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荒野――神との親密さを深める場所

The Place of Intimacy with God
by James M. Houston




出エジプト記の中でイスラエルの民が「神に従った」という時に、それがすなわち「荒野での経験」を指し示していたのは決して偶然ではありません。

しかし私たちの「荒野」は普通、サハラ砂漠やゴビ砂漠のようなものではありません。

私たちの荒野――それは、打ち砕かれ粉々にされた夢や希望、最も近い人とさえ心を通い合わせることのできない疎外感、漠然として不安定な将来、内的暗闇の経験、、、こういったものを鑑みる〈空間〉のことをいいます。

そしてそこに神は私たちを招かれるのです。

☆☆

私たちが神に「はい。」と返事をするなら、神は私たちを荒野へと導かれます。

そこには何ら明確な指針がなく、組織立ったものも存在せず、具体的な提案、心躍るような青写真、前途有望な機会といったものもありません。

――ただ「恐れることはない」という約束があるだけです。

それは明け渡しであり、降伏であり、それも徹底的な種類のものです。

またそれはどんな代価を払ってでも従順であるということであり、この先、結果がどうなろうとも、神と共に歩み続けるということです。


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カルロス・カレットが言っているように、荒野が私たちに与える偉大な賜物は、「祈り」です。

荒野は、神の前で静まることのできる場です。

そして荒野の静けさの中で私たちは、自分自身の呼吸よりも近く、主のご臨在を感じ、それに気づくようになります。

そしてこの静寂さの中で、私たちは御言葉を通し、神が語ってくださる声を聞くようになるのです。

御言葉なしには、静けさは澱(よど)んだものになるでしょう。しかし荒野の静寂さなしには、御言葉は私たちの中でその創造的力を失ってしまうのです。

☆☆

しかし荒野の経験というのは、単なる克己のための環境ではありません。

そこは神との親密性を深めるための場所なのです。

そのためには――少なくとも一時的に――この世の喧噪から身を離し、神と二人だけになるために、静かに退く必要があります。


また荒野は、物事を永遠の観点から、つまり真実の角度から見ることのできる、黙想の場所です。

私たちはせわしなさ、動揺、性急さ、焦りといったものから離れ、静けさの中で物事をみるのです。

またここで私たちは己の情念や肉の興奮を沈黙させ、さまざまな緊張から身を退かせます。


こうして荒野のさすらい人の如く、私たちはもはやもがく必要のない場――つまりオアシスを見い出すことを学んでいきます。

ここにおいて私たちは休み、リフレッシュし、新たにされるのです。

また、荒野の生活は、自分の生活のニーズを、水、食べ物、寝る場所という最小限のものに抑えていくことを学ぶ場でもあります。

そして神との二人きりの交わりの中で、私たちは、あらゆる必要を満たすことにおいて、主がいてくださるだけで十分なのだという事を発見するようになります。

唯一他に残されたニーズというのは、私たちが「主をさらに必要としている」という霊的気づきだけなのです。

荒野が私たちに与えるもっとも偉大な教え――それは神の親密さを知ることに他なりません。


(私訳)







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