完全なる心の入れ替え
―祈りのベールと夫への恭順

Total Heart Change by April Cassidy(here



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外面的なことは容易なことです。

物理的に跪いた格好で数分間祈りをささげ、それから聖書を一章読む――それも簡単にできます。

毎週日曜日に教会に行って、席におとなしく腰掛けることだって、たやすいことです。

教会の中で帽子やベールを被ることも、結局、その気になればできることです。

「こういう外面的なことさえちゃんとこなしていればいいのよ。」と考える方々がいます。つまり、(外的な面で)正しいことをしているように見えるなら、それで十分だというのです。

☆☆

神様は確かに外面的な面でも私たちの従順を求めておられます。

しかし、主がより注意して見ておられるのは、私たちの内的な心の動機です。

主に従うとき、私が正しい理由と心の持ち方でそれを行なっているのかどうかを主は見ておられ、それを望んでおられます。

教会にまじめに通い、毎日聖書を読み、慎み深い服装で身を包み、祈りのベールを被ること、、こういった事は非常に良いことですし、実際、これらは、キリストを信じる女性たちが尊守すべき神の掟です。

しかし、そもそも「なぜ」私はそういう事をしているのでしょうか。そうする私の心の動機はどこにあるのでしょうか。

というのも、こういった一連のことを敬虔に行ないながらも、実際には神様から遠く離れ、主を知らないことだってあり得るからです。

☆☆

そこで私は自問してみます。

ー私は、イエス様が私のために十字架の上でなしてくださった贖いの業に信頼する以上に、自分の行ないにより神様に良い印象を持ってもらおう、そして自分の救いを得よう、としているのかしら。(律法主義)

ー仲間の姉妹たちに対し、心ひそかに、「私はあなたよりも聖いのよ」と思い、それを他の人にさりげなく印象づけようとしているのでしょうか。

ー私は、自分ほど神様のために仕えていない(ように見える)他の兄弟姉妹をひそかに見下しているのでしょうか。

ー私が一連のことを尊守するのは、皆がそうしているし、私が単にその流れにフィットしたいから、、なのでしょうか。



もしくは私がそうするのは、「自分の人生のすべての領域で、ひたすら神様をお喜ばせしたいという願い」、感謝、へりくだり、そして喜びの心ゆえなのでしょうか。

神様が私たちに願っておられるのは、主の恵みによって根本から変えられた私たちの心から湧き出てくる、喜びに満ちた従順なのです。

どうか主が私の心の動機に光に当ててくださり、それを清めてくださいますように。

そうすれば、私はイエス・キリストを通して主が私になしてくださったことに対する感謝にあふれ、すべてを「この方を愛し、あがめ、栄誉を帰し、お喜ばせしたいという思い」から為すことができるでしょう。

☆☆

また私の祈りは、自分が家の中や教会で祈りのベールを被る時、次のことを決して忘れないことです。

.私は(ベールを被るという行為を通して)神様と御言葉に対する崇敬を表し、主に栄光をささげたいと願っている。

.私は(ベールを被るという行為を通して)自分の主人に与えられている、神様のお定めになったリーダーシップに対し、深い尊敬を示したいと願っている。

究極的には、自分の主人に与えられているリーダーシップに深い尊敬を示したいという私たちの願いは、私たちの、キリストとの関係に直結しているのです

自分の主人に対する私の尊敬度は、私の「神様に対する尊敬と崇敬度」を映し出すバロメーターです。

主人に対する私の振る舞いは、「私が実際のところ、神様に対してどのように振る舞っているか」をかなり正確に示してくれる尺度でもあるのです。

主人を見下すような態度をとっているのなら、おそらく私は神様に対しても同じような不敬さを持っているのでしょう。

神様は、私たちの他者に対する接し方、および主に対する従い方を見ておられ、それはそのまま私たちの主に対する愛の表現とみなされるのです。


おわりに


一人の女性として私は、キリストのみからだの中で、そして神の前で、男性のみなさんと等しい価値と尊厳を持っています。また私はキリストと共に、そして主人と共に、相続人ともされています。

主人に対する一連の恭順は、つまるところ、私が神の主権(Sovereignty)を信じ、その主権の中において、「(地上のかしらとして置かれた)主人という一人の人間を通し、主は私を導いてくださる」ということに対する、神への信頼――それに尽きると思います。

そしてこれは自分の信仰が試されることでもあります。

ですから被り物をする時、なぜ自分がそうするのか、そして自分がはたして恭しい尊敬の態度を持って主人に接しているのかどうか、、それを覚える必要を感じています。

それは主人が常にその尊敬に値するような言動を取っているからでもなく、主人を神格化している訳でもありません(彼も私と同じ一介の人間にすぎません)。

そうではなく、あくまでイエス様が常に私の最大にしてもっとも深い崇敬を受けるにふさわしい方であるからなのです。


エイプリル・カスィディ姉妹について

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エイプリル姉は、サウス・カロライナ州に住む方で、二児の母、パートタイムの薬剤師です。

非常に熱心なクリスチャンである彼女が長年抱えていた最大の悩みは、「頼りなく」「霊的なクリスチャンでもなく」「無気力でうだつの上がらない」夫グレッグさんにまつわるものでした。そして夫婦関係は座礁に乗り上げていました。

その中で悶々と苦しんでいた彼女にある時期、主が御言葉を通し、「夫のリーダーシップというのは、神ご自身によって立てられたものであり、そこには創造の秩序という美しさがある」ということを啓示してくださったのです。そこから彼女の人生に一大変革が起こりました。その一連の過程は、多くの人に感動と励ましを与え、最近、書籍化もされました。

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The Peaceful Wife: Living in Submission to Christ as Lord

このブログでも、彼女の人生の証し、夫婦関係の回復の証しをいくつか翻訳し、取り上げています。

―「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」(ココ
―「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」【続編】――夫婦関係回復の証し――(ココ

また、彼女の祈りのベールの証しはここに収録されています。
「ベールを着けるよう導かれた姉妹たちの証し」(ココ


*エイプリル姉妹のブログはpeacefulwife.comです。







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先行きのみえない将来におびえる時

心の聖さを求める祈り――ツィンツェンドルフ伯

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