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初代教会の時期の男性 (ペルシャ地域)

男女双方に対し、勧告したいことがあります。それは、神のわざ、ならびに神の造られたありさまに勝手に手を加えてはならないということです。――そう、黄色の染め物、黒粉、ルージュ、その他あらゆる種類の化粧品のことを私は言っています。

神は言っておられます。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」

私たちはおこがましくも、神がお造りになられたものをいじり、変更を加えようとしているのでしょうか?

キプリアヌス(AD250年)、Ante-Nicene Fathers, vol.5, p.434 私訳



キプリアヌス(200-258)は、北アフリカのカルタゴにある教会の牧師でした。彼は当時、激しい迫害下にあったカルタゴ教会を十年以上にわたり、命がけで牧会した後、ついにローマ人の手に捕えられ、殉教しました。

それではこれから皆さんとご一緒に、初代教会のクリスチャンがメイクや装飾品についてどのように考え、どのような姿勢で臨んでいたのか見てみることにしましょう。

同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。
1テモテ2:9,10

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ神の御前に価値あるものです。
1ペテロ3:3,4



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19世紀のクリスチャン信徒

婦人たちよ、あなたの着る物ではなく、あなた自身の善い人柄によって、夫に認められるようになりなさい。おお善良な女性たち、「虚栄」という装いから逃げ去りなさい。そういった飾りは、売春宿の女性たちにふさわしいものです。悪しき者に打ち勝ちなさい、おおキリストに属する慎み深い女性たちよ!

コモディアヌス(AD240)、ANF 4. p.214



誠実なクリスチャン女性が装飾するというのは、神の御前に正しいことではありません。あなたは髪を染めています。あなたは目じりに黒でアイシャドーを塗っています。髪をアップにし、眉染めしています。また頬を赤みがかったルージュで染めています。この世のご機嫌を取ろうとしているあなたは、キリストの律法を拒絶しているのです。

コモディアヌス(AD240)、ANF.4, p.215



いくら肉体的に処女性を保っていても、他人の妄想をかき立てるような装いをしている人は、慎み深い女性とはいえません。外見の美にこだわることは、悪しき考えから生み出された巧であるだけでなく、「ゆがみ」であるからです、、なぜ彼女の髪の色は変わったのでしょう。なぜ彼女の目じりは黒みがかっているのでしょう。なぜ彼女の顔は人為的に違ったものへと変えられたのでしょう。

ノヴァティアヌス(AD235)、ANF. 5, p.591



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宗教改革期のクリスチャン女性

「スザンナ〔*LXX聖書の中に登場する女性〕は非常にデリケートな女性でした。」これは彼女がけばけばしい装いをしていたとか、イゼベルのように、さまざまな色のアイシャドーを凝らしていたとか、そういう意味ではありません。ここで意味するデリケートというのは、彼女が、信仰、純潔、清さという心の中にある内なる飾りを持していたということです。

ヒッポリトゥス(AD205)、ANF.5, p.193



おおキリストを信じる女性たち。あなたがたは、この世の女性たちに同化しようとしています。あなたはゴールドやシルク製品で身を包み、、、虚栄心が助長されています。また額に垂れ下がるカールした自分の髪をいじろうと鏡の前にいます。

さらに、あなたはいつわりのメイクをしています。また目の所に吐酒石(antimony、古代の皮膚刺激用軟膏)を塗っています。またいつも黒髪でいられるようにと、白髪染めをしています。しかし、こういったものは、慎み深い女性にとって必要なものではありません。

コモディアヌス(AD240)、ANF.4, p.214



女性たちは、人を誘惑に陥れるような狡猾なもので顔に装いをしてはなりません。むしろ荘重なつつしみ深さをもって、それを、自らの飾りとしなさい。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.286



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17世紀のオランダの家族

〔メイクやファッション問題に関し〕この厳格な対処をゆるめるべき状況があることも確かです。例えば、夫が敬虔ではなく、妻に外的装いを求める場合などがそうです。その場合、妻たちは夫を喜ばせるために身を飾ります。しかしその際においても、女性たちがそうする唯一の動機は、「自分の夫を喜ばせるため」という目的に限られるべきです。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.285



