第六章
   青年ボシャート 肉親の反対にあう


Flower in Snow

ゾリコン村は興奮で沸き返っていた。木曜日は日がな雪が降り続けていた。そして雪片の中を村人たちは家から家へと行き来し、心配顔で話していた。雪雲よりも近く、興奮が町を覆っていた。

マルクス・ボシャートは一日中家にいて、フェリクス・マンツがくれた聖書を読んでいた。彼が一語一語ゆっくりと読み上げる傍で、レグラも座って聴いていた。

彼らの元には訪問客――一連の尋常でない出来事についてもっと聞きたい隣人や親せきの人たち――が足しげく訪れてきた。

フリードリー・シュマッヘルは一時間ほどここにいて、しみじみと語り合った。フリードリーの情熱はマルクスにもうつり、彼は新しい希望で満たされた。そうだ、もし神が僕たちと共にいてくださるなら、誰がこの新しい信仰を食い止めることができるだろう。

ヨハン・ブロトゥリーは励ましの言葉を与えるため、家に立ち寄った。「今晩また集会が開かれるよ。」彼は知らせた。

「どこで?」マルクスは尋ねた。
「キーナストの家で。」

「フェリクスの家?」マルクスは驚きと喜びの気持ちを隠すことができなかった。
「そうだ。彼が僕らを招いたんだ。」

「そりゃ、すばらしい!」マルクスは叫んだ。キーナストは村のリーダー格である。もし彼や祖父ヤコブ・ホッティンガーといった人たちがこの新信仰を承認するなら、もっともっと大勢の村人たちが彼らの例に倣うことは確かだった。

他にも、マルクスとレグラと話をするため、もしくはルディー・トーマンとおしゃべりするため、吹雪の中をかいくぐって来る友達がいた。しかし一日中マルクスが期待していた訪問客はとうとう来なかった。

「父と母はぜったい来ると思っていたんだけどなあ」と、暗くなり始めた頃、マルクスはレグラに言った。彼は神経質に咳払いをした。

「私もそう思っていたわ。」レグラは言った。「でも、もし来なすったら、きっとご機嫌を悪くされるんじゃないかって思うわ。」

「うん、それはもう確かだ。でも、なんでうちの両親は来ないんだろう。今頃はきっと、僕たちの洗礼のことを耳にしていると思うんだが、、、」

「今晩いらっしゃるかもしれなくてよ。」

「それはありえないね。」マルクスは言った。「両親は早寝の習慣があるんだ。それに、僕たちは今晩家にいないし。今晩はキーナストの家で開かれる集会に行かなくちゃならない。」

レグラはせっせと夕食の準備を始め、マルクスは椅子にもたれて、考えていた。外をみると、雪片はまばらになっており、月が昇る頃には、空は澄み渡っていた。新しい雪の覆いの下に、村は平安に横たわっていた。

一時間後には、ゾリコン村のあちこちで動きがあった。村人たちはたいまつを手に、キーナストの家へ歩いて行った。人々は家から出てきては、他の家の中に姿を消した。日中の興奮は、まだ続いていた。

マルクスとレグラがキーナストの家に到着した頃には、大勢の村人の一団が居間に詰めかけていた。立ち見をしなければならない人も大勢いた。ゲオルグ・ブラウロックもフェリクス・マンツもその場にいた。

二人の伝道者は、昨晩と同じ様に、聖書を読み上げ、説教をした。今晩の聴衆は昨晩よりずっと多かった。単なる好奇心でやって来た人たちはどのくらいいるんだろうとマルクスは思った。

真っ先に洗礼を求めた人の一人が、ヨルグ・シャドだった。

シャドはマルクスの旧友であり、ゾリコン村随一の道楽息子であった。シャドは結婚しており、良家の娘さんを嫁にもらっていた。彼の妻はキーナストの娘だった。それにもかかわらず、ヨルグ・シャドが低俗で、ふしだらな生活を送っているという評判は相変わらず、彼につきまとっていた。

シャドはとぎれとぎれに、自分は村中で一番の罪人だが、もうこういう自分にこりごりしている。そして新しい人生を歩む心の準備ができていると告白した。彼は涙ながらに恵みと赦しを乞い、神の御助けによって、違った生き方をしたいと言った。

