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「神の言葉にとらわれた私の良心は取り消せぬ。
私はここに立つ。
神よ、私を助けたまえ。アーメン。」



私:「むしろ本質的に変わってしまったのは、〔組織的エキュメニカル運動を推し進めるカトリックというより〕プロテスタントの方でしょう。」

はっと目を覚まさせられるような深い指摘です。

私たちプロテスタントが本質的に変わってしまったのは、16世紀の宗教改革者たちが持っていたような、聖書の真理に対する燃えるような愛を失ってしまったからでしょうか。

あるいはボイド神学で提唱されているような「疑い」や「不確かさ」を、「確実さ」以上に称賛しほめたたえるイマージング系の流れ が想像以上に私たちのメンタリティーに浸透してきているからなのでしょうか。

私たちはどうしたらいいのでしょうか。

この流れに押し流されないための知恵をください!




ミヤサカ兄弟からの応答

主なる神は、歴史の中で常に御言葉を畏れ、ご自身に仕える民を召し、地上に与えています。

たとえどんな代価を払わなければいけなくとも、自分達が学び、獲得した確信に留まる

前述のルターの選択だけでなく、星の数ほどの神の僕らの証が私たちに語りかけていると思います。



「たとえどんな代価を払わなければいけなくとも、自分達が学び、獲得した確信に留まる。」

この記事では、そんな「星の数ほどの神の僕らの証」の一つを、みなさんと共有できたらと思います。

以下は、宗教改革期に福音信仰に立ったために、殉教の道をたどることになった一人の女性の手記です。

(出典:Foxe's Book of Martyrs, p.329-334)


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(1563年初刊)



アン・アスコー婦人(Mistress Anne Askew)の証し

16世紀、英国
 





異端審問所での第一回目の審問(AD1545年)



クリストファー・デールという人がサドラー会堂で私を取り調べ、次のように言いました。

「あなたは『聖堂で5回ミサを聴くよりは、聖書の中の5節をむしろ読みたい』と言ったそうだが、それは本当か?」

それに対し、私は「その通りです」と申し上げました。

それは新約聖書の書簡や福音書を軽んじる気持ちで言ったのではなく、聖書が自分を非常に建て上げるものであるのに対し、ミサは自分にとって益するところがないという意味で申し上げたのです。

するとデール氏はさらに私を告発して言いました。

「あなたは、『もし邪悪な祭司が人々に奉仕するなら、それは神ではなく悪魔の働きです』と言ったはずだ。」

それに対し、私は「そのようなことを申し上げたことは一度もありません」と答えました。

そして続けてこう申し上げました。

「誰が私のために教会の奉仕を行なおうと、その人の邪悪な状態は、私の信仰にダメージを及ぼすことはできません。なぜなら、私は霊において、キリストのみからだと血を受けるからです。」

☆☆

また彼は罪の告解について私が何と言ったかを問いただしました。

私は答えました。

「聖ヤコブが言っているように、『あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい』(ヤコブ5:16a)というのが(罪の)告解の意味するところだと私は考えています。」

するとデール氏は、一人の祭司を呼び出し、この祭司は私に訊きました。

「あなたは、私的ミサが、この地上を去った魂の益になるとは考えていないのか?」

「キリストが私たちのために死んでくださった事以上に、そういった事を重んじるのは、非常な偶像礼拝だと思います。」

☆☆

すると今度は、司教代理が私を糾弾して言いました。

「あなたは聖句を大いに引用しており、それは非常に責められてしかるべきである。なぜなら、聖パウロは、女が神の言葉や御言葉について話すことを禁じているからだ。」

私は司教代理に答えました。

「ええ、私もパウロの言わんとしていることを理解しております。1コリント14章で、パウロは、『教えという形で』集会の中で、女性が話してはならないということを言っています。司教代理さまにうかがいますが、どなたか女性が講壇に上がり説教したのを、未だかつて目撃されたことはありますか?」

