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Φύσις (Phusis)=自然





「自然」を定義する



ある言葉を定義する際、その用語を使っている著者自身、その語について、なんらかの定義をしているのかを調べてみることは重要です。


その意味で、ローマ2章から、私たちは、パウロの「自然」理解に関する洞察をいくらか得ることができると思います。



ローマ2:14ー15

14 すなわち、律法を持たない異邦人が、自然(phusis)のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。


15 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。





ここでパウロは、人間というのは「自然のままで」、善悪を判断する生来的感覚が与えられているということを教示しています。


さらに彼は、この「自然」というのは、神の成文法(written law)と整合するということを述べています。


(特別啓示をもたない)人々が、善悪を判断するそういった自然の感覚に従う時、神が彼らの心にたしかに律法の要求を記してくださっていることを証することになります。


パウロはここで「自然」を「神の律法」と並列してみていますから、それを文化的な見解として定義するのは間違いです。




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新約聖書の他の箇所においても、「自然」(phusis)という語が使われているところではどこでも、神の創造のことが常に言及されています。以下その例を14箇所挙げようと思います。


ユダヤ人であること
「私たちは生まれながらの(phusis)ユダヤ人であって」(ガラ2:15)

生まれながら無割礼
「生まれながら(phusis)無割礼の者」(ローマ2:27)

以前の身分
神を知らなかった当時、あなたがたは、本来(phusis)神ならぬ神々の奴隷になっていた(ガラ4:8)

生まれながら罪深い
「生まれながら(phusis)怒りの子」(エペソ2:3)

被造物の種類
「あらゆる種類(phusis)の獣、、、すべて人類(phusis)に制せられる」(ヤコブ3:7)

元木の枝
「もし神が元木(phusis)の枝を惜しまなかったとすれば」(ローマ11:21)





ΕΛΙΑ ΚΑΛΑΜΩΝ 2




このように、聖書の中の「自然」(phusis)という語は、文化的慣習ないし決定などについての言及には、一度も用いられていません。


ですから、髪の長さ(1コリ11:14-15)のことに言及する際、それを「文化的なもの」と初めから定義してかかることは、恣意的で勝手な試みだといえるでしょう。






同性愛と長い髪




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「自然」だと聖書の中で教示されている最後の例を挙げましょう。――それは同性愛に関することです。


この事例は重要です。


というのも、使徒パウロはここで、全く同じギリシャ語の単語を用い、同性愛行為ならびに、男性の長髪行為を非難しているからです。


すなわち、両行為とも、自然(phusis)に反しており、両行為とも恥ずべきこと(atimia)ですと。


これからそのことに言及した聖句をみていきたいと思いますが、その前に一つ申し上げておきたいことがあります。


それは、両者が「等しく」恥ずべきものだということではない、という点です。


パウロはまた別の箇所で、罪には異なる度合があり、性的な罪にはそれ相応のレベルがあると教えています。(1コリ6:18)


さて、両者について、パウロは次のように言及しています。




ローマ1:1:26、27a

こういうわけで、神は彼らを恥ずべき(atimia)情欲に引き渡されました。すなわち、

女は自然の用(phusis)を不自然なものに代え、

同じように、男も、女の自然の用を捨てて男どうしで情欲に燃え、






1コリント11:14-15

自然(phusis)自体が、あなたがたにこう教えていないでしょうか。男が長い髪をしていたら、それは男として恥ずかしいこと(atimia)であり、

女が長い髪をしていたら、それは女の光栄であるということです。

なぜなら、髪はかぶり物として女に与えられているからです。






それでは、上記に挙げたみことばに照らし合わせ、私はこれからみなさんに質問をして差し上げたいと思います。




みなさんへの質問 その1


「同性愛は正しいのか、それとも間違っているのか」という命題に関し、あなたは、

1)文化的解釈をベースに、その是非を考えていますか?それとも、

2)「神様がそういった異性愛のセクシュアリティーをデザインされ、それに従うよう仰せられたから」という神の創造をベースにその是非を考えていますか?





質問 その2


「男性が長い髪をしているのは正しいか、間違っているか」という命題に関し、あなたは

1)文化的解釈をベースに、その是非を考えていますか?それとも、

2)「神様が元々、私たち男女の髪の長さをデザインされ、それに従うよう仰せられたから」という神の創造をベースにその是非を考えていますか?





これらの問いに関するあなたの答えがどうであれ、一貫性を持った答えをするためには、みなさんは両方の質問に対し、同じ回答をしなくてはなりません。


なぜなら、ローマ1章と1コリント11章は、同じ記者の書いたものであり、同じ理由(=自然の用)に訴えた上で、同じ倫理的判断(=それは恥ずべきもの)を下したものであるからです。


ですから、私たちは一貫性をもたせるべく、両者を等しく取り扱わなければなりません。





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今日の西洋社会においては、男性のロング・ヘアーや女性の短髪と同様、同性愛も文化的に許容可能なものと受け止められています。


しかしながら、文化がある行為を許容し、歓迎するからといって、それがその行為を正しいものにするわけではない、ということを肝に銘じる必要があると思います。





―おわり―


(執筆者:ジェレミー・ガーディナー)






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2016年9月12日 追記

「ダビデの日記」のダビデ兄弟が、今日、次のような検証記事をお書きになりました。

小原克博「フェミニスト神学」(講義「現代神学」第8回、同志社大学)のレビュー

とても分かりやすく、また的確に現代フェミニスト神学の問題点を押さえておられます。ご関心のある方はお読みになってみてください。




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