妻が外面的な装いをしなくなったら、夫の憎しみ反感を買うようになると考えてはいけません。、、信仰ある夫は、そのような美を要求してはいません。なぜなら、私たちは異邦人が美と考えるようなものに対し、彼らと一緒になって、それらに魅了されるようなことはないからです。

テルトゥリアヌス(AD198)、ANF.4, p.20



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初期クェーカーの男性、17世紀

何であれ生まれつきのもの、天来のものは、神のわざです。その一方、人為的に手が加えられたものは、悪魔のわざです。偽りの顔に自分を装うという行為は、クリスチャンの名を名乗る私たちにとって、なんとふさわしくないものでしょう。

私たちには、あらゆる形において、シンプル性が求められているのです。舌でもって偽ることが不法であるように、外見でもって偽ることもまた不法なのです。

テルトゥリアヌス(AD198)、ANF.4, p.21



宝石・ジュエリー等について

宝石類やゴールドにお金をつぎこむより、人間に対してお金を使う方が、どれほど賢明なことでしょうか。、、なぜなら、女性は内なる人がらを飾りとすべきであり、〈内なる女性〉こそが美しくあるべきだからです。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.268



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アナバプテストの家族、17世紀

聖書のシンボリズムを理解しない女性たちは、なんとしてでも宝石から離れまいとします。そして次のような驚くべき議論を展開するのです。「神様がせっかく見せてくださっているものを、私が使用してはいけないという法があるのでしょうか?」と。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.268



ピアスをするために、耳に穴を開けてはいけません。それは自然にもとる行為です。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.270



贅沢さがここまでひどく浸透してきたために、女性だけでなく、今や男性たちも、この病に憑かれ、浅薄な欲求にうつつを抜かしている状態です。

アレクサンドリアのクレメンス(AD195)、ANF.2, p.275



以前には存在してた、あれほど望ましい結婚生活は今、どこに行ってしまったのでしょう。600年余りに渡り、私たちローマ人の間に、離婚はほとんど見られませんでした。しかし現在、女性たちは体中、関節中に、重いゴールドをひっさげているのです。

テルトゥリアヌス(AD198)、ANF.3, p.23



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16-18世紀のクリスチャン女性

なぜ人々の首は、奇妙な石で重くなり、もはや首が隠れんばかりになっているのでしょうか。こういった宝石類の価格は、多くの人の全財産をも上回る高額なものです。

ノヴァティアヌス(AD235)、ANF.5, p.591



宝石類、ドレス、美の誘惑物は、売春婦や慎みのない女性以外、誰にもふさわしくないものです。

キプリアヌス(AD250)、ANF.5, p.433



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メソディストの女性(1912年、アメリカ)



天に故郷を持つ民として生きる


AD130年に、ローマ人に向けクリスチャンのことを説明した文が残っています。最後にこれを引用し、この記事を終わりにさせていただきます。

彼ら(クリスチャン)は、それぞれの国に、ただ単に寄留者として宿っている、、肉にあっても、肉に従って生きてはいない。地上で暮らしてはいるが、彼らは天の民だ。

彼らは定められた法律を遵守していると同時に、その生き方によって、法をはるかに凌いでいる。万民を愛しているが、すべての人に迫害されている。世に知られず、また非難を受けている。

殺されているが、彼らはやがてよみがえる。貧しいようで、多くの者を富ませている。ほとんど何も持っていないが、彼らはすべてにおいて満ち満ちている。

辱しめられているが、まさにその恥辱のうちに栄光を受けている。そして、彼らを憎悪する者は、その憎しむ何らの理由を挙げることができないでいるのだ。

Letter to Diognetus, Chap.5



わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。

真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。

ヨハネ17:14、17




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野の花、主のこころ

不安でどうしようもない私たちを包み込んでくれるもの〔シリーズ3〕

comment iconコメント ( -19 )

こちらこそ感謝です

ミヤサカ兄弟、お返事ありがとうございます。このように貴重な学びの機会が与えられ、私もウキウキしています。Kuruvillaさんたちが以前、アーミッシュの教会に通っていたのか、それともメノナイトだったのか定かではないので(でもおそらくメノナイトだと思います)今度、奥さんと連絡する機会があったら、馬車と車のこと(笑)訊いてみることにしますね!!  

