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恭順というのは、権威に関することではなく、従順でもない。

それは愛と尊敬の関係についてのこと――これに尽きるのだ。


ウィリアム・P・ヤング





上の引用句は、『神の小屋』の著者ウィリアム・P・ヤング氏によるものです。


イマージング運動の流れを引く、このクリスチャン小説については昨年、みなさんとご一緒にみてまいりました。



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親愛なる読者のみなさんへの注意喚起メッセージ。イマージング運動の流れを引く『The Shack』が『神の小屋』という邦訳名で出版されました。


『神の小屋 The Shack』書評―失われつつある福音主義クリスチャンの識別力 byアルバート・モーラー(南バプテスト神学大学 学長)



それから、下はイマージング運動についての検証記事です。



押し寄せる「イマージング・チャーチ・ムーブメント」という波


イマージング・チャーチ・ムーブメント――福音主義教会における新しい波(スティーブン・W・コーネル師)


写真とキーワードでたどるイマージング・チャーチ・ムーブメント





冒頭の句で、ヤング氏は、次の三点を主張をしておられます。


)恭順というのは、権威(εξουσια)に関することではない。

)恭順というのは、従順(υποταγη)でもない。

)恭順というのは、愛と尊敬、これに尽きる。




しかし、はたして氏の意見は、聖書の教えに基づいたものでしょうか。


この発言は、『神の小屋』の中で、「イエス」が、三位一体の神のことを説明する際に出てくる一文ですが、文脈の中で考えるために、下にそこのパラグラフを書き出そうと思います。




「イエス」が主人公のマックに言うセリフ


これこそ、パパ(御父)およびサラユ(聖霊)と私(イエス)の関係にある美しさなんだ。


私たち[三位一体の神]は、実に、お互いに対し恭順の関係にあるのだ。これまでもずっとそうだったし、これからもそうだ。


「パパ」(御父)は――私(イエス)が「パパ」に従っているのと全く同じように――私にも恭順している。


そしてそれは「サラヤ」(聖霊)のわたしへの恭順、「パパ」の「サラヤ」への恭順においても同じなんだ。


恭順というのは、権威に関することではなく、それは従順でもない。それはただ、愛と尊敬の関係なんだ。


事実、わたしたちは、それと同じ仕方で、あなた(という人間)に恭順しているんだよ




三位一体の神の間の、「お互いに対する恭順」という教え、それから、三位一体の神が、被造物である人間に恭順しているという理論は、神学的導入の中でも、最も極端にして危険な種類のものだということを、南バプテスト神学校のアルバート・モーラー師も指摘しておられます。


こういった奇妙な三位一体論から、ヤング氏は、奇妙な「絶対平等・相互恭順論」を引き出し、それを夫婦関係や、親子関係などにも適用しておられます。


そして、注目すべきことに、それは福音主義フェミニズムの「権威論」や「三位一体論」ともかなりオーバーラップしているのです。註1





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こういった独特の「相互恭順論」をベースに書かれた、ウィリアム・P・ヤング氏の新作「Eve







おわりに




先日、私たちは、

「かしら(head,κεφαλή)の意味は「長 "authority"」ではなく、「源 "source"」だった?―フェミニスト神学への応答」




という記事の中で、現代の世俗イデオロギーが、福音主義教会に侵入しつつ、主なる神および、神のお立てになった諸権威に刃向かい、さまざまな働きかけをしている事実について、みなさんとご一緒にみてきました。


イマージング運動、フェミニズム運動、、、名称や詳細こそ違え、それらが、神や聖書の権威、ならびに、神のお立てになった諸権威を、卑小化して見る方向に人々を向けさせていることは確かだと思います。


それにしても、なぜこれらの運動は、神の権威を卑小化(あるいは「もやもや化」)させようとしているのでしょうか。


それは、神の権威や秩序がクリスチャンの間で軽んじられれば軽んじられるほど、そして歪曲されればされるほど、それを痛快に思っている〈ある存在〉が、これら一連の動きの背後にいるからです。


〈ある存在〉――すなわち、全世界を惑わしつつあるあの古い蛇(黙12:9)――は、そうすることにより、いよいよ惑わされた人々の間に、確固とした自らの「権威」を打ち立てることができるからです。


主よ、どうか私たち一人一人をサタンの巧妙な惑わしから守ってください。そして今までにも増して、私たちに真偽を見分ける識別力をお与ください。





註1

「三位一体の神は、互いに服従し合っている(つまり、御父も御子に服従している)ため、御子との関係において、御父には権威がない」という主張が、Stanley Grenz氏をはじめとするフェミニスト神学者の側からなされています。

詳しくは、以下の論文をご参照ください。


Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth (10章3項の部分)

Wayne Grudem, “The Myth of Mutual Submission as an Interpretation of Ephesians 5:21,” in Biblical Foundations for Manhood and Womanhood (この本のp 221–31の部分)

Jason Hunt, Authority & Submission in God's Image - Monergism

Andy Naselli, How the Trinity Relates to the Roles of Husbands and Wives





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