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宣教学校にいた時、オランダから一人の講師の方がやって来られました。

この方は「異文化圏の人々に対する伝道」というテーマで授業をしてくださったのですが、印象深かったのが、この先生の「突飛な」行動でした。

先生は初日、教室に入ってくるなり、いきなり小さな絨毯を敷き、その上に座ったかと思いきや、おもむろに額を床にすりつけ、祈り始めたのです!

そしてしばらくすると、唖然とする私たちに、先生は訊ねました。「私は今、何をしましたか?」

それに対し、私たちは、「モスクで祈るイスラム教徒の姿を真似たのだと思います。」と答えました。

(ちなみに、この先生は、宗教的なパキスタン人男性のような、白く丈の長い服を着ていました。)

しかし先生は聖書を開きつつ、私たちにこう言ったのです。

「いいえ、私はヨハネの黙示録に書いてある礼拝行為を今、みなさんの前でしてみせたのです!」


黙11:16

神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し(προσεκύνησαν)、神を礼拝して、、



黙4:10

二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して(προσκυνήσουσι)、、



黙19:4

二十四人の長老と四つの生き物はひれ伏し(προσεκύνησαν)、御座についておられる神を拝んで、「アーメン。ハレルヤ。」と言った。




προσκυνέω(proskynéō:プロスキネオ)

(<πρός、向かって+ κυνέω、接吻する、平伏して敬意を表する)


① ~に敬意を表する。(行為により)尊崇の意を表す。敬礼する。~の前にひざまずく。~の前にひれ伏す。

② 伏し拝む、拝する、礼拝する。

(織田昭 『新約聖書ギリシア語小辞典』より)




旧約聖書の中では、「ひれ伏す(bow down)、礼拝する」という動詞は、שָׁחָה(shachah:シャハー)となっており、170回も使われています。

(*ちなみに、現代ヘブライ語では、このシャハーは、「おじぎをする、身をかがめる」という意味はあっても、「礼拝する」という意味は、もはやないそうです。Vine's Complete Expository Dictionary of Old and New Testamentより)


詩篇5:7

しかし、私は、豊かな恵みによって、
あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、
あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します(אֶשְׁתַּחֲוֶ֥ה)。




アラビア語の聖書では、ここの詩篇の「ひれ伏す」は、أَسْجُدُ(アスジョド)と訳されており、この行為は、私たちのイメージするモスクでのイスラム教徒たちのあの平伏姿勢にも当てはまると思います。

冒頭の話に戻りますが、先生が私たち生徒に伝えたかったのは、「みなさんは、偏見のレンズで見ていますが、その実、『ひれ伏し祈る』というポーズは、決してイスラム教徒特有のものではないのです。これは新約聖書にも記されている立派な聖書的祈りの姿勢でもあるのです」ということでした。



礼拝の中でひれ伏し祈る


しかしイスラム教徒と違い、私たちクリスチャンにはもちろん、規定された「祈りの姿勢」というのは一切ありません。

私たちに求められているのは、「霊とまこと」(ヨハネ4:23)による神礼拝です。ピリピ3:3には「神の御霊によって礼拝し、、」とも書いてあります。

そう、それはそうなのですが、でも、よくよく気を付けて新約聖書を読んでみると、黙示録以外にも、神礼拝や祈りや賛美の行為に、「ひれ伏す、ひざをかがめる」という具体的なポーズが伴っていることを記す箇所がたしかに存在しているのです。


ピリピ2:9-11(新改訳)

それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものすべてが、ひざをかがめ(γόνυ κάμψη)、

すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。



マタイ26:39(新共同訳)

少し進んで行って、うつ伏せになり(ἒπεσεν ἐπὶ πρόσωπον、顔を〔大地につけて〕ひれ伏し[岩波訳])、祈って言われた。

「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」



マタイ28:16、17a(新共同訳)

さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。

そして、イエスに会い、ひれ伏した(προσεκύνησαν)。



マタイ28:8,9(新共同訳)

婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。

すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した(προσεκύνησαν)。

(新改訳は、「御足を抱いてイエスを拝んだ。」)





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モラビア兄弟団の礼拝の様子(18世紀ドイツ)



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西インド諸島におけるモラビア兄弟団の礼拝の様子(1757年、セント・トーマス島)



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正教会のクリスチャン



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中東地域のキリスト教会




みなさんはどう思いますか?



さて、「ひれ伏し祈る」というクリスチャンの礼拝行為について、ご一緒にみてきました。

どうでしょう。みなさんは、このことについてどう思いますか?

礼拝の中で、または個人の祈りの生活の中で、「ひれ伏す」という心と体の姿勢が、みなさんの霊性に影響を与えたことはありますか。

なにかご感想やお証しがありましたら、ぜひお聞かせください!

楽しみに待っています。




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