すると司教代理は答えました。「一人も見たことがない。」

「それならば、明らかに掟を破ったのではない限り、こうした哀れな女性たちを糾弾するのはどうかおやめください。」

☆☆

その後私は監獄に連れていかれ、そこに11日間とどまりました。

面会者は誰も許されませんでした。




グレーンウィッチ市にある王国評議会の前における私への尋問




彼らは、私がこの件を王の前に申しあげることが望ましいと言いました。

私は「そうはしたくありません」と率直に言いつつも、「しかしそれが王の望まれることならば、私は王に真理を証したいと思います」と答えました。

すると、司教代理が秘蹟(サクラメント)に対する私の見解について尋問してきました。

「私はキリスト集会の中で、キリストの死を覚えるパンをいただき、感謝と共に、もっとも栄光ある主の受難の実をいただいております。」

しかしウィンチェスターの司教は、「遠まわしな言い方ではなく、はっきり質問に答えなさい」と言いました。

「見知らぬ土地では、主に捧げる新しい歌は歌いません。」

「そんな風にしてあなたはたとえ話でばかり話している。」

「司教様、それがあなたにとっては良いのです。なぜなら、『もし私があからさまに真理を話すなら、あなたはそれを信じないでしょうから。』」


「司教様、私はあなたの手によってもたらされるあらゆる苦しみを甘受する覚悟ができております。

ええ、非難や糾弾といったものだけではなく、それに続くあらゆるものを、です。それらすべてを喜んで甘受しようと思っています。」

☆☆

エセックスの主教、およびウィンチェスターの司教は、秘蹟が肉であり、血であり、骨であると告白するよう私に迫りました。

私は申し上げました。

「司教さま方、ご自分の知識に反するようなことを他人に勧告しておられるのは、あなたがたにとって大いなる恥ではありませんか?」

司教は「あなたとざっくばらんに打ち解けて話し合いたい」と言いました。

私は答えました。「ユダもそうしました。彼がキリストを否んだその時に。」

すると今度は、司教は私と私的に話したいと言いました。しかし私はそれを拒みました。

「なぜだ?」と司教は訊ねました。

「なぜなら、すべての事実は、ふたりか三人の証人の口によって確認されるものだからです。」(Ⅱコリント13:1)

「それなら、あなたは火で焼かれるべきだ」と司教は言いました。

私は答えました。

「聖書をくまなく調べましたが、キリストや使徒たちが他の人間を死に至らしめたという記述を私はどこにも見いだすことができませんでした。」

こうして私はニューゲート監獄へ送られました。



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ニューゲート監獄




ニューゲート監獄を出てから起こった出来事


その後、ライヒ長官および、ロンドンの司教が、あらゆる手を尽くし、おべっかをも使いながら私を神様から引き離そうとしてきました。

しかし私は彼らの懐柔策にはだまされませんでした。

そうすると、今度は、ニコラス・シャクソンという人が私の所に送られてきて、「私も以前、あなたのような信仰を持っていましたが、棄教しました。あなたもぜひそうなさってください」と私に助言してきました。

私は「そういう人は生まれなかったほうがよかったのです」(マタイ26:24)と申し上げました。

☆☆

その後、彼らは私を拷問台にのせました、、

私が泣き声を上げず、じっと静かに耐えていたので、司教代理とライヒ長官は、私をさらに痛めつけようと、自らの手でもって私を拷問の苦しみに遭わせました。

その痛みの中で私はほとんど死んだような状態になりました。

すると副官が私を拷問台から降ろすよう命じました。

すぐに私は失神しました。

その後、地べたに座らされたまま、二時間という長い時間に渡り、私は司教代理の尋問を受けました。

彼は甘言をもって、「自分の意見に固執してはいけない。意固地になるのはよくない」と言ってきました。

しかし主なる神は(主のとこしえのすばらしさに感謝しています)、私に耐える力と恵みを与えてくださいました。

そしてああ、願わくば、最後まで耐え忍ぶことができますように!

☆☆

それから後、私は家に戻されました。

骨々が痛み、私は寝台に仰臥しましたが、主なるわが神に感謝を捧げています。

司教代理から言付けがありました。――もしも私が自分の意見を撤回するなら、これから何不自由なく生きていくことができる。

しかしもし私が自分の信仰にあくまで固執するなら、その時には再度ニューゲート監獄へ送られ、そこで火あぶりの刑に処せられると。

私は彼に返答の文をしたためました。

「自分の信仰を棄てるよりは、私はむしろ死を選びます。」



―アンの手記はここで終わっていますー




〔著者ジョン・フォックスによる後書き〕


処刑日が定められ、この敬虔な女性は椅子に乗せられたまま、スミス・フィールドの処刑場に連れてこられました。

激しい痛みのため、もはや歩行が不可能だったからです。

火刑柱の所に引いてこられると、彼女は鎖で柱に結び付けられました。

多くの群衆が周りを取り巻いていました。

また(目の前にある)聖バルトロマイ教会の議員席には、英国司教代理のライオットへスリー、ノーフォークの公爵、ベッドフォードの伯爵、市長など多数が座っていました。

火がくべられる前、議員の一人が、火薬の力で火の付いたまき束がこちらにも飛んでくるのではと懸念の声を挙げました。

それに対し、ベッドフォードの伯爵は、「火薬はまき束の下に置かれるのではなく、犯罪人の苦痛を取り除くべく彼らの体の周りに備え付けられるだけですので。」と説明を加えました。

その後、ライオットへスリー英国司教代理、および代理がアン・アスコー婦人に「あなたが信仰を撤回するなら、王の恩赦に与ることができる」と言い渡しました。

それに対し、アン婦人は次のように答えました。

「私はわが主を拒むようなことはいたしません。」

こうして火炎に包まれたアン・アスコーは、神に捧げられし祝福された犠牲として、1546年、主の中で眠りにつきました。

そして、われわれ信仰者が見倣うべきキリスト者としての貞節と忠実さを証する、並はずれた模範をこの世に遺していきました。



ーおわりー



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