(前回のお手紙のつづきです。)

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ふとして、愛の力に満たされた何かが、わたしの人生に入り込んでくることがある。
永遠の世界を垣間見る、このひととき。そういう時がある。

エミー・カーマイケル



エピローグ


R・C・スプロール氏は、すぐれた聖書教師でいらっしゃり、私の尊敬する神のしもべでもあります。

5ポイント・カルヴィニストでいらっしゃるスプロール氏は、TULIP五教理の中において、最初のこのT(=Total depravity 全的堕落)が、カルヴァン主義の土台をなすものであることを次のように述べておられます。

もし人が、TULIP五教理におけるT(全的堕落)の〔全的不能という〕この側面を受容することができるなら、あとの四つの教理は、不可抗のロジックにより、次々に随行してきます

つまり、を受容しながら、次に続く四つの教理(UとLとIとP)のどれかを拒絶することなどできない話だ、ということです。そうすることは、必ず一貫性の欠けを招くでしょう

R.C.Sproul, Grace Unknown, p.128



確かにスプロール氏の指摘は正しいと思います。

絶対的な選び(U)」(=神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる。予定説。)および、「不可抗の恵み(I)」(=予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。)というUとIの教理は、

人間が(カルヴィニズムの定義する)「全的堕落」の状態にあるゆえ――つまり、人は神を信じることを選ぶ能力が全くなく、神がその人のために全てをなさなければならない――、それゆえ、当然、UとIは、五教理に不可欠な教理になってくると思います。

またこの視点は、不可避的に、「限定的な贖い(I)」(=キリストの贖いは、すべての人のためではなく、あくまで救いに選ばれた者だけのためにある。)の教理の受容へと私たちを導いていくと思います。

しかしながら、兄弟、私が理解に苦しむのは次の点です。

――つまり、もしもアウグスティヌスの言うように、堕落の結果「人間の自由意志が失われた」のなら、そして人に選ぶ力が備えられていないのなら、なぜ神様はなおも人間に、「選びなさい。」とおっしゃるのでしょう?

申命記30:19a

私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい



正しく選ぶ能力も自由意志も与えられていない人間に、尚且つ「選びなさい」と迫る神は、私にはとても恐ろしく無情な神に思われてならないのです。兄弟は、どうですか。

また、『ウェストミンスター信仰告白』16:7には、次のような事が書かれてありました。

新生していない者が神に命じられている事柄で、自分にも他人にも有益な善行を行ったとしても「その行為は、罪深いものであり、神を喜ばせることも、神から恵みを受けるにふさわしい者にすることもできない。

それでもなお、彼らがこの行為を怠ることは、いっそう罪深く、神を怒らせることである」と告白している。

『ウェストミンスター信仰基準』 新教出版社



この条文によれば、新生していない人は、どんなに人助けをしても、祈っても、そういった一切の善行は「罪深いもの」とされ、そうでありながらも、その人がそういった善行を「怠ること」は神の下に許されていないのです、、、

しかも、彼・彼女は依然としてその「罪深いもの」としてしか評価されない善行をやり続けなければならない、、なぜなら、彼・彼女がその善行を怠ることは「いっそう罪深く、神を怒らせること」だからですと。

しかも、その彼・彼女が救われるか滅びるかは、その人の願いや求めにまったく関係なく、創造の初めから神によってあらかじめ恣意的に予定されているのです。

そうなると、どうでしょう。

ここで描き出されている神は、はたしてほんとうに私たちの信じる聖書の神なのでしょうか?

さらに言うなら、この神は愛なのでしょうか。

また、カルヴィニズムのTULIPを突き詰めていった場合、私たち人間側の責任というのはどこにあるのでしょうか。

☆☆

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そういったところを今、私は考えています。

でもこのレターを終える前に、私は兄弟にありがとうの気持ちを伝えたいです。

昔、私には、霊的父とも言える本当にすばらしい助言者がいました。

彼は有能で霊的にも成熟した神学者であり、5ポイント・カルヴィニストの方でした。

しかし、ある痛ましい出来事があり、その方は私たちの元を去って行かれました。

Wayne GrudemのSystematic Theologyの本を私にプレゼントしてくださったのもその恩師です。

その痛ましい出来事の後、数年の間、私は「カルヴィニズム恐怖症」に陥っていました。

頭脳明晰な神学者から、理詰めで説得されることの恐怖を味わったからです。

しかし月日の流れは、そういった過去をやさしく忘却の彼岸へと運びいざない、気がつくと、私の周りには再び、カルヴィニストの友だちがいました。

Headcovering Movementのジェレミーさんが5ポイント・カルヴィニストであることも初めから知っていました。でも、そういった事実も、もはや昔のように私をたじろがせる要因にはなりませんでした。

私はTULIP五教理を受け入れないまま、この地上での人生を終えるかもしれませんし、そうでないかもしれません。

厳格なカルヴィニストの方々の目には、そういう自分は、「反ペラギウス主義者」で「恵みの教説」から外れていて、プロテスタント正統信仰の「外」にいる人間だと映るのかもわかりません。

おそらくそうでしょう。

でも神様の恵みは、TULIPのボックスよりも大きいと思います。

その一方、真摯に探求した結果、TULIPに行きついた信仰者には、神様はその方のいるその領域であふれるばかりに愛と恵みを注いでくださると私は信じています。

今は、いろいろな柵がありますが、いつの日か、私たちは、そのような柵や仕切りのない栄光の世界に招き入れられ、

もはや神学も教義も必要のない都――ともしびの光も太陽の光もいらない永遠の都で――神の御顔を仰ぎ見、小羊を賛美するようになる――その日を私は待望しています。

親愛なる兄弟、そして兄弟姉妹のみなさん、その日が来るまで、たえまなく聖書の真理を探究し、そして共に祈り、励まし合っていきましょう。


主にあって、
Kinuko




2016年6月27日 追記

① 自分にとって参考になった記事を一つ、みなさんにご紹介したいと思います。

PREDESTINATION OF THE SAINTS: BIBLICAL.
“DOUBLE-PREDESTINATION”: UNBIBLICAL!



② また、次のVTRは、カルヴァン主義のマイケル・ホートン氏と、アルミニウス主義のロジャー・オルソン氏との間でなされた対話です。私はお二人の真摯な説明を聞いて、カルヴァン主義においても、アルミニウス主義においても、自分の知らなかった部分・誤解していた部分があったことを知りました。本当に恵まれ、また勉強になるVTRでした。感謝します。






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キリストにある私の兄弟へ捧げるお手紙(1)―「人間の自由意志に対する罪の影響」についての記事をお読みして

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