名前: Kinuko [Edit] 2016-03-01 22:32

納得

>>Kuruvillaさんが4年間通ったという相互扶助の教会はたしかアメリカ東部の保守メノナイト・コミュニティーだったと思います。

 すべて納得いきました(笑)。もし私の記憶に間違いがなければ、彼らの移動手段は馬車のはずですから、政府が自動車保険について譲歩できるのも理解できます。ましてや、彼らのように歴史的にも確固としたアイデンティティーを社会でも認められているグループ(それはある意味、アメリカの開拓者のアイデンティティーそのものではないでしょうか)ならば、なおさらだと思います。
 勉強になりますね。感謝です。
 

名前: ミヤサカ [Edit] 2016-03-01 22:17

Re: アーミッシュと保険

さなえさん、こんにちは。アーミッシュの人々は社会保険に入っていないんですね。Kuruvillaさんが4年間通ったという相互扶助の教会はたしかアメリカ東部の保守メノナイト・コミュニティーだったと思います。

さなえさんがおっしゃった「互いへのコミットメントと信頼」というのはKeyだと思います。ロシアからカナダのManitobaに亡命したメノナイト・コミュニティーの歴史を読んだことがあります。

一時期、カナダが右傾化し、公教育を強制し始めた時があったそうです。政府に嘆願したものの、コミュニティーでのクリスチャン教育を拒否され続けた結果、彼らはなんとコミュニティーごとみんなで、南米のメキシコおよびパラグアイに移動していったのです。これには本当に驚かされました。

そしてひどい貧窮のうちにも、皆で力を合わせ、木を伐り、家を建て、教会を建てていったのです。元々彼らがロシアやウクライナに移動したのも、ドイツやチロル地方での迫害を逃れるためであったと聞いています。

土地から土地へ、国から国へ移動するキリスト者たちの群れ。このような証しを読むと、私たちクリスチャンが寄留者であり、旅びとであることをよりリアルに感じます。

名前: Kinuko [Edit] 2016-03-01 20:46

アーミッシュと保険

ブルース君の事件、以前に報道で見ました。確かこの家の子どものうちの幾人かは里子で、親は台所に鍵をかけて子どもたちが入れないようにし、粉(小麦粉かケーキミックスだったと思います)だけを投げ与えていたそうです。ブルース君の写真も見ましたが、どう見ても小学生にしか見えず、19歳と聞いて驚いたのを覚えています。アメリカでも里子を養育すると自治体から養育費が出るので、そのお金目当てに里子を引き取り育児放棄をしていたようです。

アーミッシュの人々は確か社会保険に入っていません。彼らも相互扶助の精神で、病気や事故に遭った教会員を助けています。バザーなどでお金を集める事もあると聞きました。交通事故の被害に遭い負傷した場合でも、加害者を訴えたり賠償を求める事はいっさいしないそうです。

教会員というものが極めて流動的で、「多くの人が離れていき、多くの人が入ってくる」のが珍しくなくなっている多くの先進国の教会で、こうしたあり方はとても珍しいのではないかと思います。個人の信仰だけでなく、互いへのコミットメントと信頼がなければ出来ない事だと思います。

アメリカでは医療費が払えない貧しい人々の為の慈善病院もあると聞きました。救世軍の積極的な支援活動も非常によく知られています。この国の生きた信仰を持つクリスチャンたちの底力を感じます。



名前: Sanae.T [Edit] 2016-03-01 20:05

ミヤサカ兄弟、こんにちは。挙げてくださった牧師さんの例は、個人の違法行為と教会の責任ということを考える上でとても参考になりました。

またそれだけでなく、教会の牧会や監督という役割が男性に託されているというのもやはり神の知恵だなあとつくづく(自分を見て《笑》)思わされます。たとえば、私はKuruvillaさんの文章を読んで、アナニアとサッピラの例や、コリント教会の例(Ⅰコリント11:17)など思い付きもしませんでした。でも兄弟のお返事を読んでなるほどと思わされました。日々、成長していくことができたらいいなと思っています!これからもよろしくお願いします。

