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踏み絵――長崎のキリシタン

ティモシー・ケラー牧師に投げかけられた質問は、明確である。「同性愛は罪か。同性愛者は地獄へ行くのか。」

ティモシー・ケラー牧師の同性愛に関する偽りの教えより



各時代に、私たちクリスチャンには「YesかNo」か、聖書的立場や信仰をはっきりさせなければならない課題がつきつけられます。

(政権であれ、教権であれ)時の権力者や時代精神、世論が、御言葉とは反対のことを「善・是」とみなすよう、さまざまな圧力をかけてくる時、その戦いはますます私たちの内で激しさを増していきます。

私たちの自己保身は必死に叫びます。

「いやだ、いやだ、私は『人を裁く、愛のないクリスチャン』だと非難されたくない。『差別主義者』だというレッテルを貼られたくない。むやみに敵を作りたくない。自分の教団から追い出されたくない。信徒からの支持を失いたくない。村八分にされたくない、、」

☆☆

同性愛に関する私たちクリスチャンの応答は、21世紀の「踏み絵」だと思います。

冒頭のティモシー・ケラー師は、相補主義の立場に立つ世界的にも有名な牧師です。


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しかしそのような牧師であってさえも、「踏み絵をふめ!」という世論の圧力を前にして、十字架の恥辱と拒絶の道を拒んでしまった感があります。

下が問題のそのビデオです。





洗練された言い回しをしておられますが、その実、ケラー氏は、「同性愛は罪か。同性愛者は地獄へ行くのか。」という肝心な主題を、「自己義認こそ悪だ。これこそ人を地獄に追いやるものだ」という別のテーマに掛け替えておられると思います。

勿論、「不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはない」とある以上、「同性愛」の罪だけ特別に断罪するのは間違っているが、だからといって「同性愛者であることが、その人を地獄へ送り出すのでは絶対ない」(VTRの4.50頃)と断言するのは、聖書の言葉を曲げているとしか言えない。

ティモシー・ケラー牧師の同性愛に関する偽りの教えより



(*聖書の言葉:Ⅰコリント6:9-11、ローマ1:26-27、Ⅰテサロニケ4:3-8を参照なさってください。)

またもう一つ印象深かったのは、このVTRのコメント欄に、元同性愛者の男性の方が、彼自身の生育環境から始まり、救いの証しや葛藤、思い、信仰などを正直にシェアしておられたことでした。

この方はケラー氏の回答について次のような感想を書いておられました。

この人(ケラー氏)は、問いに答えることを回避しつづけています。

「キリストを私たちの人生の主とする」というケラー氏のポイント自体は正しいと思います。

しかし彼が言っていないのは、「罪は罪」という事実についてです。もちろん、私たちは皆、罪の咎を負う者であり、天国に行く唯一の道はイエスを通してです。

私はゲイでした。そして神は私の人生を変えてくださったのです。教会のみなさんは、私を愛し、受け入れてくださいました。

しかしだからといって、彼らは「同性愛は罪ではない」とは私に言いませんでした。私は、こうした兄弟姉妹を通して受けた愛ゆえに、神様に感謝しています。



☆☆

このVTRを観た時、私は二つのことを思いました。

一つは、16世紀の「踏み絵」であった「幼児洗礼」に関するクリスチャンの応答についてです。

もう一つは、人間の永遠の行き先に関する、先人たちの誠実にして真実な聖書メッセージのことです。

次につづく記事でそのことをみなさんと共有できたらと思います。





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あなたは踏み絵をふみますか?―16世紀のアナバプテストの若者たちの信仰と叫び 【同性愛と福音主義教会】

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