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「父なる神という象徴は、人間の想像力に生みつけられ家父長制度によって裏付けられ支えられてきた。


そして、逆に、女性抑圧に向かう父権制社会のメカニズムが正しく妥当なものであるかのように見せ、そうした父権制社会に都合の良いように働いてきたのである。。」[5]


と〔デイリーは〕言う。そして、こうした問題意識によって、デイリーは、神を男性とするキリスト教を批判し、ついにはキリスト教を離れるに至った。


[5]Mary Daly, Beyond God the Father, Toward a Philosopy of Woman's Liberation (Beacon Press, 1973), p.13.


『男女を超えてフェミニスト神学から得られるもの』より一部抜粋






ことばには力があります。


昔、「亭主元気で留守がいい」ということばが流行した時期がありました。



「亭主元気で留守がいい」

夫婦の間柄において、夫は家にお金を入れるだけで良く、常から家にいない方が妻にとって都合が良いということを意味する語。大日本除虫菊株式会社のCMのコピーから広がった言葉であり、1986年の流行語の一つにも選ばれている。

『実用日本語表現辞典』より




これはつまり、「あなたが近くにいない方がいい」という他者拒絶のことばです。


しかし、80年代に、そのような不満を抱えつつ生きていた妻たちは、このフレーズに自分のもやもやした鬱積感を表現する「ことば」を見い出したのです。





「家父長制」ということばが生み出された背景




家父長制とか父権制とか日本語で訳されていることばは、英語でPatriarchyです。


これは、πατριάρχης (patriarkhēs)というギリシャ語からとられた言葉であり、1960年代に、フェミニスト・イデオロギーの最重要概念の一つとして誕生しました。


πατριάρχης(パトリアルヘース) 
< πατήρ (pater: 父)+ ἀρχή(arche: 統治、支配)







女性活動家ケイト・ミレット



60年代後半、フェミニスト著作家であるケイト・ミレット女史が、女性たちの抱える「未だ命名のされていない問題」を描写すべく、はじめて「Patriarchy(家父長制)」という語を用い始めました。*


*Mary A. Kassian, The Feminist Gospel: The Movement to Unite Feminism with the Church




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左がケイト・ミレット(1934~)。アメリカのフェミニスト、芸術家、バイセクシュアル。オックスフォード大卒。第二次フェミニズム運動に絶大な影響を与えた人物。代表作:Sexual Politics





Women, Gays, and the Constitution(「女性、ゲイ、憲法」)の著者デイビッド・リチャード氏の定義によれば、「家父長制」とは、「ジェンダー役割を押し付ける、不公正な社会システムであり、男性・女性双方に対して抑圧的な制度」だということです。*


*David A. J. Richards. Resisting Injustice and the Feminist Ethics of Care in the Age of Obama,p. 143


この記事を読んだ方はご存知だと思いますが、50年代のシモーヌ・ド・ボーヴォワール(フランス)、そして60年代前半のベティ―・フリーダン(米国)は、それぞれフェミニスト理論の礎石を築き、また重要な問題提起をしていました。




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ベティ―・フリーダン



そして60年代後半に現れた独創性豊かなケイト・ミレット女史により、ついにそういった問題提起に、具体的な「ことば」が与えられたのです。


そして、このことばも「亭主元気で留守がいい」と同様、その当時、漠然した不満感を持っていた多くの西洋人女性たちに、「おお、これこそが、私の人生をみじめにしていた問題の元凶だったんだ。」という「新しい啓示」を与えたのです。





「家父長制」のレンズで聖書を裁く



また最近のフェミニスト神学界では、「イエス・キリストご自身は革命的なフェミニストだったけれど、使徒ルカが悪かった」という声が高まっています。




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Serah Bessey, Jesus Feminist: An Invitation to Revisit the Bible's View of Women




曰く、「ルカによる福音書における、女性排除を助長する意図的な書き方」にみられるように、ルカという人は「当時キリスト教のローマにおける宣教を助けるために、ローマの父権制社会の倫理に迎合する形で一種の操作をおこなっていた」というのです。


このように、ルカ福音書は、ローマ帝国の父権制社会において受け入れられてきた性別役割に合うように、東方ローマ帝国のキリスト教集団に圧力をかけるように書かれているという認識が出されている。


「その圧力が認識されるとき、女性を肯定せずに共同体の周縁部へ、とりわけ共同体のリーダーシップの周縁部へと女性を追いやるキリスト教的前提、理念、制度の創出に、ルカがどれほど影響力を持ったのかが見えてくるのである」*。
 
*ジェイン・シェイバーグ 『ルカ福音書』, p.500


マルコによる福音書、マタイによる福音書などで、イエスの逮捕の折に男の弟子たちは自己の保身を図って離散、逃亡してしまう。それが、ルカにないことも、フェミニスト神学者たちの視点からすれば、男性の弟子たちを良く見せ、女性の弟子たちを小さく劣った者に見せるための操作である。


『男女を超えてフェミニスト神学から得られるもの』より





つまりフェミニスト神学の中では、


1)イエス・キリストという理想的なフェミニストがキリスト教を創始した。
             ↓

2)しかし、ルカをはじめとした男性の家父長主義者たちによって、男尊女卑的な父権制が敷かれた、




という独特の聖書観があるということです。そしてそれが語られる時のキーワードは、この「家父長制」です。


そして、家父長制のない社会――これがフェミニストたちの描くユートピアなのです。(Utopia:οὐ (無い)+τόπος (場所)=「どこにも存在しない場所、架空の理想郷」)


神を中心としないユートピア思想。これは、私に前世紀のユートピア社会主義と、その悲惨な結末を思い起こさせます。



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社会主義者たちの描き出したユートピア



元々、人間によって作られたこのことばは、今やブレーキのきかないトレーラーのように暴走を始め、主なる神によって立てられたすべての権威、すべての秩序をなぎ倒そうと、プロテスタント教会の講壇にまでなだれ込んでいます。


パウロはこのような人間中心の思弁のことを、「神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶり」(Ⅱコリ10:5)と呼んでいます。


神様のお造りになった創造の秩序が、どうか私たち一人一人の心の中で大切にされ、私たちがその前にへりくだることができますように。アーメン。




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