名前: Kinuko [Edit] 2016-03-01 19:57

 いい意味でとてもアメリカ的なスピリットを感じます。地域教会の運営形態や社会における教会の立ち位置など、あまりに多くの要素が絡みすぎて簡単には判断しがたいのですが、「自動車保険の免除」を要請し、政府がそれを認可するというのは本当に驚きます。少なくともイタリアでは考えられないことです。
 去年、ある教会の牧師が教会のお金で購入したばかりの車を運転していて事故を起こしたことがありました。幸いにして軽度の人身事故で、器物破損の賠償を含め、保険によってカバーできたらしいのですが、教会は車の修理代を払うのを拒否したと聞きました。なぜなら、後でその牧師がハンドフリーを使わず携帯電話で話しながら運転していて事故を起こしたから判明したからです。
 その後の経過は知りませんが、個人的な違法行為の責任を教会が負担するのを拒否するのは正しい判断だと思いました。
 使徒パウロは「あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい」(ローマ14:16 )と勧告しましたが、アナニアとサッピラの例や、コリント教会の例(Ⅰコリント11:17)にもある通り、交わりや共有という良い事がそしりの種にならないようにするには、成熟した霊性が必要だと思います。

名前: ミヤサカ [Edit] 2016-03-01 17:41

その3

保険について


こんなクリスチャンの本の中で「保険」のことが取り扱われているのをみて、驚く読者の方もおられるかもしれません。私もこれまでずっと一般の人々が考えるように保険のことを考えてきました、、また医者として私は、保険会社の方々と関わる機会が多くあり、保険システムの機能についてもいろいろと学んできました。

しかしそんな私の見解および価値観を根本から揺るがすような一大変化が訪れたのです。

それは、数年前、ある教会に通っていた時、その教会コミュニティーの方々が、医療保険制度から身を引き、この「保険」機能を、教会として行なっていたのを目の当たりにしたことがきっかけでした。いくつもの州に散在する何千人という教会員が力を合わせ、何十年もの間、このやり方で立派にこの機能を果たすことができていたのです!

たとえば、自動車事故や重病のため、どこかの教会でニーズがあると、各教会の指導者がその個人名および状況を説明し、教会員がそれに呼応して助けるのです。

でも、当初、私は「そんなことが一体可能なのだろうか?」とかなり懐疑的に見ていました。でも、その後4年間に渡り、実際に、兄弟たちが犠牲的な愛をもって、ひとつひとつのニーズを満たしていく姿を目撃し、私は深く感動しました。――いや、感動で「溶かされた」と言った方がいいかもしれません。

私は使徒の働きのあの側面が、今日の世界でさえ実際にポッスィブルなのだ、ということをこれまで一度も考えたことがなく、想像したことすらなかったのです。このような生きた実例を目の当たりにした私は、新鮮な目をもって、み言葉に取り組むようになりました。

☆☆

、、もちろん、教会生活のこういった美しい原則は、これが厳めしい「規則」になった時、醜いものになり得ます。

しかし、教会が自分の兄弟たちに対するケアという点で(この世とは)ラディカルに異なる聖書的方法を指し示すことができない限り、この世は、教会が本気でイエスに従っているとは決して信じようとしないでしょう。

この種の愛の提示は困難なタスクです。なぜならこの世のストラクチャーは、個人主義、安楽、安定に傾いていくのが常であり、また「顔の見えない」組織や行政機関に依拠しようとする自然の傾向があるからです。

、、アメリカのいくつかの教会は、ヘルスケアや自動車保険の免除を政府に嘆願し、それが受理されました。そしてその後何十年もの間、彼らはお互いのニーズを補い合っているのです。


―引用おわり―

名前: Kinuko [Edit] 2016-03-01 16:17

その2

今朝、ボストンにいるF・クルヴィラ兄と彼の牧会する教会の兄弟姉妹のことを思い出しました。彼らもまた、ミヤサカ兄弟やさなえ姉妹のようにこの問題に真正面から向き合おうとしているクリスチャンだからです。

ご存知のように、アメリカは医療保険が高く、保険費を払えない貧しい人々は、病気になっても治療を受けることができない状態にあります。

以下はクルヴィラ兄のKing Jesus Claims His Churchの5章 Equality among brothers(兄弟たちの間における平等)からの一部抜粋です。私は個人的に、イエス様のみことばを文字通り真剣にとらえ、それに生きようとしている彼ら兄弟姉妹の方向性にとても共感を覚えています。

