいにしてくれるかな?」

「はい。」ナイリは言われたとおりに、石をつぼに入れていきました。

「そしてつぎは、エアンナ、おまえさんが、ビー玉をいれるんだ。」

エアンナはビー玉を入れはじめました。

ビー玉は小さいので、コロコロと石のあいだに入っていき、エアンナはふくろの中のビー玉をぜんぶ、つぼの中に入れることができました。

「さあ、さいごは、アダール、おまえさんのばんだ。スコップで砂(すな)をどんどんつぼの中に入れていっておくれ。」

小さな砂のつぶは、サラサラと石とビー玉のあいだに入っていきました。

そして何回(なんかい)か、つぼをゆすると、さらに砂は中に入っていき、やがてつぼはいっぱいになりました。

☆☆

「さあ、こどもたち。そこにおすわり。」先生は言いました。

「これから、みんなにこのゲームのいみをおしえてあげよう。」

「こどもたち。よくおききなさい。石と、ビー玉と、砂は、三つのことをあらわしているんだよ。

『石』はね、おまえさんが神さまと、神さまの国(くに)におつかえしたり、ほかの人たちにおつかえしたりすることをいみしている。

そして『ビー玉』は、たべものや、着(き)るものや、すむ家(いえ)や、そういう、わたしたち人間(にんげん)が生きていくうえでひつようなものをあらわしている。

それから『砂』はね、たのしいけど、でも、それがあってもなくても、わたしたちが生きていけるようなものをあらわしているんだ。たとえば、すごいごちそうとか、ねだんの高(たか)いようふくとか、そういうものだ。」

「みんな、おぼえているかい?さいしょ、わたしたちは、石やビー玉よりもさきに、砂をつぼの中に入れようとしたよね?

でも、そうしたら、石やビー玉のはいるばしょはなくなってしまった。そうだね?」

こどもたちはみな、こっくりとうなずきました。

「わたしたちの人生(じんせい)もおなじなんだ。」と先生は言いました。

「みんながね、『さいしんのゲームソフト』とか、『おもしろいテレビばんぐみ』とか、そういうことばっかりにむちゅうになっていたら、神さまのためにおつかえする時間(じかん)はなくなってしまう。

それどころか、どうしてもひつようなものさえ、どんどんなくなっていってしまうかもしれない。

でも、神さまと、神さまの国(くに)をだいいちにかんがえ、それをたいせつにする子どもにはね、神さまが、ひつようなものをちゃんとあたえてくださるんだ。

それだけじゃない。そういう子どもには、神さまは、たのしいことや、おもしろいことだって、ちゃんとあたえてくださるんだよ。」


ーおしまいー


おかあさんといっしょに、はなしあってみよう。

1.先生は、『石』はなにをあらわしていると言っていたかな?
2.『ビー玉』はなにをあらわしていますか。
3.それから、『砂』はなにをあらわしていますか。

4.OOちゃんは、『さいしんのゲームソフト』とか、『おもしろいテレビばんぐみ』とか、そういうことばっかりにむちゅうになっているかな?それとも、神さまのことをいちばんにかんがえ、神さまをたいせつにしているかな?どっちだろう。すこしかんがえてみよう。
5.神さまと、神さまの国(くに)をだいいちにかんがえ、それをたいせつにする子どもには、なにがあたえられるって、先生は言っていたかな?
6.さいごに、おかあさんといっしょにおいのりしよう。









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