さて、神の主権という教理によって引き起こされるもう一つの深刻な問題は、人間の意志をどう扱うかという点にあります。

もし神が、ご自身の絶対主権に基づく掟によって、宇宙を支配しておられるのだとしたら、「人間の自由選択というのは不可能」ということになってしまわないでしょうか。

そしてもし、人間に選択の自由が与えられていないのなら、一体いかにして、その人は自分の行為の責任を負えるというのでしょう。

そういう人間は結局、単なる「操り人形」――舞台裏で、心もおもむくままに糸を引いておられる神によって、その行動を決定づけられている――ということになってしまわないでしょうか。 

A・W・トーザー『聖なる方を知る知識』第22章より



この点に関し、ジャン・カルヴァンは、『キリスト教綱要』の中で次のように言っています。

神は全ての事における監督者かつ統治者である。そして永遠の時より、ご自身の知恵によって、ご自身がなさろうとすることをあらかじめ定め、そして今や、御力により、その定めを実行しておられるのである。

従って、ご自身の摂理により、天地や、無生命の被造物だけでなく、人の考えや意志もまた神によって統治(govern)されている。――それによって、神が前もってお定めになった針路へと確実に事が進行するためである。

『キリスト教綱要』1.16.8 私訳



カルヴァンによれば、私たちの思いや意志も、神によって「統治」されているとされています。そうすると、次のような素朴な疑問が湧いてきます。

ある町で、凶悪殺人事件が起こりました。カルヴァンの論理によれば、いたいけな子どもを殺そうと思い立った犯人のこの邪悪な思いも、神によって「統治」され、アレンジされていたのです。

なぜでしょうか?そうすることによって、凶悪殺人事件という永遠の昔から起こるべくして定められていたこの事件が、確実に現実のものとして執行されるためなのです。「神が前もってお定めになったこの針路へと確実に事が進行するため」です。

カルヴァン自身も、この点について、例を挙げ、明確に説明しています。

例を挙げて考えてみよう。たとえば、一人の商人がいた。この人は幾人かの信頼おける仲間たちと共に森に入った後、うっかり仲間からはぐれてしまい、あてどもなく森の中をさまよっていた。そしてついに強盗どもの手に陥り、殺されてしまった。この男の死は、神の目に予見(foreseen)されていただけではなく、主の定めによって前もって固定されていた(had been fixed)のである

『キリスト教綱要』1.16.9、私訳



そうすると、私の中で次のような問いが生じます。

罪のない子供を殺そうと邪悪な思いを抱いた殺人犯や、道に迷っていた商人を助けるどころか、強欲に任せこの人に強盗殺人を働こうとたくらんだ男たち――こういった邪悪な人間たちが、一連の事件の最高責任者でしょうか。

それとも、そのような邪悪な心を「統治」し、アレンジした上で、その事件がとどこおりなく行われるよう永遠の昔からお定めになった神ご自身が、この事件の最高責任者でしょうか。

つまり、殺人犯と、神と、どっちがもっと「悪い」のでしょうか。

『ウェストミンスター信仰告白』は、このような疑問を抱く人のために答えを出してくれています。

1 神は、全くの永遠から、ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自由にしかも不変的に定められたが(1)、それによって、神が罪の作者とならず(2)、また被造物の意志に暴力が加えられることなく、また第二原因の自由や偶然性が奪いさられないで、むしろ確立されるように、定められたのである(3)。

(1) エペソ1:11、ロマ11:33、ヘブライ6:17、ロマ9:15,18
(2) ヤコブ1:13,17、Ⅰヨハネ1:5
(3) 行伝2:23、マタイ17:12、行伝4:27,28、ヨハネ19:11、箴16:33


『ウェストミンスター信仰告白』第3章 神の永遠の聖定について、第1項



しかし、みなさんは、この説明に納得できますか?人間の考えや意志に自由が与えられておらず、それが神によって「統治」されているのなら、やっぱり、責任は、私たち人間じゃなくて、神様が取るべきではないでしょうか。

戦争や暴力や、その他もろもろの悪は、これを引き起こした人間ではなく、その人間の意志をそのように「統治」し、ご自身の計画を執行しようとしている「神」の責任だということにならないでしょうか。

そうなると、『ウェストミンスター信仰告白』の字句とは異なり、結局、「この神自身が罪の作者なのだ」という結論にならざるを得ない――私にはそういう風に思えてなりません。

そして、ああ、そのような神は、愛なのでしょうか。さらに言えば、これが聖書の啓示している神なのでしょうか。これが私がもがき、葛藤している点です。

3 神の聖定によって、神の栄光が現われるために、ある人間たちとみ使たち(1)が永遠の命に予定され、他の者たちは永遠の死にあらかじめ定められている(2)。

1Ⅰテモテ5:21、マタイ25:41、2 ロマ9:22,23、エペソ1:5,6、箴16:4

7 人類の残りの者は、神が、み心のままにあわれみを広げも控えもなさるご自身のみ旨のはかり知れない計画に従い、その被造物に対する主権的み力の栄光のために、見過ごし、神の栄光ある正義を賛美させるために、彼らを恥辱とその罪に対する怒りとに定めることをよしとされた(1)。

 1 マタイ11:25,26、ロマ9:17,18,21,22、Ⅱテモテ2:19,20、ユダ4、Ⅰペテロ2:8

『ウェストミンスター信仰告白』第3章 神の永遠の聖定について、第1項



「神の栄光が現れるために」ある人間たちを永遠の死にあらかじめ定め、人類の残りの者を、「その被造物に対する主権的み力の栄光のために」「見過ごし」「神の栄光ある正義を賛美させるために」彼らを恥辱とその罪に対する怒りとに定めることをよしとされた神が――その神が、私たちが毎日曜日に、「イエス様、愛しています!」と賛美している神でしょうか。


祈り)
天のお父様、私は葛藤しています。私はカルヴァンのように有能ではありませんので、こういった一連の疑問は、ただ単に私の理解不足から生じているものなのかもしれません。しかし、この疑問は私の心から離れません。

人が滅びること、それが本当に「あなたの栄光」なのでしょうか。また、私たち人間の考えや意志は、あなたによって「統治」されているのでしょうか。

ある人々の言うように、私がこういった神のあり方に疑問を持つのは、私がまだ自分の全的堕落のリアリティーを悟っていないからなのでしょうか。もしそうならば、どうか主よ、私に全的堕落の現実を示してください。しかし、もしこの疑問があなたの意に反するものでないのなら、私をこの縛りから解放してください。

また、このブログを読んでいる読者の方々の中で、私と同じような疑問や葛藤を抱いている兄弟姉妹のためにもお祈りします。私たちの願いは、あなたをより良く知り、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたを愛することです。どうか私たちを憐れんでくださり、私たちにご自身を顕してください。

イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。









なぜ神はこの地上に悪を許しておられるのか?

遠い、遠い、ロシアの地で