〔2003年のニューヨーク・タイムズの記事の引用。要約。ニュージャージー州で夜中の2時半、ごみ箱をあさっている男の子ブルース君(19)が警察に保護されました。体重が45パウンドしかなく明らかに栄養失調状態にあった彼の状態をみた警察は、彼の家庭の事情調査にふみきりました。

すると驚くべきことに、その家には7人の子どもがおり、3人は健常で、食べ物もよく与えられていた反面、残りの4人は放置され、栄養失調状態にあるという事実が発覚したのです。〕

この実話は、今日の教会の実態を物語ってはいないでしょうか。

私たち信仰者は皆、ひとつの「神の家族」であるはずなのに、一部のクリスチャンは富み、肥えている一方、残りの人々は貧困に苦しみ、飢えているのです。

☆☆

「与える」のではなく「分かち合う」


Sharingというのは普通、家族間で行なう行為であるのに対し、givingというのは一度切りの付き合いの人あるいはもう二度と会うことのない人々に対してなされるのが普通です。

Sharingというのはより困難なものです。なぜかというと、これは関係性を伴う行為であり、隣人や兄弟との共生およびかかわりを学んでいくプロセスにつながるものだからです。

もちろんgivingも大切な位置を占めていますが(ルカ12:33)、弟子たちが実践していく主たる行ないは、このsharingです。


(その3)につづきます。

名前: Kinuko [Edit] 2016-03-01 15:48

おはようございます

さなえ姉妹、ミヤサカ兄弟へ

私は昨日、皆で意見交換した内容や、それから昨晩いただいたコメントのことを夜も、それから朝起きてからもずっと考えていました。そして、この問題に対して逃げず、言い訳をせず、spiritualizeした解釈をして良心をなだめるのでもなく、苦しみ・葛藤しながらもなんとかそれに向き合おうとしているさなえさんとミヤサカ兄弟のその心の姿勢に感動を覚え、また共感しました。このような兄弟姉妹と交わることが許され、私はとても幸せです。

福音の力によって、内側からさらに変えられていく必要を私も感じています。自分が矛盾の中でいわばマヒした状態で生きているという実態が光の中で暴露されるのはつらいプロセスですが、「あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません」(ルカ14:33)というイエス様のことばを真剣に受け取りたいと思っています。

(その2)につづきます。

名前: Kinuko [Edit] 2016-03-01 15:19

 イタリアの場合、相対的にアフリカに近いので、ブルキナファゾなどに対して様々なサポート(学校や孤児院など)を教会単位でも行っているのですが、それとはまた違うレベルで、先進国に生きる私たちの在り方を根本的に見直すように迫られているように思えます。
 例えば、ブルキナファゾでは20ユーロは一人の子供の一か月の必要を十分に賄えるでしょうが、先進国に生きる私たちにとって月20ユーロがどれほどの比重をもつかを考えれば、貧困に対するサポートが「こちら側の自分のライフスタイルを保守する」上で「良心の呵責を宥めるため」に利用されてしまう危険は現実にあるわけです。
 勿論、個人的動機を他人が量ることはできないとは思います。それでも自分の中でも根拠のない指摘でもありません。
 やはり福音の力によって、内側からさらに変えられていく必要を痛感します。

名前: ミヤサカ [Edit] 2016-03-01 02:53

きぬこさんへ

貴重なお話、ありがとうございます。この分かち合いという事に関する様々な葛藤や経験が、読みながら色々と思い浮かびました。確かに御霊がどのように導かれるかはその時々で違い、自分自身でも「どうしてだろう」と理由がよく分からないまま従わされる・・という事が何度もありました。

霊的病からの解放がなければ、真の解決はない。これには本当に同意します。

相手から思わぬ不誠実が返って来た時に、何も求めていないつもりの自分が本当は心の中で感謝や誠実さと言った見返りを欲していた事に気づかされることが何度もありました。ハーゼムさんのお話しにはぐっと来ました。これは神様になければ出来ない対応だと思います。

このトピックは多くのクリスチャンが葛藤を抱えている部分ではないかと思います。またいろいろ分かち合いが出来れば良いなと思います。God bless you!


