昨日、Gotquestions.orgの日本語サイトで次の記事を読みました。そして、私は、愛する兄弟姉妹のみなさんのご意見をぜひうかがいたいと思って、今、このミニ記事を書いています。


(*ジェンダー・フェミニズム問題に関し、Gotquestions.orgは、明確な相補主義の立場に立っており、このブログの立場とも一致しています。)


「キリスト者の女性は頭にかぶり物をつけるべき?」




この記事の結論部分はこうなっています。


現代の文化では女性が頭にかぶり物をつける事が権威への従順のしるしとしてはみなしません。


多くの文化でスカーフや帽子はただ、ファッションの一部とみなされています。


現代の女性はそれが神から来る権威に対する従順の印としてかぶるなら頭にかぶり物をつけても良いでしょう。


しかしながら、それは個人的な選択であり、霊性を示す物ではありません。


大事なのはその人の心の態度と権威への従順で、それは主に対するものである必要があります(エペソ5:22) 。


神は頭のかぶり物よりも心の態度が正しい事を望んでおられるのです。





まず私は、筆者の方の、次のポイントに心から同意しています。



)被り物の有無は、霊性の高低を示すバロメーターではない。


)被り物イシューで、一番、大切なのは、「その人の心の態度と権威への従順」であり、それは「主に対するもの」である必要がある。




しかしながら、ちょっと「あれっ?」と思うのが、


「神は、頭のかぶり物よりも心の態度が正しい事を望んでおられる」し、「大事なのはその人の心の態度と権威への従順」だから、


【結論】→ 現代の女性にとって、被り物に関する1コリント11章のみことばへの実際の従順は、パーソナル・オプションなのです。




という筆者のロジックです。


この部分について、みなさんはどう思われますか。


もしもそれが然りなら、私は次のようなロジックも可能になると思います。



「神は、水のバプテスマよりも、(バプテスマの霊的意義をとらえる)心の態度が正しい事を望んでおられる」し、「大事なのはその人の心の態度と権威への従順」だから、


【結論】→ 現代の信者にとって、「信じてバプテスマを受けなさい」というみことばへの実際の従順は、パーソナル・オプションなのです。


つまり、水の洗礼を受けたかったら受けてもいいし、受けたくなかったら受けなくても構わないのです。


とどのつまり、肝要なのは私たちの心の態度なのですから。




また、第二点目に私がみなさんのご意見を訊きたいのは、


はたして現代文化が、みことばに対する私たちの従順を規定するのか?


という命題についてです。



筆者は次のように言っておられます。


現代の文化では、女性が頭にかぶり物をつける事が権威への従順のしるしとしてはみなしません。多くの文化でスカーフや帽子はただ、ファッションの一部とみなされています。




フェミニズムの影響を受け、特に1960年代以降の現代文化で、女性が、頭にかぶり物をつける事が、権威への従順のしるしとしてはみなされなくなり、多くの文化でスカーフや帽子がただ、ファッションの一部とみなされるようになったという世相の変化に合わせ


私たちクリスチャンもまた、みことばへの従順をmodify(修正)したり、あるいは一部の学者の方々が最近、提言しておられるように、「ベールの代わりに、結婚指輪など、他のシンボルで代用してもいいんじゃないか?」と、そこらへんを「柔軟に」アレンジし直してもいいのでしょうか。


つまり、


)現代文化  みことば 
(現代文化が、みことばを規定する)


)現代文化  みことば 
(みことばが、現代文化を規定する)




この二つのあり方のうち、どちらを私たちは採用すべきなのでしょうか。



みなさんのご自由な意見やご感想をお待ちしています。





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