3075themoreweknowofhim.jpg


神についてより良く知っていくに従い、
私たちはますます全面的に主を信頼していくようになるのである。


J・グレシャム・メイチェン
(1881-1937)




*以下、引用します文章の多くは、J. Gresham Machen, Christianity and Liberalismからのものです。


他の諸領域と同様、宗教の領域においても、次のことが言えると思う。

つまり、皆が皆、容易に合意できるような事柄というのは概して、「それらを保持するに余り価値のないものである」というきらいがあるのだ。

しかし真に重要なことを巡っては、[それらを保持するべく〕人々は闘うのである




j-gresham-machen-quotes-2.jpg


次のような提言をする方々がいる、、

――彼らは言う。ささいな罪(the little sins)の類を、それらがあたかも大きな罪であるかのように取り扱うのはやめるべきだと。

私はこういった提言はまったく賢明でないと思う。

とどのつまり、これは、「われわれは、ささいな罪の類にあまりに神経質になってはいけない。むしろそれらを手つかずのままそっとしておくべきだ」という提言に他ならないだろう。

倫理的戦いにおいて、われわれは、「計略の才に抜群に秀でた敵」に対し戦っているのである。

この敵は、決定的な攻撃を虎視眈々と狙いつつ――(目的なく)気まぐれな発砲行為によって――自らの大砲のありかがどこであるかを相手に悟らせないのである

ヨーロッパでの大戦と同じく、倫理的戦いにおいても、「静かなセクター(quiet sectors)」というのがたいがい一番、危険なのだ

こういった「ささいな罪」を通して、サタンは私たちの生活に侵入してくるのである。

それゆえ、前線におけるセクターすべてを手ぬかりなく見張り、掟の一貫性について説いていくことが賢明だと思う。



「キリスト教界における分裂状況は悪である」と人々は言う。

それは確かにそうだ。

しかし、悪というのは、むしろ分裂を引き起こす誤謬の存在の内にこそあるのであって、そういった誤謬を認識することに因するのではないと思う。



教会は深刻な危機にさらされている。

福音主義諸教会の中に、キリストの福音を拒絶する者たちが多数入り込んできているからである。

彼らは、伝統的なキリスト教用語を両義にとれるような曖昧な仕方で用い、また、見解の違いが単なる聖書解釈の違いであるかのように見せかけつつ、教会に入り込んできているのだ。

しかしその実、彼らはキリスト信仰の土台そのものに対し、敵対しているのである



christianityandliberalism.jpg


あらゆる点において、キリスト教の主要な対抗者(rival)は「リベラリズム」である。

この二つの動きは、ベクトルが全く逆なのだ。



人間の友に向けられる中傷に対し、われわれは憤りを覚えている。

しかるになぜ、我々の神が、これほどまでに卑劣きわまりない中傷をお受けになっている現状をみながら、われわれはここまで平気でいられるのだろう?



今後あなたが払うことになるであろう犠牲が軽いものであるか否か――、それに対し、私は何も言うことができない。

こういった時代精神に対し、あくまで抗し続け、立ち続けるというのは深刻なことである。

同世代の人々の大半からさげすまれ、忌み嫌われるというのは深刻なことである。

しかしながら、今日においてはますます、これが真実なキリスト者の宿命(lot)となっていくだろう。

だから彼は泣きごとを言わない。なぜなら、今自分が喪失しつつあるすべてのものなど、彼が内側に持しているものに比べるなら取るに足りないことを知っているからだ。

そして現在、このように圧力を受けてはいても、究極的な未来は彼と、そして彼の主イエスに属していることを知っているからだ。

だから、今は、イエス・キリストの良き兵卒として苦難に耐えるよう、彼は召されているのである。





tyndaleburn20160711.jpg
ウィリアム・ティンデル



Ⅱテモテ2:1-7

塚本訳(1963)


1 (いま言う通り)だから、わが子よ、君はキリスト・イエスにある恩恵によって強かれ。

2 そして(按手の時)多くの証人達の前で私から聴いたことを、また他人に教え得る信頼すべき人達に委ねよ。

3 キリスト・イエスの善き兵卒として、(皆と)共に苦しめ。

4 (いやしくも)兵卒たる者は、司令官に喜ばれるため(ただ戦いのことに全力を尽くし、決して)生活問題に携わ(ってはな)らない。

5 また試合をする者は、法に適って試合をせねば勝利の冠を得(ることは出来)ない。

6 苦労する農夫がまず収穫(の分け前)に与るのは当然である。(褒美を得ようとする者は、そのことに全力を尽くさねばならぬ。)

7 私が言うことをよく考えよ、主は何事についても(必ず)君に悟りを与え給うであろうから。




スポンサーサイト

あさかぜしずかに吹きて、小鳥もめさむるとき

神の国のエトス(ethos)と地上の国のエトスー「ポリティカル・コレクトネス」にフィットしておられない師に従う弟子たちの道

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。