名前: Sanae.T [Edit] 2016-03-01 00:26

ミヤサカさんへ

何年か前にあるフェアトレード団体のレポートで、ファストファッション革命がもたらした途上国の生産現場への悲惨な搾取が取り上げられていました。確か原料や労働力を先進国企業に買い叩かれるインドの綿生産農家・バングラデシュ縫製工場の凄まじく悲惨な現状が書かれていたと思います。衣服に限らず、輸入雑貨・食料に関しても価格を下げる為に多くの搾取が行われ、国によってはコストを下げる為の児童労働が未だに横行しているそうです。

当時フェアトレードの衣料品をよく購入していたのですが、様々な理由から高額化が進み、最近はなかなか手が届かなくなりました。(食料品は今でも購入することがあります。)

こういった事情を知ってしまうと、やはり先進国で生活している事自体が、搾取を助長しているような気持ちにさせられます。とはいえ物を大切に使う、リサイクル品を求める・・宮坂さんの仰るように与えられたものに感謝し大事にする。こういった事しか出来る事が思い浮かばない自分もまたいます。ただこれらの事実を知らされた事には、何かの意味があるのかも知れないとも思います。

「人間が自分の考えで神様の偉大さを表現しようと画策すると、とにかく大きく立派で目立つものをと考える。」とどなかが仰っていました。また「これは宗教を問わない」とも言われていたと思います。本当に人間は自分の力では、神様に喜ばれることは出来ないのだなと改めて思いました。


名前: Sanae.T [Edit] 2016-03-01 00:02

追伸です♡

アッシリア人牧師ハーゼム兄のことで一つ挿話があります。(他の方から聞いた話です。)

やはり彼の所にも「~~をください」と頼みにくる人が絶えなかったようです。ある日、ある家族が今月の家賃代が払えないといって彼の所に来たそうです。するとハーゼム兄は(その家賃代を)そっとその家族に渡しました。

しかし恩知らずなその家族は、教会の建物を出るなり、キリスト教やハーゼム兄のことをあしざまにけなし始めたそうです。それを耳にしたM姉が心を痛め、ハーゼム兄に今耳にしたことを伝えました。

するとハーゼム兄は、まあまあと手をふりながら彼女を落ち着かせ、こう言ったそうです。「わかっています。私にはわかっているんです。あの人々が陰で言っていることも。」そして笑顔で彼女を家に帰したそうです。

なぜかこの話が私の心に深く残りました。

名前: Kinuko [Edit] 2016-02-29 21:57

さなえさん、ありがとうございます!

「こちらが喜んで分かち合える範囲を遥かに超えた要求をしてくる、、」これはとてもリアルで身につまされます。

誰に、どのような形で、どのように仕えていくのかというのは、御霊の導きなしには、とても難しいものだと思います。

ワールド・ビジョンで働いていた友人も、その難しさを語っていました。ワールド・ヴィジョンはクリスチャンの国際援助機関ですが、彼女の働いていた部署では必ずしも職員全員がクリスチャンであるわけではなく、また、「組織的に」途上国の諸問題を解決していこうという取り組みの過程で、彼女はいろいろと限界を感じたそうです。

例えば、金銭に執着するという強欲の罪が、富者特有のもので、貧しい人々の間には見られないかというと決してそんなことはなく、億万長者のAさんと同じだけの強欲が、路上で物乞い生活をしているBさんの心の中にも巣食っている場合が確かにあります。

☆☆

Mさんという方が家の戸をたたいて、「僕は無一文です。朝から何も食べていないのです。10ユーロ恵んでください」と言いました。でもヘビースモーカーであるMさんの胸ポケットには今日も新しい煙草がきちんと収められています。

Mさんがお腹をすかせているのは事実です。でもMさんは現在、与えられた祝福を正しく使うことのできない霊的病のうちにあるため、10ユーロで食料を買う力がなく、結局、そのお金はタバコ代に消えていってしまいます。

ワールド・ビジョンで働いていた友人が抱えていた葛藤もまさにこの部分にあったと思います。どんなに物質的な供給ができても、人々がこういった霊的病や縛りから解放されない限り、つまり、イエス様に出会わない限り、そこに根本的な解決はないのではないかと思います。

