毎週、たった一人で礼拝に来ていらっしゃるAさん。

何週間も、何カ月も、そして何年も。


礼拝で恵まれ、仲間と祈り合い、

そして、、さみしい家路に着きます。


「私の無言のふるまいによって、

いつか主人が神のものとされますように。」


でも、、その「いつか」はいつまで経っても来るように見えず、

むしろ、事態はますます望ましくない方向に

いっているようにさえ感じます。


「これは私のせい?私が愛のないクリスチャンだから?

ああ、さみしい。どうして彼は心を閉ざしているんだろう。」


「お酒やたばこやこの世的な余興にふける彼を裁かず、

やさしく受け入れてあげようって努めています。本当に、心から。」


「でも、やっぱり裁いてしまうんです。

そしてそうやって裁いてしまう自分が嫌で嫌でたまらないんです。


それでイエス様に赦しを求めます。

でも、次の瞬間には、またこの世的な彼を裁く自分がいます。

その繰り返しです。毎日、毎日。」


「だから、私は自分のことを落伍者のように思っています。

とてもつらいです。」


☆☆

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もう頑張れないように感じます。

そして、凍り付いたようになって、

私は今たたずんでいます。


主に、「忍耐する心をお与えください」と祈ってきました。

そしてこの祈りは地に落ちることはないと信じています。


でも、もう今までのようにできそうもありません。


主の木々は豊かに樹液をたたえています。

そしてそこに鳥たちが巣を作っています。


それなのに、、私の樹液は凍り付いています。

きっと、こんな冷たい枝には

どんな鳥も住み家を作れないことでしょう。

☆☆

しかし主よ。

さむざむとしたこの寂寥の内にいるのは、

私だけではないことを知りました。


そうです。私は、他にもたくさんいる

同胞の〈彼女たち〉と共にいます。


私のように凍り付き、悲しみながら、

〈彼女たち〉もまた、

ここにたたずんでいます。


新緑の日々は過ぎ去り、

私たちの目指していたものも、夢も、願いも、

こなごなに砕かれました。


おお、わが神よ、

もう一度、あなたの慰めを私に与えてください。


私の魂をこの監獄から引き出してください。

そして再び、あなたに賛美を捧げさせてください。


あなたに向かって、私は自分の魂を注ぎ出します。

主よ、どうか私を憐れんでください。


人のなぐさみ言葉は、

もはや私を助けることができません。


ですから、どうか主よ、

あなたご自身が、私にお語りください。


おお主よ、私から遠く離れないでください。

わが神よ。急いで私を助けてください。


―――


娘よ。

安心してこちらに来なさい。


わたしの御国は、心くずおれ、砕かれた者、

心まずしき者のものだからです。


悲しむ者よ、来なさい。

その人は慰められるからです。


あなたが転ぶとき、つまずくとき、

わたしがあなたを抱き上げます。


失敗しても、

失敗しつづけても、

なおも、わたしはあなたを引き上げます。


「あなたの夫は、あなたを造った者」(イザヤ54:5)。


心に悲しみのある者よ、

苦しめられ、もてあそばれ、

慰められなかった娘よ、

愛に渇いている者よ、


わたしの元に来なさい。


安心して、今、来なさい。



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巡礼者の聖所へのあこがれ――詩篇84篇を歌い、天国を黙想する。

樹の下で

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