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前回の記事の中で、私たちは、「『かしら』の本来の意味は『長・権威』ではなく『源』なんです」というフェミニスト神学者の方々の主張には何ら根拠がないという事実をみてまいりました。


また、聖句を解釈する際に、言葉の意味を、ヘレニズム期のギリシャ語における用法以上に、古典期のギリシャ語に依拠し、そこから字義解釈を打ち立てていこうというアプローチの危険性についても、ご一緒に考察してきました。


というのも、「ケファレー=源」説を唱える、フェミニスト神学者の方々の主張の唯一の典拠はリーデル・スコット古典ギリシャ語大辞典(LSJ)の「ケファレー」項の数行のみだからです。


そして注目すべきことに、リーデル・スコット古典ギリシャ語大辞典の編集員ご自身、そういったフェミニスト側の「ケファレー」解釈に異議を唱えておられるのです


1997年初め、ウェイン・グルーデム氏は、1990年に書いた「ケファレー問題」に関するご自身の論文を、オックスフォードのリーデル・スコット大辞典編集委員会に送り、この問題についてのリーデル・スコット側の意見と立場を直接、問い合わせました。


以下は、編集委員のP.G.W.Glare氏からグルーデム氏に送られた書簡の一部です。




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日付:1997年4月14日



親愛なるグルーデム教授、




、、現在、個々の事例をすべて取り上げ、話し合う時間的余裕がないのですが、いずれにせよ、私はあなたの結論に概ね同意しております


ケファレーという語は、一般に、ヘブライ語ローシュ(rosh: רֹאשׁ)の訳語として用いられていますが、たしかにこの語は――元来の「頭」という身体構造上のものを指し示す以上に、多くの場合、指導者ないしは長を意味しているように見受けられます


そしてそれは「権威を否定している」という[彼らの]主張とは裏腹のものであるように思えます。


彼らの想定している「源」という意味についてですが、もちろん、そういったものは存在せず、リーデル・スコット大辞典のケファレーの項に、source(源)という語を挿入したことは少なくとも賢明ではなかったいえます。


そしてたとい言及したにせよ、「潮流の位置に関する、川の源に適用されるもの」と書くべきだったでしょう。



(中略)



また付け加えておきたいのは、ほとんどの場合において、治める主体(the controlling agent)としての「かしら」という意味こそここで求められているものであり、[彼らの主張している]preeminence(卓越)という考えは、その意味で、かなり不適切であるように思われます。


重ね重ね、論文を送ってくださりありがとうございました。今後、さらに徹底した大辞典の改訂作業に、ご一緒に取り組んでいけたらと望みます。



敬具、
Peter Glare





創造の秩序の美しさ



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石は 地の上に 横たわり
炎は 大空に 舞い上がる。



魚は 水の中に住むことを望み
そして 鳥は 空中を はためく。



それぞれが 自分のおるべきところにいて

騒がず 静かに
その場に 憩っている。



それならば 私の心は 

神のうちに 憩いの場をみいだす時

おだやかに 澄みわたるのだろう。




Gerhard Tersteegen, Everything in the right place
私訳







おわりに




「かしら」という一語をめぐり、なぜこれほど真剣な議論がなされているのでしょうか。


それは、私たちが、何百時間という時間とエネルギーをかけ、2000件以上の「かしら」の用例をギリシャ古典の中から抽出し、それらの字義を一つ一つ徹底検証していくという――、気の遠くなるような煩雑な作業をも厭わせないほどに緊急を要する〈なにか〉なのでしょうか。


ええ、私はそうだと思います。


なぜなら、この語の解釈に、創造の秩序に対する理解がかかっており、三位一体論がかかっており、教会論がかかっており、家庭の平和がかかっており、そして、私たちの子どもや孫たちの将来がかかっているといっても過言ではないからです。




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今やこの世のイデオロギーが濁流のように押し寄せてきています。


そしてその濁流は、私たちの教会や家庭をも飲み込まんばかりの勢いで、こちらに向かってきています。


どうか私たち一人一人が、この濁流のただ中にあって、堅く、堅く、どこまでも堅く立ち続けることができますよう、主よ、弱い私たちを助けてください。



教会に集うことのできない愛する兄弟姉妹を想って

かしら(head,κεφαλή)の意味は「長 "authority"」ではなく、「源 "source"」だった?―フェミニスト神学への応答