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初代教会の時期の男性 (ペルシャ地域)

男女双方に対し、勧告したいことがあります。それは、神のわざ、ならびに神の造られたありさまに勝手に手を加えてはならないということです。――そう、黄色の染め物、黒粉、ルージュ、その他あらゆる種類の化粧品のことを私は言っています。

神は言っておられます。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」

私たちはおこがましくも、神がお造りになられたものをいじり、変更を加えようとしているのでしょうか?

キプリアヌス(AD250年)、Ante-Nicene Fathers, vol.5, p.434 私訳



キプリアヌス(200-258)は、北アフリカのカルタゴにある教会の牧師でした。彼は当時、激しい迫害下にあったカルタゴ教会を十年以上にわたり、命がけで牧会した後、ついにローマ人の手に捕えられ、殉教しました。

それではこれから皆さんとご一緒に、初代教会のクリスチャンがメイクや装飾品についてどのように考え、どのような姿勢で臨んでいたのか見てみることにしましょう。

同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。
1テモテ2:9,10

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ神の御前に価値あるものです。
1ペテロ3:3,4



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19世紀のクリスチャン信徒

婦人たちよ、あなたの着る物ではなく、あなた自身の善い人柄によって、夫に認められるようになりなさい。おお善良な女性たち、「虚栄」という装いから逃げ去りなさい。そういった飾りは、売春宿の女性たちにふさわしいものです。悪しき者に打ち勝ちなさい、おおキリストに属する慎み深い女性たちよ!

コモディアヌス(AD240)、ANF 4. p.214



誠実なクリスチャン女性が装飾するというのは、神の御前に正しいことではありません。あなたは髪を染めています。あなたは目じりに黒でアイシャドーを塗っています。髪をアップにし、眉染めしています。また頬を赤みがかったルージュで染めています。この世のご機嫌を取ろうとしているあなたは、キリストの律法を拒絶しているのです。

コモディアヌス(AD240)、ANF.4, p.215



いくら肉体的に処女性を保っていても、他人の妄想をかき立てるような装いをしている人は、慎み深い女性とはいえません。外見の美にこだわることは、悪しき考えから生み出された巧であるだけでなく、「ゆがみ」であるからです、、なぜ彼女の髪の色は変わったのでしょう。なぜ彼女の目じりは黒みがかっているのでしょう。なぜ彼女の顔は人為的に違ったものへと変えられたのでしょう。

ノヴァティアヌス(AD235)、ANF. 5, p.591



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宗教改革期のクリスチャン女性

「スザンナ〔*LXX聖書の中に登場する女性〕は非常にデリケートな女性でした。」これは彼女がけばけばしい装いをしていたとか、イゼベルのように、さまざまな色のアイシャドーを凝らしていたとか、そういう意味ではありません。ここで意味するデリケートというのは、彼女が、信仰、純潔、清さという心の中にある内なる飾りを持していたということです。

ヒッポリトゥス(AD205)、ANF.5, p.193



おおキリストを信じる女性たち。あなたがたは、この世の女性たちに同化しようとしています。あなたはゴールドやシルク製品で身を包み、、、虚栄心が助長されています。また額に垂れ下がるカールした自分の髪をいじろうと鏡の前にいます。

さらに、あなたはいつわりのメイクをしています。また目の所に吐酒石(antimony、古代の皮膚刺激用軟膏)を塗っています。またいつも黒髪でいられるようにと、白髪染めをしています。しかし、こういったものは、慎み深い女性にとって必要なものではありません。

コモディアヌス(AD240)、ANF.4, p.214



女性たちは、人を誘惑に陥れるような狡猾なもので顔に装いをしてはなりません。むしろ荘重なつつしみ深さをもって、それを、自らの飾りとしなさい。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.286



