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ミャンマーの村で奉仕する宣教師 source




今朝、高校三年生のクリスチャン・ユースからうれしいお便りが届きました。


彼女は昨日、近所の図書館に行って、アラビア語とギリシャ語の学習書を借り、将来の宣教に備え、昨晩からさっそく、アラビア文字の習得にとりかかり始めたというのです!ハレルヤ。


そこで今日は、彼女をはじめとする高校生クリスチャンに向けて応援メッセージを書こうと思います。


☆☆


私がみなさんに伝えたいひと言――それは、ずばり「一極集中の人になろう!」です。


この世の中には、それ自体はけっして悪ではないさまざまな催し物、活動、趣味、文化観賞などが溢れています。


また、大学に入ると、今度は、各種サークル活動、旅行、友だちとのつき合いなど、忙しくしようと思えば私たちの生活はいくらでも忙しくなりえます。


しかし今日、私はあえて、みなさんにchallengeしたいと思います。それはみなさんが宣教の情熱に燃えているユースだからです。


あなたの中のあれやこれやの一部分に、福音宣教というものが位置しているのではなく、福音宣教そのものがあなたの人生の主軸なのです。つまり、そこを中心にあなたの生活・人生が回っていくのです。


福音宣教に一極集中するなら、そして「どうしても必要な一つのこと One thing needful」(ルカ10:42参)にあなたのすべてを賭けるなら、おのずから、優先順位が明らかになっていきます。


あなたの教会や学校の友だちは(それ自体はけっして悪ではない)あることを楽しんでいるかもしれません。そのためにお金やエネルギーを注ぎ出し、好んでそのことを話題にしたがっているかもしれません。


そしてそれはあなたの友だちにとっては気晴らしになり、良いものなのかもしれません。しかし、それはあなたにとってはどうなのでしょうか。


☆☆


現在、アラビア語も、ペルシャ語も、何種類かの良い翻訳聖書が出版されています。


その中でも特に高い評価を得ているのが、ヴァン・ダイク訳アラビア語聖書(1867年)とヘンリー・マーティン訳ペルシャ語聖書(1837年)です。



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Arabic Bible: Van Dyke translation


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Arabic Bible: Van Dyke translation



そして驚くべきことに、これらの翻訳作業は、若い外国人宣教師たちによって成し遂げられたのです


27歳でレバノンに遣わされたアメリカ人宣教師ヴァン・ダイクは、猛勉強の末、30代に入り、(先輩であるスミス宣教師の後を継ぐ形で)、ヘブル語・アラム語・コイネー・ギリシャ語の原典から、アラビア語に聖書を翻訳していったのです。



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晩年のヴァン・ダイク宣教師



一方、北インド・ペルシャ地域に遣わされたイギリス人宣教師ヘンリー・マーティンは、病弱な体をおしつつ、これまた尋常でない努力の末、20代後半から、コイネー・ギリシャ語新約原典をペルシャ語やアラビア語、そしてヒンドゥスタニ語に訳し始めました。



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Henry Martyn


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Henry Martyn Persian translation




これらの人たちは皆、一極集中の人でした。福音宣教のこと以外のあれやこれやには目もくれず、ただひたすら神の国とその義のために人生のすべてを賭けたのです。



Ⅱテモテ2:4

兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。





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Interliner Arabic-Koine Greek Project



☆☆



『ジャングルの殉教者』(エリザベス・エリオット著)の中に描かれているジム・エリオットは、1956年、南米エクアドルの奥地で、仲間の4人の宣教師と共に殉教しました。



