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御使いたちが天上に住んでいるがごとく、

人は地上にて、神への賛美の内に、そして詩篇歌の清き心の内に、喜びつつ住まわっている。


有限な人間は誰ひとりとして、詩篇の持つこの宝について完全には語り尽くせない。


この中に罪の告白があり、悔悛の涙があり、心の悲しみがある。


またここに私たちの贖い、天的歓喜を含んだあらゆる経綸が予示されている。


そしてここに私たちはキリストの受肉、復活、神のロゴスの昇天を見い出すのである。


Alcuin, Epistles IV, 497-98




Bruce K. Waltke, The Psalm as Christian Worship, A Historical Commentaryより



過去2000年もの間、詩篇は、キリスト者のデボーションの、広大にして深遠な霊的奥地でありました。


しかしそれは今日、急速に縮小してきています。――そうです、人間精神の世俗化ゆえに。


三千年以上に渡り、詩篇はイスラエルの祈りの本であり、「忠実なる讃歌」として、教会正統信仰の源でもあったのです。


☆☆


旧約聖書からの引用の三分の二が、詩篇からのものです。

またイエスは、詩篇を読み朗唱しつつ生を営まれました。


さらに使徒たちは詩篇を――受肉、復活、昇天、ペンテコステという――キリストに関する預言的なものと解釈しました。


また初代教父たちは、詩篇註解の基盤を三位一体の奥義に置き、それによって彼らの正統信仰が試されました。



そして、詩的で抒情的な資質を豊かに宿す詩篇はまた、キリスト者の礼拝の中で、さまざまな表現で歌われてきました。


そうです、「詩篇を歌う」という礼拝行為は、キリスト教の原初から、18世紀まで絶えることなく続いてきたのです


しかしそれ以降、この礼拝行為はどんどん稀になっていきました。


そして今や現代心理学が――これまで詩篇そのものが人々に提供していた治癒に取って代わるようになったのです。


現在見受けられる「詩篇歌の死」と共に、「魂の死」をも見ているのははたして私だけでしょうか?



―引用おわり―


☆☆


死を前にした老聖徒の選んだ詩篇歌



詩篇136篇は、東方世界のクリスチャンの間では、「多くの恵みの詩篇(ポリエレオス:Πολυέλεος)」と呼ばれています。


というのも、この詩篇が最初から最後まで「その恵みはとこしえまで(ὅτι εἰς τὸν αἰῶνα τὸ ἔλεος αὐτοῦ)」という、主の恵みに対する讃歌で満ち溢れているからです。


アナタシオス(293-373)がアレクサンドリアの教会にいた時分、夷狄が教会をしばしば襲撃し、多くのクリスチャンが彼らの剣に倒れていました。


ある日、教会の中にまた敵が乱入し、中にいた礼拝者を手あたり次第、殺し始めました。


血がまさに流されつつあったその死の惨状を前に、アレクサンドリアの老司教は静かに腰を下ろし、仲間の長老に向かい、一言こう言ったそうです。


「さあ、詩篇136篇を歌いましょう。」


詩篇136:1、24

主に感謝せよ。
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。

主は私たちを敵から救い出された。
その恵みはとこしえまで。




おそらく最大の危機の中で詩篇136篇を歌うことを選び取ったこの司教の心の中には、Ⅱ歴代誌20章のヨシャパテ王のあの切実な祈りと、民の賛美、そして「主に賛美せよ。その恵みはとこしえまで」(Ⅱ歴20:21)という詩篇の歌が満ち溢れ、

それゆえに、死を前にしても尚、主の勝利に対する信頼と恵みをたたえる賛美が彼の心から湧き出てきたのだと思います。




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今日はみなさんにいくつか詩篇歌136篇をご紹介したいと思います。どの歌も私の大好きなPsalmodyです。




①古代教会スラブ語による詩篇歌136篇





②コイネー・ギリシャ語(七十人訳)による詩篇歌136篇





③ロシア語による詩篇歌136篇





④アラビア語による詩篇歌136篇





⑤ヘブライ語による詩篇歌136:1-3




聖書ギリシャ語はどういう風に発音されていたの?―生きたコイネーの世界へようこそ!

静寂と沈黙のうちにあることの意味―クリスチャンとsolitary place