昨日、思う所があって、アレオパゴスの丘に登りました。アレオパゴスというのは、みなさんもご存知のように、使徒17章でパウロがアテネの人々に説教した丘です。


昨日も、アテネはからっと晴れ渡り、美しい青空がひろがっていました。おそらく2000年前にパウロがここの丘を登った時も同じような感じだったのではないかと思いました。



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↑これがアレオパゴスに登る石の階段です。


Αρειος πάγος (<[形]Αρειος<Αρης, アレス[ギリシア神話の軍神]+ πάγος,岩山)。文字通りに訳せば、「アレスの丘」。


アテネ市の初期の時代には、この丘で市の最高法廷アレオパゴス議会(η εξ Αρειου παγου βουλη)が開かれたことから、Αρειος πάγοςは、この岩山を指す固有名詞としての他、アレオパゴス議会をさして使われるようになったそうです。ちなみに、現代語では、「最高裁判所」を意味します。



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東南東には、パルテノン神殿(Παρθενών)のそびえるアクロポリスの丘を仰ぎます。(↓は、アレオパゴスの丘の下から取った写真です。)



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それから、これはアレオパゴスの丘の上から取った写真です。



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丘の上に腰かけ、私は聖書を開いて使徒17章を読み直しました。


向こう側にそびえるパルテノン神殿は昨日も世界中からの観光客でごったがえしていました。


この神殿の中心には、古代アテナイの守護神であるギリシャ神話の女神アテーナーが祀ってあります。この女神アテーナーは知恵や芸術を司る女神であり、オリュンポス十二神の一柱です。


つまり、アテネ(athena)というのは、「知恵 σοφία」の女神の崇拝地なのです。



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米国ナッシュビルに設置してある、パルセノンの女神アテーナーの像



「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」(24節)


「また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。」(25節)




とパウロが丘の上で説教した時、彼の眼の先には、きっと、あのパルテノン神殿があったことだろうと思いました。


「そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。」(29節)





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人間の手によってこしらえられたゼウス神の像




創造(creation)



また、今回、新たに気づかされたのは、ヒューマニズムの中心地であるアテナイで説教をしたパウロは、主なる神の「創造(creation)」に話を持っていっているという事実についてでした。


「神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」(25節)


「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界をお定めになりました。」(26節)




もちろん、ヒューマニズムという語自体は、西洋ルネサンスの時期以降の哲学や信奉システムのことを指す用語ですが、西洋ルネサンス自体が、一義的には、古典古代(ギリシャ・ローマ)の文化・思想復興であったことを思う時、古代アテナイがヒューマニズムの発祥地であったということがやはり言えるのではないかと思います。




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プロタゴラス(BC490-420)


「人間は万物の尺度である, πάντων χρημάτων μέτρον άνθρωπος」という言葉で知られ、相対主義を唱えた人物の一人として有名

「ルネサンスが人間を尺度とする復興であったことから、尺度の基準は人間であると主張したギリシア哲学・西洋哲学におけるソフィストの存在を軽視してはならないことが分かる。」(引用元





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「神は、そのような無知な時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」(30節)




ローマ1:19、20

なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。




アレオパゴスの岩山の壁には、使徒17章22-31節が原典のコイネー・ギリシャ語で刻まれています。



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アップにして撮りました。


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最後の字句はαναστησας αυτον εκ νεκρων(=「その方を死者の中からよみがえらせることによって」)で締めくくられています。


使徒17:32

死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言った。







おわりに




豪華で壮大なパルテノン神殿に比べると、パウロの説教した小さな岩山は、規模的にも外観的にもずいぶん見劣りがし、地味で貧弱な感じにみえます。


ここに私は、「キリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならない」(1コリ1:17)と言ったパウロの言葉に象徴される、イエス・キリストの福音の奥義と力をみる気がします。


「『説得力のある知恵のことば』を聞きたいなら、向こう側のパルテノン神殿へ行きなさい。しかし、私のことばと宣教とは、御霊と御力の現われに他なりません」(1コリ2:4参)と言った、岩のようなパウロの太い声が聞こえてくるようです。


私たちそれぞれの前にも、人間的な知恵に彩られた「パルテノン神殿」がそびえ立っているかもしれません。


そして時に、それは、イエス・キリストの福音を「恥」(ローマ1:16)と思わせるほどの、外面的なきらびやかさと洗練さをもって信仰者の前を優雅に舞ってみせ、私たちを十字架の道から離れさせようと誘惑し、圧倒してくるかもしれません。


しかし、「キリストこそ神の力であり、神の知恵です。」(1コリ1:24)という真理の岩の上に私たちは立っています。



祈り

主よ、どうか私たちがあなたの兵士として、時が良くても悪くても、そしてこの世の知恵が何と言おうとも、混ぜ物をせずあなたの福音をまっすぐに宣べ伝えていくことができるよう助けてください。そして「岩山」の上に立ち、パウロのように大胆に、イエス・キリストの死と復活を証していく者とさせてください。




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