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イランの国立公園


私はイラン北東部のある町に生まれました。

子どもの時から、私はムッラー(イスラム聖職者)たちの裏表ある言動にうんざりしていました。彼らをみていると、この世の宗教というのはすべて、パワーとお金と権力を一部の人が牛耳るために、都合よく作り出されたものであると感じざるを得ませんでした。

金曜日の礼拝の後には、モスクで人々が聖職者に扇動され、「アメリカに死を!イスラエルに死を!」と叫んでいました。私はこれを聞いて逆に、アメリカという国に強烈な憧れを抱くようになり、いつの日かアメリカに移民したいと願うようになりました。

平和のなさは外の世界に限ったものではありませんでした。家では両親のけんかが毎日絶えず、父は毎日アルコール漬けでした。イランでは厳格にアルコールが禁じられていましたが、国策で飲酒が禁じられれば禁じられるほど、人々はますます、あらゆる手段を用い、お酒をむさぼり求めるようになっていきました。

でもシャー(王政)時代にはそれでもいくつか良い思い出があります。小学校の休み時間に、子どもたち全員にバナナやお菓子が無償で提供されていたのです。あの時のうれしさは今でもよく覚えています。


イスラム革命


でも小5の時に、イスラム革命が勃発し、全てが変わりました。たくさんの人が殺され、行方不明になりました。そしてその後、イラクとの間に血みどろの戦争が起こりました。イランもイラクも共にイスラム国家でありながら、お互いのことを「背教者」と呼び、殺し合っていました。

いつしか私は無神論者になっていきました。

高校二年の時に、ついに父が、母と私たち兄弟6人を残し、どこかに去って行きました。当時、兄は徴兵されていたため、次男である私が父に代わって一家の長となり、責任を取ることになりました。この時期は今思い出しても非常に辛いものがあります。


トルコへ


30歳の時、私はアメリカに移民するためのビザ取得のために、トルコへ渡りました。しかし友人には米国大使館からビザが支給されたのに、私にはなぜか支給されませんでした。しかも手続きに手間取っているうちに蓄えのお金も尽きました。

そんな時、私はある人と出会い、職の斡旋を受けたのです。この人は密入国業の世界では非常に影響力のある人物であり、トルコ警察の幹部やイタリア大使館などとも親交のある有力マフィアでした。

このボスの下で働くようになって以来、金回りが非常に良くなり、私はボスに高級ホテルの一室を住居としてあてがわれ、日中は密入国のブローカーとして働き、夜はディスコやバーやカジノで派手に過ごすという生活を送りました。

罪によって得たお金はこうして罪にまみれながら消費されていきました。


逮捕


しかしついに私は逮捕され、イランへ強制送還されることになりました。しかしボスが幅広い人脈を生かし、獄中にいる私のために新しいパスポートを発給し、シリアへの観光ビザをも取得してくれたのです。そのおかげで私はシリアを経由して再びトルコに戻ってくることができました。


逃亡


ところがそれからしばらくして、ある出来事が起こり、私とボスとの間に亀裂が生じるようになりました。そしてそれからというもの、私は恐怖と逃亡の生活を送るようになりました。

なぜなら、すでに内部事情に通じていた私は、このボスによって実際、亡きものにされる可能性があったからです。また私は自分が警察からも追われていると考えていたため、二重の恐怖の中で過ごしました。

毎日寝るホテルを変え逃げ回りつつ、私は精神的に追いつめられていきました。


教会に誘われる


ある日曜日、イスタンブールの通りを友人と歩いていた私に、向こう側から二人の男女がにこにこしながらペルシャ語で話しかけてきました。

「私たちはクリスチャンです」とこの二人は自己紹介し、「今日の午後4時からペルシャ語の礼拝があります。もしよろしかったら来てください」と私たちをキリスト教会に誘いました。

私はキリスト教会というものをそれまで一度も見たことがなかったので、一度見物に行こうと思い、友人と共に4時の礼拝に行ってみることにしました。


キリスト教会で


何より私が驚いたのが、中にいた人々が神に向かって「歌っていた」ことでした。イスラム教では神に嘆き、胸を叩きつつ泣いたりすることはあっても、歌うことはありませんので、私はこの光景に非常に驚きました。

しばらくすると、隣に座っていた友人は礼拝に飽きて、「もう外に出よう」とささやいてきました。しかし私はなんとなく居続けたいような気がし、「いや、僕は一応、最後まで残って様子をみてみようと思う。」と答えました。

こうして友人は去り、私は残って、説教を聞きました。

礼拝が終わると、先ほど道ばたで私を礼拝に誘ってくれたM君がやって来て、「ぜひこの本を読んでみてください」と一冊の本を手渡しました。それはペルシャ語で書かれたインジール(新約聖書)でした。


平安


次の週の日曜も、気が付くと、私の足は教会に向かっていました。そして次の週も、次の週も私はキリスト教徒の礼拝に行くようになっていました。

私は月曜から土曜まで逃亡する身でしたが、日曜の午後4時から6時までのこの二時間だけは、恐怖とストレスから解放され(なぜなら警察はさすがに教会の中にまでは入ってきませんから!)、私はつかの間の平安を感じていました。

こうして私はこの二時間の「平安」を切望するようになっていきました。





不思議なことに、教会の人々は私の身元や住所に関して何も訊いてきませんでした。私は自分の職業柄、人の素性を鋭く見抜く感覚が磨かれており、自分に近づいてくる人の隠れた動機をいつも疑い深く探っていました。

しかし教会の人たちは、自分がこれまでの人生で出会った人のどの類型にも当てはまらない不思議な人々でした。私は彼らがなぜ自分にこれほど親切なのか戸惑いました。

しかも彼らが私のことで知っている情報は唯一私のファーストネームだけでした。つまり、彼らは私のことを悪利用しようにも、その術(すべ)がなかった訳です。

こうして一か月ほど経った時、私は彼らが卑しい動機なしに自分のことを気にかけ、純粋な気持ちで私に愛を注いでくれていることを確信するようになりました。

実際、見返りを期待しないこの無私の愛ほど力強く私を引き付けたものはありませんでした。家に戻ると私はインジールを読み始めました。

2001年2月、礼拝が終わった後、私は自分の内に何かが湧き上がってくるのを感じ、一人で海辺に向かいました。



(その2に続きます。)









H兄の救いの証し(イラン) 後篇

イエス、汝のことを想うとき——ベルナールの信仰詩(12世紀)