832220160302.jpg
セント・トーマス島


こうしてレオナルドとデイヴィッドの乗った船は、1732年12月13日、セント・トーマスの港に無事、着きました。

二人は目を輝かせ、カリブ海に浮かぶ島の情景に見入りました。

赤い屋根は太陽の光を受けきらめき、ヤシの木は銀色の海辺にどこまでも続いていました。向こうの方にはやわらかい緑の丘が見え、その上には紺碧の空がひろがっていました。なにもかもが美しく、まるで天国のようでした。


呪われたパラダイス


しかし島の中に一歩足を踏み入れた彼らの目に飛び込んできたのは、想像を絶する人間の悲惨でした。


94f8aab38754768223bed5a019895e18652909572016030202.jpg


白人領主に鞭打たれ、蹴られながら砂糖プランテーションで酷使されている黒人たちの数の多さと、その惨状に、二人は声を出すことすらできませんでした。

さらにショックだったのが、彼らを酷使している白人たちが、自分たちと同じプロテスタントのクリスチャンであるという事実でした。


過去に向き合う


ここで私は、自分たちの信仰の先人の犯した罪の部分に向き合う必要性を感じています。

個人の歩みにおいても、教会の歩みにおいても、そこには輝かしい光の部分もある一方、できれば墓場まで隠し持っていきたいと思うような恥、闇、挫折の部分もあります。

クリスチャンが深く関わった過去の植民地支配の醜悪史は、現在でも、多くのノン・クリスチャンのつまずきとなっています。

どうか主が私たちプロテスタントのクリスチャンが過去に犯してきた犯罪や罪を赦してくださり、私たちがその事実の前に真にへりくだり、祈ることができますように。

そしてこれらを教訓とし、もう二度と同じ過ちを犯すことがないよう、私たちを助けてください。

大義名分の下にひそんでいるどんな悪をも見破る、清らかで澄んだ目を私たちに与えてくださり、イエス・キリストの御名によって人を虐げたり、殺したりする邪悪をキリスト教会から締め出してください。


砂糖が欲しい!


そもそもなぜカリブ海の島に、アフリカの黒人がいるのでしょうか。なぜこれほど多くの砂糖プランテーションがあったのでしょうか。

セント・トーマス島は1657年にまずオランダ領となり、その後、66年にデンマークに併合されたため、島にはオランダ改革派教会およびルーテル教会が混在していました。

しかし150ものプランテーションの領主の多くはオランダ改革派教会のクリスチャンだったようです。

17世紀から18世紀にかけて、デンマークなどのヨーロッパでは喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に高まりました。


Five-O-Clock-Tea-e136318435765320160302.jpg
午後のティー・タイム


そこで人々は考えたのです。「砂糖が欲しい。でもデンマークは狭い。そうだ。植民地で大きなプランテーションを作り、そこで採れた砂糖を本国に送ろう」と。

でも、誰がそこで働くのでしょう?

「あんな暑い所で働くのは嫌だ。あ、そうだ、アフリカから黒人を連れてきて働かせよう。」


三角貿易


こうして人間のエゴと罪が肥大化し、組織化されていきました。

まずデンマークの港から、お酒や銃を積んだ船が、西アフリカへ向かいます。

そして銃は「アフリカの諸部族がもっと互いに対立し合い、仲たがいするように」との目的をもって、対立するグループ間へ供与されました。

そしてそれらの品物と交換で彼らは黒人奴隷を得ました。


slavesintheship20160302.png


そうして、それまでお酒や銃を積み込んでいた地下の船室に、今度は新しく奴隷たちを積み込み、彼らはセント・トーマス島に向かいました。

島に黒人たちを降ろすと、今度は交換で砂糖をゲットし、それを船内に積み込みました。

こうして北大西洋海流に乗って、彼らは本国デンマークに戻っていったのです。


250px-Triangular_trade20160301.png


デンマーク→西アフリカ→セント・トーマス島→デンマークという一連の航路による国際ビジネスは一般に、「三角貿易」と呼ばれています。


極刑


また、島の黒人たちに対する刑も情け容赦のないものでした。人口比が黒人・白人、6対1の割合でしたので、白人側は何よりも奴隷の反乱を恐れていました。そのため、セント・トーマス島では次のような刑が執行されていました。

黒人が反抗し、白人領主に手を上げた場合:その黒人の手を切断。

黒人がプランテーションから逃げ出そうとした場合:

(一回目) 片方の足首切断。
(二回目) もう片方の足首切断。
(三回目) 片方の足ごと切断。
(四回目) もう片方の足ごと切断。



そして、むち打ちは500回まで「合法」とされていました。

また奴隷の反乱計画が発覚した場合は、裁判なしで、領主がそっこく斬首・絞首することが法的に許されていただけでなく、その死刑執行に関し政府から賦与金まで授与されていたのです。


クリスチャンはどのようにしてこの悪を正当化できたのか


Kneeling-slave aparcelofribbons co uk
「神よ、私は人間ですか?」と嘆き祈る黒人


しかしこの当時のクリスチャンたちはこれらの悪に対して良心の痛みを感じていなかったのでしょうか。

島にあるオランダ改革派教会のドミニー・ヤン・ボーン牧師はこういった悪に対してどのように考えていたのでしょうか。

島に住む白人クリスチャンの主日礼拝は義務でした。(主日に働いた場合、罰金として50ポンドのタバコを課されました。)

ですから彼らも私たちと同じように主日毎に、聖書を開き、賛美を歌い、アーメンと唱えていたのです。

資料を読むと、エペソ6:5、コロサイ3:22などの聖句が、こういったシステムを正当化する聖句として用いられていたようです。また、「黒人というのは、はじめから永遠の滅びに予定されている」といった具合に、二重予定説のドグマも適用されていました。

このような悪と矛盾に満ちた世界の中に、レオナルドとデイヴィッドは遣わされていったのです。――光の子として。


(その5)につづきます。

スポンサーサイト

レオナルド・ドーバー青年、西インド諸島へ行く(最終回)―この道の果てで 愛する主に会える!

レオナルド・ドーバー青年、西インド諸島へ行く(モラヴィア宣教団、18世紀)その3―デンマークで行く手はばまれる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。