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アメリカ福音派書店の聖書総売り上げ40%強を占めるポピュラーな新国際訳聖書(NIV)。

これまで多くの真摯なクリスチャンに愛読されてきたこのNIV訳の翻訳委員会が近年、福音主義フェミニズムに全面降伏し、その神学的影響下に入るようになったことは、以前いくつかの記事の中で触れました。

ねじられ、よじられ、痛めつけられる神の御言葉―包括訳(gender-inclusive)聖書とフェミニズム(ココ

ジェンダー〈包括訳〉聖書が私たち女性にとって有害である10の理由(その1)(その2



ご存知のように、聖書ははっきりと女性が教えたり男性を支配したりすることを禁じています(1テモテ2:12)。

しかし仮に私がクリスチャン・フェミニストだったとします。

フェミニストである私は「説教の賜物が与えられている」自分が講壇で説教できないのは不公平だと感じ、何より「主は私を説教者に召しておられる」と感じています。

しかし1テモテ2章でははっきりとその行為が禁じられています。さあ、どうしましょう。

福音主義フェミニストの方々の文献を読むと、X(バツ)を○(マル)だと是が非でも再解釈しようとする彼らの試みが、次に挙げるような領域で顕著に見受けられます。

)聖句をいじる、よじる、へこませる。


)「当時のエペソでは、女性たちが間違った教えをしていて、、、」等、文化的解釈に持ち込む。

*結論として、「だからこれは普遍的な教えではない。従って、21世紀に生きる私たちはこの聖句に従わなくてもいい」と持っていきたいから。


)パウロは間違っていた。パウロは性差別主義者だった。パウロはユダヤ的家父長制イデオロギーを未だに抱えていた等、、とにかく使徒パウロを責める。



特に3)などの解釈をみると、福音主義フェミニズムは、やはり本質的な部分で、自由主義神学と深くつながっており、両者は互いのうちにmerge(溶け込んで)いるかのように思われます。【註1】


聖句をいじる、よじる、へこませる


NIV最新訳(2011)は、上に挙げた3つのメソッドのうち、1)の「聖句をいじる」を試みました。

1984年 NIV旧版

1 Timothy 2:12
I do not permit a woman to teach or to have authority over a man; she must be silent.


2011年 NIV新版

1 Timothy 2:12
I do not permit a woman to teach to assume authority over a man; she must be quiet.



84年度版では、「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、黙っていなさい。」と訳されていたのに対し、2011年度版では、「私は、女が教えたり男を支配できると見なすことを許しません。ただ静かにしていなさい。」となっています。

「支配すること to have authority」が、「支配できると見なすこと to assume authority」と変わっています。

haveからassumeという動詞一語の変化ですが、これで聖句の意味は全く変わってしまいました

そうです、「支配できると見なすこと」をパウロが女性たちに許さないといっているのなら、事の焦点は、女が男を支配するという「行為」ではなく、支配できると「思うか思わないか」という「心のあり方に在る」ということになります。

ですから、女性牧師はNIV聖書を片手にこう言うことができます。

「いいえ、私は自分が男性を支配できるなど、そんな大それたことは考えておりません。牧師としての私の役割は、あくまで、他の先輩牧師や長老から私に託された(given)ものなんです。」

「聖書の男性・女性評議会(CBMW)」は、NIV2011のこういった試みを評して次のように言っています。

これにより、女性が牧師や長老になる上での主要な障壁が取り除かれたわけです。ですからある教会がNIV2011を採用するなら、その時点で、教会における女性の役割に関する議論についに終止符が打たれるようになるのです。

この聖句一句だけをとっても、福音主義フェミニストは、ここ30年の内で最も重要な前進を遂げたことになります。
引用元:here



非常に心苦しいのは、リベラルな学者たちによって訳された包括訳NRSV聖書でさえ、ギリシャ語のauthenteoを、"to have authority”(支配する)とちゃんと普通に訳しており、NIV2011のような人為的「いじり」はしなかったのです!

興味のある方は、BibleGatewayで、他のすべての英語訳と比較・検討なさってみてください。NIV2011度訳の不自然さが一目瞭然でお分かりいただけると思います。【註2】


おわりに


聖書翻訳のために文字通り、命を主に捧げ、殉教していったウィリアム・ティンダルは、自分の聖書訳を「誤りだらけの異端の訳だ」と非難していた聖職者たちへの応答として、次のように告白しました。

主イエス・キリストの前に現れる日、私は神に呼ばわります。――私は自分の良心に反し神の御言葉を――そうです、ただの一語でさえも――変えることはしませんでしたし、今後も、たといこの世のあらゆる誉れ、楽しみ、富が与えられようとも、決して変えるようなことは致しません。(ココ



