今、フランシス・A・シェーファーの書いたThe Mark of the Christian(「クリスチャンの標(しるし)」という文章を日本語に訳しています。


なぜこの文章を訳そうと思ったのか


この本の中心テーマは、新生したクリスチャン同士が追い求めるべき互いへの真実な愛であり、一致です。

近年、組織的なエキュメニカル運動が盛んになっています。

「さあ、細かい教理的な相違点は脇にうちやって、ヨハネ17章でイエスが祈られたように、宗派を超え私たちは一つになろうではないか」という運動です。


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1986年、イタリアのアッシジで開催された他宗教者間の集まり source


ここでのキーワードは「組織的 organizational」です。

御霊による一致ではなく、あくまで人間が企画し、実現に至らしめようとする「キリスト者間の一致」です。あるいは「多宗教者間の一致」です。


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ヒンドゥー教の祭司からショールを贈られる教皇、2015年、スリランカ source


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コーランに口づけする教皇、1999年 source


ですから必然的にこういった運動では、イエスの福音の真理が「一致」の美名の下に、人為的に取捨選択され、パチパチと剪定されていきます。

しかしパウロが涙ながらに証しているように、今も「多くの人がキリストの十字架の敵として歩んで」(ピリピ3:18)おり、救い主としての主イエスの唯一性(ヨハネ14:6)、神性、十字架上での贖罪と復活を公然と否定している人々が、そういった組織の中には大勢いる、という現実を私たちは直視しなければならないと思います。

十字架の愛には海のような深さ、寛大さと共に、あらゆる虚偽・妥協を排する峻厳さがあると思います。

そしてその愛は、聖書の真理を犠牲にして打ち立てられた人為的一致を激しく斥けるものだと思います。

だからこそ、私たち聖書信仰のクリスチャンには、愛しながら闘い、闘いながら愛し愛し抜くという使命が与えられているのだと思います。

これは険しく細い道です。カルバリーの十字架の血がにじんだ道です。

私は今、生き方を模索し、求めています。

闘い方、愛し方を求め、主を仰いでいます。

私が傾聴したいのは、ふわふわした甘ったるいアガペー論ではなく、聖書の真理のために真剣なる闘いをしてきた人の語るアガペー論です。

真理に肉迫し、虚に妥協せず、なおかつ一致を求めるヨハネ17章のイエスの祈りに応答しようとしたキリスト者たちの真摯なる取り組みから私は学びたいのです。

これからご一緒に読んでいきたい『クリスチャンの標(しるし)』という文章を通し、どうか主が私たち一人一人に語ってくださいますように。そして、これから来る厳しい時代にそなえ、知恵と識別力、そしてさらなる愛が私たち信仰者に与えられますように。

イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。アーメン。




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