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一番右がジム・エリオット



それでは、このジムは大学時代、何をしていたのでしょうか。


後にジムと婚約し、結婚に導かれたエリザベスは、回想記の中に次のような印象的なことを書いていました。


――この青年(=ジム)は、学食の配膳を待ちながら、カードを繰りつつ、コイネー・ギリシャ語の単語を一心不乱に暗記していました。。。


彼は自分の人生をキリストに捧げ切っていました。そして自分が宣教師としての召命を受けていることを自覚していました。


だから、遣わされる部族のことばを習得し、聖書を彼らのことばに訳し、いのちの福音を伝えるべく、食事の時間も惜しんで原典のギリシャ語習得に励んでいたのです。


つまり、彼の学生時代は、ひたすら福音宣教を軸にまわっており、他のあれやこれや(trifles)に足止めを食らってはいなかったのです。


そうです、ジムもまた、一極集中の人でした。



死ぬ時がきたら、もはや死ぬ事より他にやり残したことはないと言い切れるようにしておきたい。


~ジム・エリオットの日誌より抜粋




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私は長寿は求めていない。

ただ主イエスよ、あなたのように全き人生(full life:使命を全うする人生)を求めています。


ジム・エリオット




☆☆


私はこれまで数々の愚かな失敗をしてきましたが、一つだけ後悔していないことがあります。


それは、とにもかくにも、救われた直後から今日に至るまで、福音宣教のわざに全力投球してきたことです。


また、「そこに行きなさい」「あの人々に仕えなさい」「これを捧げなさい」「この民族の言語を学びなさい」という召しがきた時、もたもたせずに、迅速にその指令に従ったことです。


また、高校生のみなさんにもう一つ申し上げたいことは、とりあえず、将来的にどこに遣わされるにしても、今のところ、英語を頑張っておいてください、ということです。



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現在の状況下では、あなたが東欧のウクライナに派遣されようと、ボツワナ、パプアニューギニア、インドネシア、ボリビア、フィンランドに遣わされようと、ほとんどの宣教地ではまず英語がどうしても必要になります。(宣教地のこういった言語状況がはたして良いのか悪いのかというのは別問題ですが、、、私がここで申し上げたいのは、それが私たちの直面する21世紀の現実だということです。)


また、マイナーな少数民族の言語を習得する際にも、私たちは英語を介した教材や辞書に頼らざるを得ません。


たとえば、アフガニスタンのパシュトゥーン語を習得しようと思うなら、英語やウルドゥー語等を介して学んでいかねばならないでしょう。


そういった意味でも、みなさんが受験英語にあきたらず、コミュニカティブな側面でも、英語でコミュニケーションをとれるようになっていることは、宣教師として遣わされる上で良い備えになると思います。



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どこにいても、全力でうちこみなさい!「これが神のみこころだ」と信じる、あらゆる状況において徹底した生き方をしなさい。




また、ある方は、ハドソン・テーラー宣教師の伝記を読み、彼に倣って、[宣教の働きの備えのために]体力づくりを怠っていないということです。


これもまた、すばらしい備えだと思います。


特に、衛生状態の悪い地域へ派遣されるミッショナリーは、熱帯性ウイルスや寄生虫なんかをバーンと跳ね返すほどの強靭なスタミナと体力が必要とされるかもしれません。



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私たちは現代のこの世が否定しかかっている神の御力を知っていると告白しながらも、実際には、全くありきたりで、平々凡々な生き方しかしていない。


そう、私たちは当たり障りもなく「無害な」人々なので、危害を加えられることもない。


私たちは霊的平和主義者であり、非戦闘員であり、主権、力、この暗闇の世界の支配者たちとのすさまじい死戦場における良心的兵役拒否者だ。


人との交わりにおいて柔和さは不可欠だ。しかし十字架の戦士として闘いに加わるのなら、そこには豪胆にして、物おじすることのない大胆さが要求される。


それなのに、私たちは未だに「傍観者席」に座っている。そして実際に戦っている人たちをああだこうだと批評しつつ、自らはゆったりと観客席に腰かけ、神の敵どもがほしいままに振る舞うさまを傍観しているのだ。


だから、この世はそんな私たちを憎むことなどできない。なぜなら、私たちはあまりにもこの世の子だから。


おお、神が私たちを「危険な人々」に練り直してくださるように!


―ジム・エリオット




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主よ、私をクライシス・マン(=決断を迫らせる人)にしてください。


私が出会う人々を、決断地点へと持っていってください。

私を一本道の単なる標識にせず、どうか分岐点に立ちふさがる人間とせしめてください。

こうして人は、私の内におられるキリストに直面し、各人が右か左か、己の道を選ばねばならなくなるでしょう。





高校生のみなさん、人生は一回きりです。


あなたは、与えられているその情熱・エネルギー・時間、そして人生を、何のために、そして誰のために注ぎ出したいですか?




これまでの宣教生活の中で一番つらかったこと

ジョージ・ホワイトフィールド―炎の伝道者