この詩を、親愛なる光子姉妹に捧げます。


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ついに見い出した私の土台。

わが魂の錨はたしかにここにあります。
イエスの御傷――私の罪のためにほふられた小羊。


この方の憐れみは、
たとい天と地が消え去ってもなお、
揺るがされることなくとどまります。


御父よ、汝のとこしえの恵みは、
とぼしき私の思い、考えをはるかに越えています。



汝の心は今もやさしさに満ちており、
汝の愛の御手は、今この時にも私に向かって広げられています。


彼らがこの憐れみを味わい、そこに生きることができるよう
汝は罪びとたちを迎え入れてくださるのです。



おお愛なるお方、底もなく、測り知れない愛の深淵。
数々の私の罪は、汝のうちに飲み込まれました。


わが不義は覆われ、
自責の苦しみは
今や 私の内からことごとく取り払われました。


「憐れみ、自由、無限の憐れみ」――
天にも地にも、イエスの血潮が叫びます。


信仰により私はこの海に飛び込みます。
ここにこそ、私の希望、喜び、そして安らぎがあります。


地獄が私を襲うとき、私はここに逃げ込み、
わが救い主の御胸に寄りすがります。


悲しみ、疑い、恐れよ、私から去れ!
ここに記されているのは、ただひたすら汝の憐れみなのです。



荒波と嵐が次々とわが身を襲い、
力も、健康も、友人も、何もかも失われ、

喜びが枯れ、死んだようになり、
あらゆる安らぎが私から去っていっても、


それでも尚、わが魂はこの土台に立ち続けます。


おお御父、汝のあわれみはとこしえに尽きず、不滅です。



そうです、わが心がしなえ、肉体が朽ちゆくとも、
私はこの土台に堅くとどまり続けます。


地のあらゆる基盤が揺らいでいます。
しかし、この錨が、わが魂を支えます。


そして、永遠の愛に包まれ、

私は憐れみの全き御力を
この世に証するでしょう。




Johann Andreas Rothe (1688-1758), Wenn kleine Himmelserben,
translated by John Wesley
私訳


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まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです
ヨハネ5:24



ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています
ローマ5:1



あかしするものが三つあります。御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。

もし、私たちが人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。

神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神は信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです

御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

私が神の御子の名を信じているあなたがたに対して、これらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
1ヨハネ5:7-13










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