私はたとえ100万分の1でもいいから、御言葉に対するティンダルのこの誠実さと燃えるような情熱をわが身に帯びたいと願っています。

私たちには言論の自由、思想の自由が与えられていますから、どんな聖書解釈も自由に表現され、出版されてしかるべきだと思います。

しかし、神の言葉を自分のイデオロギーの都合に合わせて勝手にいじり、全く聖句の本意を変えてしまうような翻訳行為、そしてそれを「逐語訳聖書」として世に売り出すのは、主なる神に対し、また、真理を求め、救いを求めている多くの真摯な魂に対し、あまりに不誠実、不正直な行為ではないでしょうか。

どうか神の言葉が純粋に保たれますように。悪い働き人たちによって、いのちのことばがふさがれることがありませんように。

主よ、私たちは、聖書翻訳の上にも、あなたの義が顕されるよう祈り求めます。隠された悪巧みがあなたの光の下にさらされ、私たちが純粋なみことばの乳にあずかることができますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。



【註1】

その他、福音主義フェミニストの方々からの主張としては、次のようなものがあります。

ー1テモテ2:13で「エバが惑わされた」とあるが、これはエバがアダムよりも教育がなかったことを示している。――当時のエペソの女性たちが男性よりも教育がなかったように。でも今日の女性は男性と同じように教育がある。だから、1テモテ2:11-15は、今日の女性には適用されない。

ー今日の女性は1世紀の女性ほど容易にだまされたりはしない。だから、1テモテ2:12-14は今日の女性には適用されない。

ー1テモテ2:11-15は、夫と妻に限定される。だから、12節は、「私は、女が教えたり、自分の夫を支配したりすることを許さない」という意味である。

ー12節の「許さない」の動詞は現在形。だから、これは一時的な掟であり、今日の女性には適用されない。

ーパウロは確かにここの箇所で創造の秩序に訴えているが、創造も、文化的に相対的でありえる。

―12節の「(男を)支配してはいけない」の意味は、「権威を乱用してはいけない」もしくは「横柄にふるまってはいけない、威張り散らしてはいけない」という意味である。

ー12節の「(男を)支配してはいけない」の意味は、「殺してはいけない」もしくは「暴力行為をしてはいけない」という意味である。

ー12節の「(男を)支配してはいけない」の意味は、「あたかも人間の創造主であるかのように名乗ってはいけない」という意味である。

―12節の「支配する」の箇所でパウロはexousiaという動詞ではなく、authenteøという比較的まれな語を使っている。こういうまれな単語を使っているのだから、その意味ははっきりとは分かり得ないと思う。だから、この聖句にあまり重きを置くべきではない。

―パウロが女性に制限を与えていた主たる理由は、当時の文化につまずきを与えないためだった。でも今日、女性が教えたりすることは、周囲の文化につまずきを与えはしない。だからパウロのこの制限は、今日の女性には適用されない。

―1テモテ2:11-15などの箇所では、私たちの旧約理解の方が、新約の記者たちのそれよりも勝っていることに気づかされる。だから、ここでは新約が旧約を誤って解釈しているのである。



 【註2】NIV2011の1テモテ2:12の訳出問題についての参考文献

Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth (Sisters, OR: Multnomah, 2004), pp. 304-318 especially the summaries of the studies by H. Scott Baldwin, ―A Difficult Word: Authenteō in 1 Timothy 2:12" in Women in the Church: A Fresh Analysis of 1 Timothy 2:9–15, ed. Andreas Köstenberger, Thomas Schreiner, and H. Scott Baldwin (Grand Rapids: Baker Book House, 1995), 65–80 and 269–305

Andreas J. Köstenberger, ―A Complex Sentence Structure in 1 Timothy 2:12,”in Women in the Church, 81–103. Baldwin‘s article provides a range of possible meanings for authenteō, and Köstenberger‘s article argues from syntax to show that the verb cannot have a negative sense in this sentence structure.





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真理の追究は深く追いすぎる事はありません。偽りの多い時代において、真理を見極める事がより難しくなっています。御言葉の真理が伝わらないとすれば、まさに神の御心が伝わらない事になり、真理であるイエス様に辿り着く事さえ危ぶまれます。神学的観点から聖書の解釈を重視した見方、その他の霊的解釈を極端に強調した解釈ではなく、いかに直接的に本来の聖書(翻訳された聖書と対比して)がどのように書かれてあるかが鍵だと私は思います。この記事、とても参考になりました。

名前: 大城 [Edit] 2016-05-26 11:58

感謝です

大城さま、

コメントをありがとうございます。「神学的観点から聖書の解釈を重視した見方、その他の霊的解釈を極端に強調した解釈ではなく、いかに直接的に本来の聖書がどのように書かれてあるかが鍵」との大城さんのことばに共感いたしました。私にとって、とても為になる教訓です。ありがとうございました。

名前: Kinuko [Edit] 2016-05-26 17:23

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