主よ。あなたは正しくあられます。
あなたのさばきは、まっすぐです。

詩篇119:137



真の友は人にお追従を言う輩ではありません。

ご承知の通り、キリストの胸には愛があふれていました。愛ゆえに、主は頭に枕するところもない生活を選ばれました。、、そうです。私たちは人を愛すれば愛するだけ、地獄について多くを語らなくてはならないでしょう。

そのままでは地獄におちて罪の人生の当然の報いを受けるしかない人々に警告を発さないような人は愛の人ではありません。

そんな人は相手を愛してはいません。自分を愛しているだけなのです。

厳しい真実を告げて相手を怒らせることを恐れているだけなのです。自分が傷つきたくないだけなのです。ですから忘れないようにしましょう。真実の愛は警告を発するものだということを。

ロバート・マクチェーン説教録より 



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Robert Murray M'Cheyne (1813 - 1843)


29歳という若さで夭折したロバート・マクチェーン。清さを求める彼のひたむきな信仰と美しい賛美、説教録は、死後、200年以上経った今日も、世界中の人々に読まれ、歌われています。

彼の回心は、愛する兄デイビッドの死に直面したことが直接のきっかけでした。(当時マクチェーン18歳。)

マクチェーンはその時、人間の永遠の行き先についての真実を見たのです。

同性愛に関するティモシー・ケラー牧師のVTRで一番ショックだったのは、冗談交じりのその雰囲気や姿勢でした。

見つかった腫瘍が、悪性なのか良性なのか、その検査結果をかたずを飲んで待っている患者の家族に対し、もしも担当医が冗談めいた対応をしたとしたらどうでしょう。

あるいは癌が手術不可能なほどにすでに転移してしまっているのか否か、家族が、その検査結果を待っているとしたらどうでしょう。

しかしその医者は、真っ青になって自分を見つめている患者の家族をよそに、周りの看護士さんたちに面白おかしい事を言い、それを聞いた彼女たちはどっと笑いころげています。

しかし事は、一人の人間の生死にかかわることです。一人のかけがえのない魂の行く末にかかわることです。

そして患者の家族にとっては、愛する人を失うかもしれない、悲痛極まりない瀬戸際なのです。

私は思います。もしもティモシー・ケラー牧師が、一日でも、いや一分でも、地獄のリアリティーに直面したとしたら、――つまり、聖書に書いている地獄の存在と現実が本当だったとしたら――、決してこのような冗談めいた話し方はされなかったに違いないと。

私たちは人を愛すれば愛するだけ、地獄について多くを語らなくてはならないでしょう。



ある個人や、教会や、教団がリベラル化し、聖書信仰から離れていくに比例して、地獄のリアリティーを否定する「万人救済論」はますます魅力的なものとして、幅を利かせていくように思えます。

私は冒頭のマクチェーン牧師の「来たるべき永遠の刑罰」という説教録を読み、魂が震撼するのを覚えました。

そして、彼のような真剣さと真摯さこそ、人の生死――魂の永遠の行き先――にかかわる魂の牧者として、まことにふさわしい姿勢だと思いました。

イエス様は、私たちを愛してくださったがゆえに、御国のことだけでなく、地獄のリアリティーについてもまっすぐに語ってくださいました。

真の友は、私たちに真実を語ってくれます。私たちを愛しているからです。そしてイエス様は私たちの真の友です。

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。

不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません

1コリント6:9-10



もしもこの御言葉が真実であり、――自分も含め――これらの行為を悔い改めないまま死んでいく人たちが、「神の国を相続することができない」という聖書の宣言が、ほんとうに真であるなら、――そして、私たちが神の国の「外」に置かれるという現実の恐ろしさに目覚めるなら――その時、同性愛に対する応答はもちろんのこと、私たちの生き方、言動そのものにも、抜本的な変化と覚醒が起こされていくと思います。

私の見た幻(A Vision for Souls)―エミー・カーマイケル

あなたは踏み絵をふみますか?―16世紀のアナバプテストの若者たちの信仰と叫び 【同性愛と福音主義教会】