私の主人はMさんを台所に呼んで、「これからもお腹がすいたらいつでも食べに来なさい。でも現在のあなたには1セントたりともあげることはできない。なぜなら、あなたはそのお金を食べ物のために使うことができない状態にあるから。」とはっきり言っていました。

でもあるアフガン人夫婦に対しては御霊は主人を違った風に導いていました。この夫婦も、食糧にも事欠くような惨状にありながら、なぜか最新のスマホを購入していたりと、、Mさんと類似の霊的問題を抱えていました。しかし御霊は主人に「スーパーに行って、十分な食料品を彼らに提供するよう」導いたそうです。

(その後、このご主人はイエス様を信じ救われました。彼の救いの証しを聞いて、あの時、なぜ御霊が主人をあのような形で導いたのかが分かりました。)

でも私にはそういう点での峻別がむずかしく、どう対処していいのか分からないことが多々あります。(もしかしたらこれも私が聖霊のバプテスマを受けていないことと関連しているのかもしれません。)

名前: Kinuko [Edit] 2016-02-29 21:24

ありがとうございます。

ミヤサカ兄弟、発展途上国に対する先進国による搾取の実態についてのお話、私も非常に考えさせられました。また、フィリピンやネパール、タイ、インド、北アフリカといった国にいた時に目の当たりにしたのは、発展途上国内での、搾取と貧富の差の激しさでした。これもまた解決の難しい問題だと思います。

その意味でも、ベルソー夫妻が現地で実行しているホンジュラスでのmicro-loan programは、その暗く複雑な国際社会構造に、小さくても、それでも堅実な一粒の実をもたらしているのではないかと考え、自分のできる範囲でこれからも協力していきたいと思っています。

ああ、それから、イタリアのプロテスタント教会でも立派な礼拝堂や、高価な音響機器を使ってのコンサートなど、、そういう問題が起こっているのですね。やはり「立派な礼拝堂」志向というのは、コンスタンティヌス帝以来、 今日に至るまでとぎれることなく続いているということでしょうか。でもそれと同時進行で、真のエクレシアを求める信仰者の群れも、これまでとぎれることなく存在しつづけてきたという事実に慰めを感じます。

コメントをくださってありがとうございました。うれしかったです。

名前: Kinuko [Edit] 2016-02-29 20:19

分かち合う難しさ

分かち合う大切さは聖書にも書かれていますし、多くのクリスチャン家庭の方は既に生活の中で実践しておられると思います。(国際援助やボランティアというような形でなくとも)お金、食料などの物質的なものだけではなく、時間や心の分かち合いもきっと多くなされているでしょう。喜んで分かち合えるものを必要のあるところに持っていくことは、互いにとって大きな励ましになると思います。神様の恵みが流れる時、与える側も受ける側も共に恵みを受けると聞いた事があります。きっとそうだと思います。

数年前クリスチャンの友人と分かち合う事での難しさについて、長い時間話し合った事があります。子どもに対して分かち合う大切さを教えていきたいが、こちらが喜んで分かち合える範囲を遥かに超えた要求をしてくる、同情すべき事情を抱えた相手に対してどのように接するか。私も彼女も子育ての中で、同じような葛藤を抱えた事がありました。一線を引き、ここまでしか出来ないと正直に言うしかないとの結論に達したのですが、実際そこにたどり着くまでにはやはり葛藤もあるという話になりました。

マザーテレサの言葉を最初に知った時(ずいぶん昔です)まず思ったのは、「きっとインドのお金持ちは身銭を切って助けたって人は裏切るし信用出来ないけど、犬や猫は裏切らないと思っているんだろうな。」という事でした。

日常生活の場からグローバルな視点に至るまで、どんな形であっても分かち合う事を真剣に考えようとすると、やはり様々な葛藤が生じてくるように思います。知らず知らずのうちに見返りを求めてしまう、自分の思わぬ傲慢な姿に出会う事もあります。

