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保守キリスト教雑誌 『ゴスペル・トゥデイ』 2008年9月号



Albert Mohler on Why He Changed His Mind on Women Pastors



アルバート・モーラー氏の証し (南部バプテスト神学校 学長)

2010年9月28日






それは1980年代の半ばのことでした。

その時期、私の所属している南部バプテスト連盟(Southern Baptist Convention)は、非常な論争と嵐のただ中にありました。

そうです、教会における女性の役割―女性の牧会職のことが―論争の中核にあったのです。

1984年、南部バプテスト連盟は、女性の役割に関し、一つの決議を出しました。(それは、とてつもなく緊張に満ちた瞬間でした。)

この時、私たちの教団ははじめて、年次会議という公の場で、「牧会職は聖書の適性条件を満たす男性だけに限られます」という宣言を出したのです。

そしてこれこそ、――70年代、80年代、90年代における教団大論争の中でも、もっとも熾烈な論争を引き起こすものとなったのです。

☆☆

多くの人が、その宣言に憤りを覚えました。

南バプテスト連盟が「女性は牧師になることはできない」と宣言したことで、多くの人が傷つき、激怒し、そして茫然自失となりました。

かくいう私も、その中の一人でした。

☆☆

私は当時、教団神学校(SBTS)の学生でした。

この神学校は、当時、女性は――男性と全く同じように――牧会職につくことができるし、また、そうでなければならないと一貫して教えていました。

当時、CBMW(Council of Biblical Manhood and Womanhood:聖書的男性像・女性像協議会)もまだ存在していませんでしたし、そういった聖書的男性像・女性像の回復を取り扱った書籍もほとんど皆無でした。

ええ、説教者や聖書教師が、往々にして自分の間違った観念でもって、他人をそれと同じ方向に引きずっていく――、

そういった悪影響のことがよく言われますが、それに関し、私は自分の目でそれを目撃していました。

☆☆

1984年に教団がこの決議を出した際、私は猛然と抗議に出ました。

私たち抗議者は、クーリエ新聞の広告欄を買い、そこに「神は、雇用機会平等のお方です」という旨の宣言を書き出しました。

(ちなみに、私は当時も、聖書の無謬を堅く信じていました。)

☆☆

そうした中、ある日、カール・ヘンリー氏がうちの神学校を訪問されたのです。



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Carl F.H. Henry (1913 –2003)



そして神の摂理の下、なんと私が彼の案内役となりました。

これは自分にとってものすごい特権でした。

というのも、著作を通し、彼はすでに私の精神的メンターの位置を占めていたからです。

根本的教義の面においても、聖書の無謬性においても、彼の著作により、私は多くの助けを受けていました。

☆☆

こうして私はヘンリー博士をお連れして、キャンパス内を案内することになりました。

共にそぞり歩きながら、その時ふいに、氏が、女性牧師の是非をめぐる話題を持ち出してこられたのです。

そして「この問題に関して、あなたはどう思っていますか。あなたはどのような立場に立っていますか?」と私に訊いてこられました。

若気の至りや無頓着さもあり、私は堰切ったような勢いで自分の見解を彼に述べました。

すると、ヘンリー氏は、私を驚かせるようなある表情をたたえた目でこちらを見、そしてこう言われたのです。

やがて君は、この事で、自ら大いに恥じ入るようになるだろう」と。

彼は言ったのはただこの一言でした。

しかしこの一言は私を震撼させました。

☆☆

「やがて君は、この事で、自ら大いに恥じ入るようになるだろう、、、」

私は、その後、まっすぐに図書館に入りました。

そしてこの問題を取り扱っているような書籍を手あたり次第探し始めたのです。

はっきり言って、その時の私は、「自分がなぜ将来、この事で大いに恥じ入るようになるのか」――

その理由を突き止めるまでは、もう食べることも何もまったく手につかない、そんな状態にありました。

どうしよう。目を上げてキャンパスを行き交う人々をながめました。

でも、この人たちは、この問題で全然、「恥じ入っている」ようには見えないじゃないか、、、?

☆☆

図書館にはほとんど助けになるような資料はありませんでした。

幸い、ステフェン・クラークという人の書いたMan and Woman in Christという本を見つけ、それを通してある程度、御言葉の学びをするよう導かれました。

そして結局、その日、私は徹夜で真相究明に乗り出すことになったのです。

これを解決せずにはとても眠ることなどできませんでした。

こうして東の空が明け始めた頃、この問題に関する私の立場は、一夜にして、完全に変化を遂げていたのです。

☆☆

たしかに私の見解の変化に、カール・ヘンリーはかなりの影響を及ぼしました。

しかし私の見解を変えたものは、聖書の御言葉でした。

そして今思うと、本当にあの時、カール・ヘンリー氏の言ったことは正しかったのです。

あの時点での方向転換がなければ、きっと今頃、私は大いに恥じ入ることになっていたと思います。

こうして翌日の朝、ヘンリー氏にお会いした時、私はすでに別の世界の人となっていたのです。



―証しおわり―




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