私は心を尽くしてあなたに感謝します。
天使たちの前であなたをほめ歌います。
私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、
あなたの恵みとまことを、あなたの御名に感謝します。
詩篇138:1,2a



今日はみなさんとご一緒に詩篇138篇の歌を聴き、そこから流れ出る恵みを共有できたらと思います。

一節の「天使たちの前で」は、欽定訳などでは「神々の前で before the gods」となっています。

いずれにしても、ダビデの霊性は、聖なる宮に向かってひれ伏し神を礼拝するその場に、なんらかの天的な存在をはっきり意識していたのだと思います。

今回なぜここに心が留まったかと言えば、私自身、1コリント11章の祈りのベールを実践し始めるようになってから、礼拝の中で、主のご臨在と共に、「御使い」(1コリ11:10)の存在をも強く意識するようになったという個人的な証があるからです。

自分の霊の内に主が何かを起こしてくださって、礼拝の天的な領域に少しずつ「目が開かれるようになっていった」という表現がよりふさわしいかもしれません。(この点については、ぜひ他のベールの姉妹たちに彼女たちご自身の証や霊的変化などを訊いてみたいです。)

さて、今日の詩篇歌はコイネー・ギリシャ語で歌われています。詩篇歌も国や文化や宗派によってさまざまな歌われ方がされていますが、スコットランド教会(Scottish Metrical Psalter)やギリシャ正教会のPsalmodyなどは、詩篇を一字一句そのまま歌っているという点に特徴があると思います。


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スコットランド教会の詩篇歌集


ギリシャ語を解する方は、ぜひ歌に合わせて、下の御言葉をお読みになり、黙想してみてください。何語であれ、信仰をもって御言葉を歌い、宣言することには力があるということを私は少しずつ体験していっています。





ΨΑΛΜΟΙ 138 (七十人訳では137)


1.ΕΞΟΜΟΛΟΓΗΣΟΜΑΙ σοι, Κύριε, ἐν ὅλῃ καρδίᾳ μου, καὶ ἐναντίον ἀγγέλων ψαλῶ σοι, ὅτι ἤκουσας πάντα τὰ ῥήματα τοῦ στόματός μου.

私は心を尽くしてあなたに感謝します。
天使たちの前であなたをほめ歌います。


2 προσκυνήσω πρὸς ναὸν ἅγιόν σου καὶ ἐξομολογήσομαι τῷ ὀνόματί σου ἐπὶ τῷ ἐλέει σου καὶ τῇ ἀληθείᾳ σου, ὅτι ἐμεγάλυνας ἐπὶ πᾶν τὸ ὄνομα τὸ ἅγιόν σου.

私はあなたの聖なる宮に向かってひれ伏し、
あなたの恵みのまことを、あなたの御名に感謝します。
あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、
あなたのみことばを高く上げられたからです。


3 ἐν ᾗ ἂν ἡμέρᾳ ἐπικαλέσωμαί σε, ταχὺ ἐπάκουσόν μου· πολυωρήσεις με ἐν ψυχῇ μου δυνάμει σου.

私が呼んだその日に、あなたは私に答え、
私のたましいに力を与えて強くされました。


4 ἐξομολογησάσθωσάν σοι, Κύριε, πάντες οἱ βασιλεῖς τῆς γῆς, ὅτι ἤκουσαν πάντα τὰ ρήματα τοῦ στόματός σου.

主よ。地のすべての王たちは、あなたに感謝しましょう。彼らがあなたの口のみことばを聞いたからです。

5 καὶ ἆσάτωσαν ἐν ταῖς ᾠδαῖς Κυρίου, ὅτι μεγάλη ἡ δόξα Κυρίου,

彼らは主の道について歌うでしょう。主の栄光が大きいからです。

6 ὅτι ὑψηλὸς Κύριος καὶ τὰ ταπεινὰ ἐφορᾷ καὶ τὰ ὑψηλὰ ἀπὸ μακρόθεν γινώσκει.

まことに、主は高くあられるが、低い者を顧みてくださいます。しかし、高ぶる者を遠くから見抜かれます。

7 ἐὰν πορευθῶ ἐν μέσῳ θλίψεως, ζήσεις με· ἐπ᾿ ὀργὴν ἐχθρῶν μου ἐξέτεινας χεῖράς σου, καὶ ἔσωσέ με ἡ δεξιά σου.

私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます

8 Κύριος ἀνταποδώσει ὑπὲρ ἐμοῦ. Κύριε, τὸ ἔλεός σου εἰς τὸν αἰῶνα, τὰ ἔργα τῶν χειρῶν σου μὴ παρίδῃς.

主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。


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「牧師の書斎」より(引用元詩篇138篇

「ダビデによる、ダビデの」という表題がついたまとまった詩篇が8篇、138~145篇にあります。

この8篇には共通するテーマ、あるいは特徴は何かを考えながら瞑想することで何かが見えてくると思いますが、一つの私の推定では、神に愛されたという意味を持つ「ダビデ」という名前が表題につくときは、そこにダビデの霊性が色濃く出ている詩篇と推察してよいのではないかと考えます。

ダビデの霊性とは何か。それはダビデの信仰が常に神のゆるぎない恩寵によって支えられていることそしてその神の恩寵に対するダビデの礼拝のあり方が非常に豊かであるということです


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それは一つの詩篇の中にある礼拝用語と恩寵用語を抽出することによってわかります。

詩篇138篇の神の恩寵用語を取り出してみます。

①「(みことばを)高く上げられた」(2節)
②「答えられた」(3節)
③「(たましいに力を与えて)強くされた」(3節)
④「(低い者を)顧みてくださる」(6節)
⑤「生かしてくださる」(7節)
⑥「(御手を)伸ばす」(7節)
⑦「救ってくださる」(7節)
⑧「(私にかかわることをすべて)成し遂げてくださる」(8節)

一方、その恩寵に対する応答としての礼拝用語は以下の通りです。

①「感謝します」(1節、2節)
②「ほめ歌を歌います」(1節)
③「ひれ伏します」(2節)
④「呼ぶ」(3節)
⑤「聞く」(4節)

このようにダビデの霊性は、常に神の恩寵に支えられてことがわかります。ダビデはいろいろいな面をもった人物ですが、結局のところは彼が礼拝者であったということに尽きます。

どんなときにも、どんなところを通されたとしても、神の恩寵に目が開かれることがすべての力の源泉であることを知ります。






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