実際に支援の場におられる絹子さんは、きっとこの点で様々な経験をお持ちだと思います。また機会のある時に、分かち合いを頂ければと思います。

名前: Sanae.T [Edit] 2016-02-29 19:21

Kinuko姉妹、Sanae姉妹へ、
 以前、あるドキュメンタリーで発展途上国に対する先進国による搾取のテーマを扱っていたのですが、個人的に非常に考えさせられました。それは、私がひとりの信仰者として、ごくシンプルで手頃な価格だと判断して購入していた衣類や電気機器が、実は発展途上国における信じられないような労働条件の下で製造されているという告発でした。一人の消費者として当然、「いいものをより安く」という思いはありますが、信仰者として外観上の虚栄に重きを置かないという自意識があった分、それは強烈なボディーブローでした。
 だからといって、「自分がそのような矛盾の中に生きている」という自覚や「与えられているものを大事にする」という自覚以外、何か具体的な手を打っているわけではないので何も言えないのですが、そのような消費社会構造の中に生きる在り方があまりにも「普通」になっていて、何かの行動はもちろん、意識し続けることさえ難しいのは、とても悲しいことです。
 この問題は、教会においても大いに共有すべきことだと思います。イタリアの福音派教会は、市民や奴隷を搾取して建造され装飾された大聖堂や、金銀や宝石をつけた聖職者の衣類の虚栄を非難しがちですが、レベルの差はあるとはいえ、本質的には似たような構造の中で、しかも自意識なく生きています。
 また借金してまで立派な礼拝堂を建て、非常に高価な音響機器を使ってコンサートを企画したりします。すべては「福音のため」という大儀のもとで。
 本当に考えさせられます。

名前: ミヤサカ [Edit] 2016-02-29 18:50

Re: 優先順位

<しかしやはりこれらの言葉を耳にすると、私たちは神様の前に優先順位を何か間違えているのではと思います。そしてこのような状況を生み出しているのは自己中心や信仰の欠如と同時に、人間への不信であると思います。ここをひっくり返すものは、きっと「神様を深く知る」事以外に何もないのではないかと思います。

さなえさん、おはようございます。洞察力に富んだこのコメントをありがとうございます。いただいたコメントに触発され、宝石業界の年間売り上げなどの統計を少し調べてみました。それによると、


2014年、アメリカ宝石・ウォッチの総売り上げ金額:約780臆ドル($78.08 billion)

アメリカ一世帯で宝石・ウォッチ購買に使われた平均金額:612ドル(2013年度の調査)

(参:http://edahngolan.com/Docs/Edahn_Golan-2015_US_State_of_the_Jewelry_Market.pdf


また資生堂の2015年度の売上げ高は、7,631億円

(参:http://www.shiseidogroup.jp/ir/finance/highlight.html

という統計結果が出ています。


ちなみに、国際飢餓対策機構の2014年度の年次報告書を読んだところ、

支援合計 5億5,241万4,633円となっていました。

このホームページを読んで知ったのは、今、世界では一分間に17人もの人間が、飢餓のゆえに死んでいっているそうです。

世界の飢餓問題と、富める人間の贅沢という問題については、リベラル左派の方々が鋭く指摘していると思います。この点において、たしかに、彼らの批判は的を射ていると思います。

各統計の数値は、さなえさんがおっしゃるように、「神様の前に優先順位を間違えている」人間の罪を暴露していると思います。

「公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ」(アモス5:24)


2000年という年月を隔ててはいても、同じ御霊を宿し、同じ主を愛するクリスチャンたちの勧告が、21世紀に生きる私たちの心にまっすぐに入ってくるというのは、本当にすばらしい神のわざだと思います。

名前: Kinuko [Edit] 2016-02-29 16:38

優先順位

「宝石類やゴールドにお金をつぎ込むより、人間に対して使う方が、どれほど賢明なことでしょうか」この言葉が印象的でした。

ある本で「食糧援助よりも化粧品に40倍ものお金が使われている」と書いてあるのを読んだ事があります。インドで路上生活者たちを支える働きをしてきたマザーテレサは、「人間よりも犬や猫たちのほうがもっと大切にされている」と現状を悲しんで言ったそうです。

私は化粧や装飾品が100%の悪とは思いませんし、ペットを大切にするのは良い事です。しかしやはりこれらの言葉を耳にすると、私たちは神様の前に優先順位を何か間違えているのではと思います。そしてこのような状況を生み出しているのは自己中心や信仰の欠如と同時に、人間への不信であると思います。ここをひっくり返すものは、きっと「神様を深く知る」事以外に何もないのではないかと思います。

名前: Sanae.T [Edit] 2016-02-29 05:41

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