「女性牧師は聖書的ではありません」という内容の文章を書いたある牧師さんの元に、別の牧師さんから次のようなコメントが寄せられました。

(あなたは)聖書を律法的にとらえすぎてはいませんか?少なくとも私はあなたが反イエスであった律法主義者のように見えます。イエスは律法主義からの解放を宣べ伝えていたと思っていますが。



みなさんは、どう思われますか?とても考えさせられるテーマですよね。

今日はこの事についてみなさんとご一緒に考えていけたらと思っています。

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あなたは律法主義的です


女性牧師をめぐる1テモテの箇所にしろ、被り物についての1コリント11章にしろ、これらの聖句をそのまま実践・尊守しようとする信仰者たちは、必ずといっていいほど、「あなたは律法主義的です」という批判を受けます。

私はこの「あなたは律法主義的です」というフレーズを、「21世紀の万能殺虫スプレー」と呼んでいます。

なぜなら実際、これは本当に万能だからです。

従うのが困難で、現代人には不快感をもよおすような主の掟があれば、それはアンチノミアニズム(無律法・反律法主義)で切り抜け、それをあえて実践しようと試みるクリスチャンがいようものなら、ただちにこのスプレーをシュシュ―と相手に吹きかければいいのです。

教会は、聖書の中に自らの好まない何かを見いだすと、それを律法主義と呼ぶ。

―レオナルド・ラーベンヒル



しかしそうすることで、私たちは自分でも気づかぬうちに、「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です」(ヨハネ14:21)と言われたイエス様のみことばを無効にしてしまうだけでなく、主ご自身にもこのスプレーを吹きかけてしまうことにならないでしょうか。

もしあなたがたがわたしを愛するならあなたがたはわたしの戒めを守るはずです。(ヨハネ14:15)

だれでもわたしを愛する人はわたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。(ヨハネ14:23、24a)




一つの発見


二年前に私は、こういったアンチノミアニズム(antinomianism:無律法・反律法主義)が、大きな掃き溜めになっていることに気づき、そのことを記事を書きました。

つまり、一見して両極端に位置する「世俗主義」と「パリサイ主義」が、実は、最後には、ひとつの流れとなって合流し、アンチノミアニズムという巨大な掃き溜めに落ち込んでいっているのではないかと思ったのです。

現在、キリスト教界の中で猛威をふるっている恐ろしい異端の存在に、ほとんどの人は気づいていません。

この異端は、専門的な用語では、アンチノミアニズムと言い表すことができます。

この語は無法もしくは法に逆らうといった意味のギリシア語ἄνομος(anomos)に由来しています。

アンチノミアニズムは、「えり好み的ないし部分的な従順」と定義することができると思います。

この不法主義を推進する人たち(antinomian)は一般に、(イエスさまの掟のうち)ある物は受け入れがたい、もしくは難解すぎると判断します。そしてそういう掟を無視したり、言い逃れしたりするのです。

、、、山上の垂訓の終わりの方で、自分は主に従う者だと思っている人たちがやがて主に咎められるだろうとイエスはきびしい預言をしています。なぜなら、彼らは不法主義者(antinomian)だからです。

「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども【→ἀνομίαν(antinomians)】。わたしから離れて行け。』(マタイ7:21-23)

えり好み主義と欺きが、アンチノミアニズムの顕著な特徴です。

一方、パリサイ人は、人間のこしらえた多くの法を設けましたが、彼らも結局、神の法を否定し、不法を行なう者(antinomian)と呼ばれるに至りました(マタイ23:28)。

「えっ、でもなぜ律法にあれほどこだわっていたパリサイ人もアンチノミアンと呼ばれたのだろう?」と不思議に思う方がいらっしゃるかもしれませんが、律法主義とは、

1) 自分の善行によって救いを得ることができると信じること、もしくは

2) 神の好意を得んがために、人間の考え出した掟や教説を付け加えること

と定義できると思います。

そしてどちらの立場も危険なのです。

律法主義は、アンチノミアニズム(不法主義)に対する防衛とはならないのです。逆説的ですが、律法主義は、それをむしろ助長するのです。

アンチノミアニズムは終わりの日に、勢力を増すだろうとイエスは預言しておられます。

「また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。不法【→antinomianism】がはこびるので、多くの人たちの愛は冷たくなります(マタイ24:11-12)」。

注目すべきことに、最後の反キリストは、文字通り、the man of antinomianism(man of lawlessness「不法の人」と訳されています、Ⅱテサロニケ2:3)と呼ばれているのです。

アンチノミアニズムは、イエスのご統治にこぶしを突き上げる、人類の最後にして最も脅威ある異端だということがいえます。

それはイエスの、王としての統治に逆らっているため、福音自体に逆らってもいるのです。

(Finny Kuruvilla, King Jesus Claims His Church, Anchor-Cross Publishing, Massachusetts, 2013, p107-108.)




参考になる記事:

アンチノミアニズム (反律法主義)


関連記事:

被り物は律法主義的?

「被り物というのは律法主義的であり、律法に逆戻りするものです。私たちはキリストを信じる信仰によって救われたのであって、自分たちの行ないによって救われたのではありません。被り物をするしないというのは私たちの救いに影響をもたらすものではありませんから、それを実践する必要はないのです。」

という反論に対する応答記事です。




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