打つ者に私の背中をまかせ、
ひげを抜く者に私の頬をまかせ、
侮辱されても、つばきをかけられても、
私の顔を隠さなかった。

イザヤ50:6




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ある冬の朝、


房の中に、ヘンリー神父がひとり腰かけていた。

――ぐったりと 悲しみに沈みつつ。



「おお わが神よ。私はもう疲れて動けません。」

心の中で 彼は語りかけた。



「わが兄弟たちが、私を嘲笑い、憎んでいるのです。


ああ たった一人でもいい、

私をいとおしんでくれる人がいたなら、、


その人の小さな一言だけでも、わが暗い日々は

明るく照らし出されていたことでしょう。」



「でも彼らは私をあざけり、侮辱するのです。

そうすると、もはや自分の心を抑えきれなくなり、


自分の舌を制することもできず、

荒々しい言葉を返してしまいます。」



すると主が言われた。


「私はお前と共にいる。わたしに信頼しなさい。

汝の小さな窓を開け、

そこから見えるものに目を留めなさい。」



哀しげな目で、ヘンリー神父は、外をのぞいてみた。


薄暗い中庭、

そして吹きすさぶ風。



「天使につきそわれ、旧友でも来るのだろうか?」

彼はひとりごちた。



いや、それは違った!

一匹の獰猛な猟犬が、

中庭に疾走してきたのだ。


ーー


そこには 忘れ去られていたかのように

一枚の古びた敷物があった。



猟犬は走りざま その敷物をつかむと


それを引き裂き、

激しく揺すり、

鉛色の中庭中を

荒々しく 引きずり回った。

 


「見なさい。猟犬はお前の兄弟たちのごとくある。」



なじみのある御声が 彼に語りかけた。



「愛する者よ、もしお前が敷物なら、

お前は どうするだろうか?」




しずかにヘンリー神父は立ち上がり、外に出ていった。


そして 敷物を抱え上げると、

それを 自分の小さな房に運び入れた。


――あたかも それが稀有な宝石でもあるかのように
大切に。




それから歳月が経った。

多くの冬が去り、夏が過ぎていった。



ほの暗い房の中で

しかし、彼はそれ以後、喜びのうちに歩んでいた。


そして主は彼と共にいた。




刺すような言葉が 彼を貫く時、

彼は自分の房に戻り、

敷物を取り上げ、そして言った。



「そう、これでいいのだ。

もっとも小さく、もっとも卑しい者は

ひくく 横たわっている必要があるのだから。


おお主よ、汝に感謝し、汝を讃えます。

――私が敷物であるゆえに。




冷たく 人の足に踏みならされた道ばたで

それはじっと動かず

平らに伏している。



人がその上を踏みにじろうとも

声を荒げず、ただじっと伏している。


なぜなら、

それは敷物だから。」




ややあって、彼は泣き始めた。


なぜなら、静けさの中で

彼の愛する主が 彼に語りかけられたからだ。


「そのように わたしは、もっとも小さく、もっとも卑しくあった。

喜びのうちに。

そして お前のために。」



「見なさい。辱しめられ、つばきをかけられた

わたしの顔を。


わたしは お前に刃向かっただろうか。



お前がもっとも小さく、卑しい者とされるとき、

その時、

わたしのことを覚えなさい。」





Heinrich Suso(1295-1366),The Mat
私訳








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