フェリクス・マンツはヨルグ・シャドに洗礼を施した。そして他の洗礼がその後に続いた。

☆☆☆
Swiss village noon

金曜日の昼前、ヨーダー・ボシャートはグスタード通りにある息子の家につかつかと入っていった。彼の後ろには妻がしおしおとついてきていた。

両親が入ってくるのを見たマルクスは、父の、痩せてしわの寄った顔にただよう厳しい面もちに、ほとんど恐怖の念さえ抱いた。

「息子よ。お前はばかなことをしでかした!」 父ヨーダー・ボシャートは、マルクスが差し出した揺り椅子に座らないうちから、一喝した。

マルクスの母も腰を下ろした。彼女は泣いていた。彼女は怒っているというよりは、どうしてよいか途方に暮れているようにみえた。

マルクスは何と言ってよいものか分からなかった。

そうするうちに、父親がまた続けて言った。「お前は家族の面目をつぶした。それだけでなく、お前のせいで私らは皆危険にさらされているんだぞ。こんな事は前代未聞だ。全く聞いたことがない。お前はきっと、一時的に心が弱くなってあんな事をしでかしたんだろうが、今になってしまったと後悔しているんだろう。」老ボシャートは、「な、そうだろう、頼むからそうだと言ってくれ」といわんばかりの目で息子を見た。

心苦しい沈黙が続いた。マルクスは咳払いをした。そして鼻をかんだ。何と言ったらいいのだろう。父親の怒りをさらに煽るようなことは何も言いたくなかった。でも、、、

「お父さん。」彼は、声を平静に保とうと極力つとめながら、ゆっくり話し始めた。「お父さんがお怒りになると承知していました。本当にそんなことはしたくなかったんです。」

「じゃあ、なんでしたんだ、マルクス。」この問いはナイフのように突き刺さった。

マルクスは大きく息をついた。声が詰まったが、彼は続けて言った。「僕は、、僕は、、、お父さんは、――僕があの晩、水曜の晩、どんなに葛藤したか――、それをご存じないのです。どんなに苦しんだかを。でも、お父さんを傷つけたくはなかったんです、、、」

マルクスは父の方を向き、それから母の方を向いた。「それは信じてくれますか、お父さん、お母さん。」
母親はうなずいた。そして涙が再び溢れだした。

マルクスは続けた。「あの晩、僕はみじめな状態にありました。何をさしおいても、僕は、いのちと平安――兄弟たちが読んでくれたいのちと平安がほしいと思ったのです、、、」

「いのちと平安!」ヨーダー・ボシャートはこの言葉をほとんど息子に投げつけるように言い放った。
「それこそ今、お前が得られないものじゃないか。私の言うことをしかと覚えておけ。この馬鹿騒ぎがおさまるまでは、今後ゾリコン村に平安はないとな。せいぜいブロトゥリーのように村から追い出されなければ、幸いだと思っておれ。」

マルクスは下唇を噛んだ。レグラは彼に歩み寄り、震える手を彼の肩に置いた。

父親は続けた。「お前たちに良識があるんだったらだな、今日の午後、二人ともチューリッヒに行くことだ。そして参事会の前で告白するんだ。自分たちは惑わされ、、、欺かれ、騙されたんだと。そしてこんな事が起こってしまって申し訳ないと参事会に謝るんだ。そうしたら、あるいは彼らはお前たちを放免してくれるかもしれん、、、」

「でも、お父さん。」マルクスは確信をこめて言った。
「今回起こった事に関して、僕たちは申し訳ないとは思っていないんです。僕たちは、、、僕のうちには平安があるんです。今までに感じたことのない種類の心境です。これは神の御働きです。そして神様は御心を行なうために、教会を建て上げようとお望みなのです。」

ヨーダー・ボシャートは何か言おうとしたが、マルクスは続けて言った。「教会は、罪を断ち、神と正しい関係にありたいと欲する人々によって構成されるべきなんです。洗礼が意味するところもまさに、それなんです。つまり、新しいいのちを象徴するものなんです。聖書に載っている例はことごとく、洗礼を受けた成年男女であって、赤ん坊ではないのです。」

「お前は自分の言っていることが分かっちゃいない!」ヨーダーは叫んだ。

「ウルリヒ・ツヴィングリを他において、聖書をより良く理解している者は誰もおらん、、、もちろん、一介のブドウ農夫にすぎないお前なんかに分かるわけがない、、、そしてそのツヴィングリが、『幼児は洗礼を受けなければならない』と言っているんだ。」

「そうですけど、でも、、、」マルクスは言いかけた。
「でも、何だ」と父親はどなった。

マルクスは勇敢にも説明を試みた。「フェリクス・マンツはツヴィングリと一緒に勉強していたんです。そのマンツが言うには、ツヴィングリは幼児洗礼の事が聖書に載っていないことを知っているんです。ツヴィングリは少し前まで、その事を認めていたんですが、今になって、自らの意見を変えてしまったんです。」

「ふん!二度目の洗礼という思想か!マルクス、私らは、お前をそんな風に育てた覚えはないぞ――おかしな思想を追っかけ回し、もう一度洗礼を受けるとはな。」

「お父さん、聞いてください。最初は確かに変な感じがします。でも新約聖書から直接語られるのをきくと、これこそ全くまともで正しい事だと思われてくるんです。今までのところ、僕は自分が間違ったことをしたとは思えないのです。」