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17世紀のオランダの家族

〔メイクやファッション問題に関し〕この厳格な対処をゆるめるべき状況があることも確かです。例えば、夫が敬虔ではなく、妻に外的装いを求める場合などがそうです。その場合、妻たちは夫を喜ばせるために身を飾ります。しかしその際においても、女性たちがそうする唯一の動機は、「自分の夫を喜ばせるため」という目的に限られるべきです。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.285



妻が外面的な装いをしなくなったら、夫の憎しみ反感を買うようになると考えてはいけません。、、信仰ある夫は、そのような美を要求してはいません。なぜなら、私たちは異邦人が美と考えるようなものに対し、彼らと一緒になって、それらに魅了されるようなことはないからです。

テルトゥリアヌス(AD198)、ANF.4, p.20



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初期クェーカーの男性、17世紀

何であれ生まれつきのもの、天来のものは、神のわざです。その一方、人為的に手が加えられたものは、悪魔のわざです。偽りの顔に自分を装うという行為は、クリスチャンの名を名乗る私たちにとって、なんとふさわしくないものでしょう。

私たちには、あらゆる形において、シンプル性が求められているのです。舌でもって偽ることが不法であるように、外見でもって偽ることもまた不法なのです。

テルトゥリアヌス(AD198)、ANF.4, p.21



宝石・ジュエリー等について

宝石類やゴールドにお金をつぎこむより、人間に対してお金を使う方が、どれほど賢明なことでしょうか。、、なぜなら、女性は内なる人がらを飾りとすべきであり、〈内なる女性〉こそが美しくあるべきだからです。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.268



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アナバプテストの家族、17世紀

聖書のシンボリズムを理解しない女性たちは、なんとしてでも宝石から離れまいとします。そして次のような驚くべき議論を展開するのです。「神様がせっかく見せてくださっているものを、私が使用してはいけないという法があるのでしょうか?」と。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.268



ピアスをするために、耳に穴を開けてはいけません。それは自然にもとる行為です。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.270



贅沢さがここまでひどく浸透してきたために、女性だけでなく、今や男性たちも、この病に憑かれ、浅薄な欲求にうつつを抜かしている状態です。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.275



以前には存在してた、あれほど望ましい結婚生活は今、どこに行ってしまったのでしょう。600年余りに渡り、私たちローマ人の間に、離婚はほとんど見られませんでした。しかし現在、女性たちは体中、関節中に、重いゴールドをひっさげているのです。

テルトゥリアヌス(AD198)、ANF.3, p.23



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16-18世紀のクリスチャン女性

なぜ人々の首は、奇妙な石で重くなり、もはや首が隠れんばかりになっているのでしょうか。こういった宝石類の価格は、多くの人の全財産をも上回る高額なものです。

ノヴァティアヌス(AD235)、ANF.5, p.591



宝石類、ドレス、美の誘惑物は、売春婦や慎みのない女性以外、誰にもふさわしくないものです。

キプリアヌス(AD250)、ANF.5, p.433



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メソディストの女性(1912年、アメリカ)



天に故郷を持つ民として生きる


AD130年に、ローマ人に向けクリスチャンのことを説明した文が残っています。最後にこれを引用し、この記事を終わりにさせていただきます。

彼ら(クリスチャン)は、それぞれの国に、ただ単に寄留者として宿っている、、肉にあっても、肉に従って生きてはいない。地上で暮らしてはいるが、彼らは天の民だ。

彼らは定められた法律を遵守していると同時に、その生き方によって、法をはるかに凌いでいる。万民を愛しているが、すべての人に迫害されている。世に知られず、また非難を受けている。

殺されているが、彼らはやがてよみがえる。貧しいようで、多くの者を富ませている。ほとんど何も持っていないが、彼らはすべてにおいて満ち満ちている。

辱しめられているが、まさにその恥辱のうちに栄光を受けている。そして、彼らを憎悪する者は、その憎しむ何らの理由を挙げることができないでいるのだ。

Letter to Diognetus, Chap.5



わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。

真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。

ヨハネ17:14、17




野の花、主のこころ

不安でどうしようもない私たちを包み込んでくれるもの〔シリーズ3〕