伝統主義にも陥らず、、


一方、フォートとアイゼンハワーによる論稿の中で、私が肯定的に受け取った部分は、「ルックスと能力」についての、両女史の指摘についてでした。


appearance and skill

研究結果によれば、「以前に比べ、女性が単にルックスで評価されるのではなく、女性自身の持つ能力やスキルによって評価される傾向が強まっていることが、ディズニー映画にも反映されている」というのです。

たとえば、1937-57年のプリンセス映画「古典期」には、「ルックス VS スキル」の比率は、

55%―(映画の中の)女性のルックスに対するほめ言葉
11%―(映画の中の)女性の持つ能力やスキルに対するほめ言葉



であったのに対し、89-98年の「ルネッサンス期」には、この比率が、

38%―ルックス
23%―能力



と変化し、2009-2013年の「新時代」には、ついにこの比率が逆転し、

22%―ルックス
40%―能力



となったそうです。

この点におけるフェミニスト研究者たちの指摘および評価には私も同意します。

女性が、マネキン人形のようにただ外見的な面だけで評価(あるいは蔑視・排斥)されるのではなく、より人格的な面で評価がなされるようになったという最近の傾向は喜ばしいものであると思います。

またここから私が学んだのは、聖書のフィルターを通さず、「古ければ良い。安全。」と考えるのは間違っているということです。

☆☆

私たちは伝統主義者ではない


この世が非聖書的な方向に流れていくのを目撃するとき、私たちは当然のことながら、防御的になり、その流れに押し流されまいと必死になって抵抗します。

その「抵抗」自体は望ましい姿勢だと思いますが、ここで私たちクリスチャン女性が気をつけなければならないのは、やみくもに「伝統」にしがみつかない、そして無批判に「伝統」を受け入れてはいけないということではないかと思います。

たとえば、「自分の夫に恭順」という聖書の教えの実践を、現在、私たちはどこで目にし学ぶことができるのでしょうか。

教会の中で、でしょうか。あるいは年配のクリスチャン夫婦の生きる姿を通してでしょうか。

聖書の教えに忠実に生きようと願う、若く真面目なクリスチャン女性はその模範をどこに見いだせばよいのでしょうか。

残念なことに、濃度の差はあれフェミニズムの浸透した現代の教会で、そういった模範に出会うことに困難を覚える若い女性たちは、次第にその目を「外」に向けるようになります。

彼女たちは、例えば、「実践倫理宏正会」(朝起き会)の女性たちの恭順な生き方に惹かれるようになります。また山本周五郎の『小説 日本婦道記』(1958年)などを読み、感動します。

祖母の青春時代、明治天皇の後を慕って夫と共に自刃した乃木静子(のぎしずこ)夫人は、『少女倶楽部』などで、「理想の日本女性」として大いに称賛されていたそうです。


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『少女倶楽部』 引用元

しかし、聖書の観点からみると、自死は神様によって禁じられた行為であり、自死を選んだ夫に恭順に従い、自らも命を絶つことを選んだ静子夫人の行為は、「美徳」ではありません。


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↑ 『少女倶楽部』 第20巻第3号、1942年(昭和17年)
表紙右には「戦い抜かう 大東亜戦」と書いてあります。

天皇のために自決した静子夫人が、戦前・戦中の『少女倶楽部』の中で「すばらしい女性」と絶賛・宣伝されたことは、天皇制ファシズム体制に少女たちを引き入れる上で大きな力になったと思います。ディズニー映画もそうですが、いつの時代にも、人々の思想操作にあたり、メディアが甚大な影響を及ぼしていることを痛感させられます。



新約時代に生きたギリシャの哲学者プルタルコス(46-120年頃)は、Advice to the Bride and Groomという書き物の中で、妻たちに、「あなたがたは、自分の夫のムードに合わせた忠実な『鏡』のように行動しなければならない」と助言しています。

しかし聖書は、女性は男性のムードに合わせて動く「鏡」などではなく、神のかたちに似せて造られた存在であると言っています。

神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。創1:27



ここから私たちが学べることは、「過去」や「伝統」を常に聖書の光に照らして見、そこから知恵深く、1)堅く保持すべきものと、2)そうする必要のないものを識別していくことではないかと思います。

☆☆

おわりに


時代の濁流に流されず、なおかつ「伝統主義」に陥らない、、、これは狭く、険しい道だと思います。

このシリーズの副題、「21世紀を生きる『とことん古く』かつ『とことん新しい』クリスチャン女性たち」は、そこの部分を模索している現在の私の気持ちを表わしたものです。

2000年以上前に書かれた聖書を堅く信じ、それに生きる私たちクリスチャン女性は、とことん古い人間です。

例えば、「ベールの証し〔続編〕」で私が中世ヨーロッパ時代に「バンジー・ジャンプする」と書いたのは、誇張のようであって、しかしベールを実践している女性たちにとっては、かなりリアルな話です。

しかしその一方、とことん古い私たちは、不思議なことに、かなり斬新で「トレンディーな」女性でもあります。

なぜなら私たちは同時に、道なき道を切り開くパイオニアであり、主のお示しがあるなら、宣教の最前線で戦っていく覚悟のある、キリストの兵士でもあるからです。

なぜ「宣教の最前線」なのでしょうか。それは、フェミニズムに妥協した混ぜ物の福音は、現在、世界で最も注目されている女性たち――つまり、イスラム教徒とユダヤ教の女性――の魂に訴える力をなんら持していないからです。

イスラム教およびユダヤ教を信じる敬虔な女性たちは、これまた「とことん古い」人たちです。

そして、この人たちに真の意味でリーチできるのは、彼女たちと同類の女性たちだけです。つまり、聖書に徹した「とことん古い」クリスチャン女性です。

☆☆

時代潮流に流されず、かつ伝統主義者にもならず――。これを完全な形で具現したのが、私たちの主イエス・キリストだと思います。

どうか、キリストの弟子として花嫁として、清く忠実に生きていこうとしている全てのクリスチャン女性に、勇気と知恵そして御霊の力が与えられますように。アーメン。


ー終わり―






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今という静けさの中で―ゲルハルト・テルステーゲンの信仰詩

時代潮流に流されず、かつ伝統主義者にもならず。―21世紀を生きる「とことん古く」かつ「とことん新しい」クリスチャン女性たち〔その2〕

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