「今に分かるだろうよ、今にな」とヨーダーは、右の握りこぶしで左手をたたきながら言った。「村役人がお前を牢獄に引っ張っていく暁には、それに気付くだろう。」

マルクス・ボシャートは黙っていた。これ以上何といっていいものやら分からなかった。父親と母親は席を立って、去ろうとした。帰り際に、母親は何か言おうとした様であったが、ややあって彼女は背を向け、夫に続いて戸外に出た。

☆☆☆

金曜日の晩、集会はハンス・ミューラーの家で開かれ、ヨハン・ブロトゥリーが会を導いた。ブラウロックとマンツは数日後にまた戻って来るという約束と共に、すでにチューリッヒ市の自宅にそれぞれ戻っていた。

村にいられるのも今日までとなったヨハン・ブロトゥリーは、その心境を村人たちに語りながら、声をうるませた。ここ二年以上、彼はゾリコンに住んでいたのだ。「兄弟たちよ、私はあなた方のことを憂慮している」と彼は言った。

「あなた方は皆、信仰をもって間もないし、まだ少ししか聖書のことを知らない。はたしてあなた方は、主イエス・キリストに対する信仰に固く立っていくことができるだろうか。どんな犠牲を払ってでも御言葉に従い、人間的な理屈や権力に揺さぶられないでいることができるだろうか。」

「明日、私は妻と子供と共に、この州を去らねばならない。私はここに住み、あなた方の間で労してきたが、この働きが無駄に終わることのないよう祈る。実際、本当に主は先週、すばらしい事をなしてくださった。考えてもみてくれ。ほんの一週間前まで、ここにいる誰もまだ洗礼を受けていなかったんだ。

「もし神が私らの味方なら、誰が私らに敵対できようか。誰が、キリストの愛から私らを離れさせるのか。患難か、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。」ヨハン・ブロトゥリーはここで息をついた。

聴衆者に交じって座っていたマルクス・ボシャートは、身を前に乗り出した。

それからヨハンは確信に満ちた声音で続けた。
「さあ、私らも使徒パウロと共にこう言おうではないか。『私たちを愛してくださった方によって、私たちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、私たちを引き離すことはできない』と。」

しかしここで、ヨハネの声は悲しい調子を帯びた。
「でも、もし私らがしっかり信仰に根付いていなかったとしたら、そして、すぐに真理から引き離されてしまうようなら、そして狼が来て、群れを散らすようなことがあったらどうなるだろう。この事を肝に銘じていてほしい――、

やがて試練がくるということを。我々の信仰が火の中で試されることになるだろう。パウロの勇気を我々も持とうではないか。そうするなら、何ものといえども、我々を天に導く狭い道から転じさせることはできないだろう。」

その晩にもまた洗礼式が行われた。そして多くの村人が教会に加えられた。

その中にはリエンハルド・ブレウラー、そしてズミコン村から来たブラグバッハのいとこの一人がいた。コンラード・ホッティンガーが前に進み出、息子のルドルフが後に続いた。マルクスはうれしかった。なぜならコンラード叔父は彼の大好きな叔父さんだったからだ。彼の存在は教会を力づけるだろう。

一人また一人と、ゾリコンのリーダー格の農民たちが洗礼を受けていった。すでに受洗者はかなりの数になっていた。

そしてついにヨハン・ブロトゥリーは兄弟たちに別れを告げた。ヨハンは去っていく。でも彼の思想と祈りは、村人たちの心の内にたびたび思い出されることであろう。――そう、状況が厳しくなった時にもひるんではならず、迫害を逃れようと、真理を曲げ、妥協するようなことがあってはならないと。

ブラウロックとマンツは、この新しい教会をしっかり組織立てるために、まもなく村に戻ってくると、ブロトゥリーは言った。――そこで聖書朗読者および会衆を導く奉仕者数名が任命されるのだという。

こうして集会は終わり、マルクスとレグラは帰途に就いた。彼らのすぐ目の前を、ルディー・トーマンが急いでいた。ルディーはうつむき加減に考え込んでいるようだった。

「愛しいレグラ。」マルクスは感情を込めて言った。「今日、両親に話した時には、つらいものがあったよ。でも今晩僕はね、自分たちのしている事が間違っちゃいないって、さらに確信するようになったよ。」

「私もよ。」レグラは言った。「おそらく、もっともっと多く村人たちが、私たちの群れに加わるようになったら、お義父さんたちも、これは私たちに限ったことじゃなくて、村全体に起こっている何かなんだっていうことが分かるんじゃないかしら。」

「そうだ。何かが起こっているんだ」と、妻がついてこられるように歩調を緩めながら、マルクスはつぶやいた。

「すでに何かが起こったんだ。そして明日、、、はたして明日は何が起こるんだろうか。」


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第7章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

第5章 『チューリッヒ丘を駆け抜けた情熱』 

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