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「クリスチャン女性が神学的な意見を述べたり書いたりすることは、望ましくない行為なのでしょうか?」という前回の記事をお読みになった方はお分かりだと思いますが、仲間の姉妹たちからの建設的な批判を受け、私は今、女性としての自らのあり方を反省しています。

☆☆

反省していく中で気づかされたのは、私たち女性に与えられている属性の一つであるfeminine delicacy(女性らしい繊細さ)というのが、想像以上に自分の存在の中心部分にあるということでした。

delicacy

(ほそく小さいこと、ほっそりしていること、感情などがこまやかなこと、か細い、しとやか、modest、gentle、graceful、finer feelings、sensitivityなど)



そして、それは御言葉が「妻が女性であって、自分(=夫)よりも弱い器だということ」(1ペテロ3:7)と明記しているように、私たち女性が生来、男性よりも弱い器(weaker vessel)であるということと無関係ではないと思います。

誰かよりも「弱い」ということは不徳ではありません。

むしろ、聖書が一貫して教えているのは、主は弱いものをないがしろにされず、より一層のケアをもって、それらを守り慈しんでくださるということではないかと思います。(1コリント1、12章等)

例えば、日本にヒナスミレという花があります。「スミレのプリンセス」と呼ばれているかわいらしい花です。

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ヒナスミレ、source

ヒナスミレは山中のやや湿り気の多いところにひっそりと咲きます。

和名の雛スミレは、全体に繊細で花が美しく、かわいらしいところから名づけられたもの。

透明感のある淡い紅色の花は楚々とした印象を与えますが、葉の形も美しく、全体に低く小ぶりな姿が愛らしく、

3月中頃から咲き始めるため「雛」スミレと呼ばれるのもわかりますね。

引用元:ココ



スミレは、とうもろこしの木などに比べると確かに、弱く、小さく、繊細で、人の一足でたちまち踏みにじられてしまうような脆さをもつ植物だと思います。

でも、、、それは不徳なことなのでしょうか?

スミレは頑張って頑張って、とうもろこしのような強靭さを持つべく、自らを「鍛え」なければならないのでしょうか?

この問いに対して、セキュラーな高等教育機関は、一斉に「Yes!」と答えます。

曰く、これからは、スミレも、とうもろこしの木と「対等に」肩を並べ、活躍してゆくべきなのだと。

そしてこの視点に沿って、さまざまな教育プログラムが導入されます。

私は日本の一般的な高等教育ではなく、米国式のリベラル・アーツ教育を受けましたので、スミレととうもろこしが「対等に」ディベートし、ディスカッションするというのは自分にとって、ごくごく当たり前の光景でした。

Class participation(クラスでのディスカッションへの積極性)は、成績評価の一部でしたし、しおらしく静かにしている日本人女子学生は、総じて「英語力がない」もしくは「英語力はあっても、自分の意見を持っていない人」という否定的評価を受けていました。

☆☆

でも、私の中の〈スミレ性〉は、これまでもずっと呻いていました。そして今に至るまでその完全なる出口を求め、手を天にさしのべています。

「私はスミレのままでいたい。」―そう願ってやまないのです。

Feminine delicacy(女性らしい繊細さ)への気づきは、その意味で、私という一女性を、神様の元々のデザインに回復させようとする御霊の働きなのだと思います。




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樹の下で

聖書は我らの学ぶべき唯一の書である。―内村鑑三

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