Christianity & Liberalism (キリスト教とリベラリズム)

by J. Gresham Machen (1923)

Chapter 2: Doctrine より抄訳




パウロは確かに教理に無関心ではなかった。その反対に、教理というのは彼の人生の礎であった。

とは言うものの、教理に対する彼の献身によって、彼の内にある気高い寛大さが損なわれることはなかったのである。

そういった彼の寛大さを示す顕著な例を、私たちは、(ピリピ書に記されている)彼のローマでの投獄時に見いだすことができる。

その頃、ローマにいるクリスチャン教師のある者たちはパウロの偉大さを見、彼に対し嫉妬心を抱いていた。

パウロが自由の身である限り、こういった教師たちはパウロの指導を受けなければならない立場にあった。

しかし今や彼は獄中にいるのである。こうして彼らはここぞとばかりに支配権をわが物とし、囚われの身であるパウロをさらに苦しめようとしたのだ。

そしてねたみと争いをもってキリストを宣べ伝えていたのである。

つまり、パウロの対抗者たちは、福音宣教を、自らのいやしい野望を満足させるための手段としていたのだ。

☆☆

しかしパウロの心はそれによって乱されることはなかった。

「すると、どうなのか。見えからであるにしても、真実からあるにしても、要するに、伝えられているのはキリストなのだから、わたしはそれを喜んでいるし、また喜ぶであろう」(ピりピ1:18)。

彼らの説教の仕方にはもちろん誤りが見いだされたが、内容自体は正統なものであった。

つまり、パウロは福音提示における態度以上に、メッセージの内容を重要視していたのである。これは実に寛容な扱いだといえよう。

☆☆

しかしパウロの寛容は、見境のないものではなかった

彼は例えば、ガラテヤにおいては、全くもって寛容を示さなかった。

そこにも同じようにパウロに対抗する説教者たちがいたのである。しかしパウロは彼らに対しては完全に非寛容であった

パウロは言った。「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使いであろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである」(ガラ1:8)。

☆☆

この二つのケースにおける使徒のとった態度の違い――この理由は何だったのだろう。

なぜローマにおいてはあれほど寛容な態度をみせたバウロが、ガラテヤでは激しくアナテマを叫んだのだろうか。

答えは実に明瞭である。

ローマでは、対抗者たちの説教内容が妥当なものであったのに対し、ガラテヤではそれが間違ったものであったからだ。

どちらのケースにしてもこの場合、彼らの人となりはパウロのとった態度とは無関係のものだった。

とは言っても、ガラテヤのユダヤ主義者たちの動機が不純であったことは疑うべくもなく、パウロもそのことを指摘している。

しかし彼の反対した理由はそこにはなかったのだ。

ユダヤ主義者たちは倫理的にも完全からは程遠いところにあったが、たとえ、その彼らが天より舞い降りし御使いたちであったとしても、やはりパウロは同じように叱責していたはずである。

彼の反対理由はユダヤ主義者たちの教えの誤りにあった。

彼らは唯一のまことの福音を、誤った福音に置き換えたのだ。そしてこの偽福音は、まったく福音などではなかった。

「この福音はある人にとっては真である一方、別の誰かによってはそうでないかもしれない」などとパウロは考えたこともなかった。

実用主義の毒によって彼の魂は害されていなかったのだ。

パウロは福音メッセージにおける客観的真理というものの存在を確信しており、その真理に対する献身は、彼の人生を突き動かす大いなる情熱そのものであった。



恭順に生きたいけど生きることができない―罪の告白

小さいままでいたい