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ボヘミヤ地方、チェコ共和国


はじめに


キリスト教の宣教史の中においても、「モラヴィア兄弟団」という信徒グループは実にユニークで特異な光彩を放っていると思います。

霊的な観点からみると、この兄弟団は、その源流を14世紀のジョン・ウィクリフ、および彼の教えに従ったロラード派にまで辿ることができると思います。

ローマ教会を批判し、聖書こそに信仰の基礎をおくことを唱えたウィクリフは、宗教改革の先駆者といわれています。


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ジョン・ウィクリフ (1320-1384)


そしてウィクリフに啓示されたこの真理は、当時、オックスフォード大で彼の講義を聴講していた一人の留学生の魂を震撼させました。

その留学生は受けた恵みと感動を胸に故郷ボヘミヤに帰り、周りの人々に熱くその教えを説き始めました。

それに感銘を受けたのが、プラハの神学者ヤン・フス(1369-1415)です。もともとヴァルド派という福音的な信徒グループの伝道により、福音を受け入れる心の土壌がすでに肥やされていたボヘミヤの人々は、フスの説く福音のメッセージに燃え立ちました。

やがてフスは捕えられ、異端として火あぶり刑に処せられましたが、彼の魂に宿っていた福音の炎は消されることはありませんでした。


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焚刑に処せられるヤン・フス

「どうか私の霊を強めてください。あなたがいなければ、私たちは、あなたのために残酷な死へと向かうことはできません。私に恐れなき心と正しい信仰と、確信に満ちた希望と、完全な愛を与えてください。そうすれば、私はあなたのために信仰と喜びをもって、私のいのちをささげるでしょう。アーメン」 

―処刑二週間前に書き記された、フスの獄中書簡より



こうして、そこからボヘミヤ兄弟団が誕生したのです。

この兄弟団の中からも傑出した神の僕たちが起こされ、焚書の憂き目を逃れ生き残った彼らの書物のいくつかは今も現存しています。(例えば、ペトル・ヘルチッキーの『信仰の網』(1440年)、ヤン・アーモス・コメンスキーの『世界の迷路と心の天国』など。)


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宗教権威者たちの前で、信仰を証するペトル・ヘルチッキー(Petr Chelčický, 1390-1460)

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ヤン・アーモス・コメンスキー (1592-1671)


所持品、妻子すべてを失い、故郷モラヴィアから亡命したコメンスキーは、祖国に最後の別れを告げた際、跪き、次のように祈りました。

「ああ御父よ、この民をあわれんでください。どうか彼らのうちに、隠れた種を保ち続けてください。」

(この祈りがその後、いかにしてきかれ、実を結ぶに至ったかについての証は、ここをお読みください。)



こうしてボヘミヤ兄弟団の火は、ツィンツェンドルフ伯の敷地内に逃げ込んでいた宗教難民たちの間でリバイバルの炎となって再熱し、こうしてわびしい「難民キャンプ」が一転して「世界宣教センター」へと様変わりしたのです!モラヴィア兄弟団の誕生です。

(ちなみに、ジョージア宣教で挫折し落ち込むジョン・ウェスレー青年の心に信仰復興の火が灯されたのは、彼が転覆しそうな船の中で、モラヴィア兄弟団の信徒たちの強烈な信仰に接したこと――これが直接のきっかけでした。

こうしてモラヴィアの火は、ウェスレーを通して英国に飛び火し、そして18世紀のあの英国信仰復興運動へとつながっていきました。)


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暴徒に襲われる伝道者ジョン・ウェスレー


それでは次の記事で、モラヴィア兄弟団の一青年レオナルド・ドーバー兄についてご一緒にみていこうと思います。
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レオナルド・ドーバー青年、西インド諸島へ行く(モラヴィア兄弟団、18世紀)その2―眠れない夜

伝道真髄―三谷隆正

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