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そこで、彼らは問うた。

「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。


彼は、「いや、そうではない(I am not)」

と言った。


ヨハネ1:21a






「私はそうではない(I am not)」

おお、人の唇には受け入れがたい言葉――



「私は何者でもない(I am not)」

おお、私たちを再び神の元に導く言葉!




そして、かの麗しき隠れ家に至る

小道を知る言葉。



嵐を避ける避難所、

そして暑さから身を守る木陰。




天のことば。

――世の賢人には隠され、

子どもたちに明かされる言葉。




偉大なる教訓を含みし

「私は何者でもない」という一言。





人間の心―。

汝の母語は他にあるのだ。



そしてこれは何千という人種によって話され、

互いにみな、似通っている。





「私こそ一角の者である(I am)」


――私こそ富んでいて、賢く、敬虔な者――

そう、それこそが自分なのだ、と。




そして、「私こそ一角の者」であろうと、

人は生き、労苦している。




そう、「私こそ一角の者」であらんと、



人は死に、

挑み、四苦八苦し、


すべてを犠牲にしてでもそれを得ようと

血眼になっている。



――ああ、数々の骨折り、疲労、束縛、

罪、悲嘆、そして痛みよ。






祝されし福音書には、


富んだ一人の男が

主イエスと弟子たちを宴会に招いたことが

記されている。




「この預言者をもてなそうではないか。」

そのように富者は思った。




しかしありあまる財産に囲まれつつも、


この人には、「私は何者でもない。」という心が

欠如していた。






そこに涙で泣きはらした

一人の罪深い女がやって来た――。



「私は何者でもありません(I am not)」

彼女の心はそう言いつつ、

主をひたすら見つめていた。





傷つき、

ぼろぼろに損なわれつつも、



御使いたちにまさる座におかれ、

太陽よりも明るく輝く 彼女の心を、


主はご覧になっていた。




「私は何者でもありません」――


このお方の前にちりに伏し、


彼女の心は

敬拝の喜びに満ちた歌を歌いつつ言った。




「そうです、汝こそがとこしえまでに

全てのすべてです」と。






なぜなら主の御心は、

ご自身のさまよえる この小さな羊の心に語りかけ、



永遠の愛のうちに、こう仰せられたからだ。

「『わたしはある』という者である」と。





もはや永久に彼女は渇くことがない。

彼女に必要なすべては与えられているからだ。




主ご自身以外に、

この地上に彼女はだれをも持っていない。



天におられるこの方以外に、

だれをも持っていない。




おお天的な報酬は、

永遠の相続地は、なんと麗しいことだろう。




ああ、願わしくば私が、


キリスト、このお方のためだけに、

永遠に――

とこしえに「何者でもない」者であらんことを!






Heinrich Suso, I Am Not
私訳





夜明け時の静寂と祈りのひととき(early will I seek thee)

隠れ家―ピューリタンの祈り