Francis A. Schaeffer,
The Great Evangelical Disaster, 1984

第七章より一部翻訳抜粋




共感してくれた「反逆児たち」 


1965年9月、ホイートン大学において、私は「20世紀の世に向けて歴史的キリスト教の立場を語る」という題目で講演をした。

その当時、60年代にカリフォルニア大バークレー校で始まった若者たちの反乱がまさに進行中であった。


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バークレー校におけるFree Speech Movement(フリー・スピーチ学生運動)、1964年


実際、ホイートン大学内にも、自治会の会長を含め、いわゆる「反逆児」といわれる学生たちがおり、大学当局は、こういった学生たちに手を焼いている風だった。

しかし、私の講演に大いに共感してくれたのは、他でもないこの「反逆児たち」だったのだ。

彼らは私のメッセージ――つまり、もしもキリスト教が真実なら、それはわれわれの人生すべての領域に触れるはずであり、そしてそれは現代の世におけるラディカルな「声」になるはずだという使信――を理解したのである。

彼らはじっと耳を傾けていた。そしてその内の何人かは実際、その後、考え方を改めるに至ったのである。

☆☆

今日の相対主義的な思想潮流のただ中にあって、私たちは革命的なメッセージを必要としている。

「革命的」とか「ラディカル」という時、私が意味しているのは、この世の時代精神が全面的に浸透しているその潮流、形態(form)に抗して立つ、そのあり方を指している。

これが真の意味における「ラディカル」である。

神は聖書の中にご自身の答えを与えておられる。そして聖書は、宗教的なことに対する言及に関する事と同様、歴史や宇宙に対する言及に関してもまた真なのである。

そしてそれゆえに、聖書は、あらゆるリアリティーに関し、真理を提供しているのだ。

それだからこそ、聖書は――今日の世界を特徴付けている――相対主義および混合主義(syncretism)に対する、抜本的なアンチテーゼを支持しているのだ。

(*こういった混合主義は、世俗的な語彙で表現される場合もあれば、福音主義的・宗教的な言い回しによって表現されることもある。)

☆☆

現在、「この世への迎合」という問題に関し、私たちが必要としているのは、真理およびキリストのためにあえてラディカルであらんと欲する新しい世代である

愛のうちになされる対決の場にあえて進み出ようと勇み立つ若い世代を、私たちはぜひとも必要としている。

前にも述べたように、これは愛のうちになされるものである。しかし依然としてまことの対決である。

そしてこの姿勢は、この世の時代精神にひたすら流されていくメンタリティーとは対照をなすものであり、大方の福音主義が各地点においてなしてきた迎合的なやり方とも対照をなすものである。

☆☆

たしかに福音主義はこれまで多くのことを成し遂げてきた。そしてそのことに関し、私たちは大いに感謝していいと思う。

しかしながら、こと迎合精神というメンタリティーに関して言えば、これはまさに大惨事だとしか言いようがない。


二つの前線で戦う


ただここで注意しておきたいのは、同じ聖書の原則を保持するに当たり、ある場合には、振り子の反対側の振り(swing)に寄りかかる必要があるいは出てくるかもしれない、ということである。

堕落したこの世においては、事象は振り子のごとく絶えず揺れ動いており、ある極端なやり方における誤謬から、今度はもう片方の極端における誤謬へと大きく揺れるのである。

その意味で、私たちには、ただ一つの前線で戦えばそれでいい、という贅沢は与えられていない。悪魔の働きに対抗すべく、私たちは両方の前線を見張り、かつ戦う必要があるのだ。

☆☆

しかしながら、福音主義の「迎合問題」について言えば、これはいつも一つの方向性のみに進んできた。

――つまり、それはいつも、今日支配的な世俗思想、流行りの思想にへいへいと調子を合わせてきたのである。

そしてこの時代精神こそが、今まさに教会および社会を破壊しているのだ。

バランスは常に考慮されなければならない。

しかしながら、この迎合精神は常に――支配的かつ破壊的な今日の勢力である――ヒューマニスティックで世俗的な世論に屈するという形を採ってきた。

そしてこの趨勢に変化が起こされないのなら、われわれの機会ももはや失われたものとなるだろう。

いや、妥協した形の福音主義が落城していくだけではない。それと共に、私たちも皆もろともに押し流されていくのである

☆☆

こういった全てのことが自分には無関係だと考えることはできない。これは本当に他人事ではないのだ。

主と教会を愛するあなたや私が自ら起ちて行動しない限り、これらの事はやがて必ず起こり、私たちを打ちのめすことになるのである。

だから私はあなたを鼓舞して言いたい。

私はラディカルなキリスト者たち――特に、ラディカルなクリスチャンの若者たち――に声を上げて求める。

愛のうちになされる対決のために、どうか勇み立ち上がってほしいと。

若者たちよ、逃げずに立ち向かってほしい。

瞬間瞬間、生けるキリストを見つめ、主から力をいただきつつ、現在、教会、文化、国の中に荒れ狂っているあらゆる誤謬や破壊的なものに対し、愛を持って正面から立ち向かってほしい。



ーおわりー



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