このブログを読んでくださっている女性のみなさんの大部分は、聖書の中に啓示されている女性の恭順について、おおかた同意してくださっているのではないかと思います。



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*はじめてこのブログを訪問された方、またはそもそもなぜ妻は夫のリーダーシップに恭順でなければならないかについて疑問を持っていらっしゃる方は、次のような記事をぜひご参照になってみてください。


恭順に生きたいけど生きることができない―罪の告白

ご主人を励まし建て上げていますか?(聖書的女性像を求めて その2)

夫に従うことは、女性としての価値を貶めること?―男女平等の聖書的意味―

私たちの姉妹の「Ministry」の優先順位No.1は自分の夫(エイプリル・カスィディ)

完全なる心の入れ替え―祈りのベールと夫への恭順(エイプリル・カシィディー)

恭順とは息苦しいこと?―エリザベス・エリオット

「やさしく接してあげたいのにどうしても主人を裁いてしまう自分がいる。」―そんな葛藤を覚えている姉妹のみなさんへ

「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」という葛藤を覚えていらっしゃる姉妹のみなさんにささげる応援レター

「私の主人には神様からの召命がありません。そんな夫にどうやって従っていけるというのでしょう?」【続編】――夫婦関係回復の証し――




私は、結婚前、相補主義の姉妹たちの証やエッセーなどを熱心に読み、どのようにしたら恭順でしとやかな奥さんになれるのかを研究しました。


その中で、特に自分にとって印象的だったのが、敬虔な姉妹たちをも、しばし誘惑するという「manipulation(操作)の霊」についての言及でした。


それによると、熱心なクリスチャンの妻というのは、往々にして、本人もそれとは気付かないうちに、霊的に夫をmanipulate(操作)し、自分の望む方向に巧みに夫を引っ張っていこうとする罠に陥りがちなのだ、というのです。


操作の霊というのは、あからさまな反抗の霊とは違い、一見したところ、恭順の衣を着ている場合が多いのです。


また、表面的にはていねいで、いんぎんで、謙遜でさえあります。


しかしそこには巧妙に隠されたcontrol願望というのがあり、自分の霊的理想、霊的アジェンダに沿って主人を「改良したい」と意気込む、「主任牧師的な」自己がそこに見え隠れしています。


☆☆


そのことに思いを巡らし、私は自分の心に問うてみました。


そして、この点に関しての真実を明かしてくださるよう、主に祈りました。


すると分かったのが、やはり自分の中にもそのようなcontrol願望が少なからず存在する、という事実でした。


そして目には見えないけれども、私の頭の上には、(主人のいる方角に向けて)大きな看板がでーんと、たて掛けられており、その看板には黒々とした墨字で、次のようなスローガンが記されているのです。


「わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほし~い!!」(黙3:15)

「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさーい!!」(ローマ12:11)




ああ、本来なら、妻は、夫のよき助け手として、主人がほっとできるような、そんなやすらぎと憩いに満ちた家庭造りをするよう召されているのではないでしょうか?


本来なら、私たちクリスチャンの妻は、夫の霊的「改良者」ではなく、思い遣りに満ちた理解者として、またやさしい慰め手(comforter)として召されているのではないでしょうか。


ああ、私はそういう奥さんになりたい!しかしこのcontrol願望をどうしたら除去できるのでしょうか?


そう思って、エイプリル姉妹のブログを訪問してみました。


すると、どうでしょう。彼女もまた、そのようなイシューで悩み、一生懸命、取り組んでおられるではありませんか!


次につづく記事では、彼女のそういった取り組みをみなさんにもご紹介できたらと思っています。




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「ああ、主人がもっと私と一緒に祈ってくれたらいいのに、、、」【クリスチャン女性とcontrol願望(1)】byエイプリル・カスィディ

聖書と、ハトと、私たちクリスチャン。

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