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Η ΚΥΡΙΑΚΗ ΠΡΟΣΕΥΧΗ`(=主の祈り)

天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。

御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。

私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。

国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。


一日に三回、このように祈りなさい。


ディダケー(Διδαχή) 第8章より



ディダケー(12使徒の遺訓)というのは、1世紀後半から2世紀初頭に書かれた初代教会の教え集のことです。

これを読むと、初代教会のクリスチャンたちは、「一日に三回、『主の祈り』を祈りなさい」という指導を受けていたことが分かります。

☆☆

イエスさまご自身が、「だからこう祈りなさい After this manner therefore pray ye.」(マタイ6:9a)と直々に仰せになられた「主の祈り」。

ギリシャでは、主日の朝、プロテスタント教会の会堂からも、正教会の会堂からも、次のような会衆の祈りの声が聞こえてきます。



Πάτερ ημών
ο εν τοις ουρανοίς,,
,


パテル イモーン、
オ エン ティース ウラニース、、

(=天にましますわれらの父よ、)




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私たちは様式や教理の点で何百年もお互いに分裂したままですが、この祈りは、そんな隔ての壁、時空の壁を突き抜け、使徒時代から今日に至るまで、ずっとずっとずっーと変わることなく、この地で捧げられ続けてきました。



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主日朝、ギリシャ人クリスチャンと共に、「パテル イモーン」の祈りを捧げる時、その時、私は、古のキリスト降臨の時から、現在に至り、そして将来やがて起こるキリストの再臨という神の壮大な歴史の中に、自分たちがたしかに「入れられて」おり、従って、私たちは永遠の〈今〉を生きているんだ!という言葉にならない感動を覚えます。


マタイ24:35

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。



ヘブル12:1a

このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、



黙示録7:9-10

その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

彼らは、大声で叫んで言った。
「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」



☆☆

初期キリスト教の著述を読むと、この「主の祈り」がどれほど畏敬と敬虔の念をもって取り扱われ、聖徒一人一人の霊的生活に深い影響を与えていたのかに驚かされます。

たとえば、3世紀のカルタゴに生きたキプリアヌスは、On the Lord's Prayer の中で、次のように言っています。

平和の師であり、一致の主であるイエスは、この祈りを、単己で個人的な祈りとしては望まれませんでした。

そうです、主は私たちが自分のためだけに祈ることを望まれなかったのです。

見てください、私たちは、「天にまします私の父よ」とか、「私の日ごとの糧を今日もお与えください」とは祈りません。

また私たちクリスチャンは、自分の負い目だけが赦されるようにとは嘆願せず、自分だけが試みに会わず、悪から救い出されるようにとも祈りません。

そうではなく、私たちの祈りは、全ての人々を含んだものであり、そして全ての教会のために捧げられるものです。なぜなら――キリスト教会である――私たちは、一つだからです



なぜイエスさまは、「天にいます私の父よ」ではなく、「天にいます私たちの父よ」と祈るよう仰せられたのでしょうか?――キプリアヌスのこういった所感と併せ、このことを深く黙想していく時、私たちの心の地平線は、縦にも横にも、前にも後ろにも、果てしなくどんどん伸びていくように思います。

太陽の光線を、光の本体から分離することはできません。

というのも、その一致と統一性は、光の流れが遮断されることを許さないからです。木から枝をへし折ってみなさい。折られた枝からはもはや芽が出てこれなくなります。

泉から小川をせき止めてごらんなさい。せき止められたその小川はじきに干上がってしまうでしょう。

それと同じように、主の光に彩られたキリスト教会もまた、その光線を全世界いたるところに放っているのです。

にもかかわらず、各地で輝いているのはただ一つの光です。そうです、みからだの一致というのは分け隔てられることがないのです。




その2につづきます。



おまけ


①「主の祈り」のコイネー・ギリシャ語(+英語)



②「主の祈り」の賛美 by レーナ・マリアさん




永遠の〈今〉を生き、祈る。―「主の祈り」再発見の旅(2)

飢えと渇きにたましいが衰え果てるとき―試練の中にいる友のために