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「今日ぐらいは、ちゃんとした格好をすべきかな?」と思ってほとんど着ていなかったワンピースを引っ張り出して着たら、その日一日とてもいい気分でした。

もちろん入門式の喜びもあったのですが、歩くたびにふわっふわっとスカートの裾が揺れる感じが、なんかわくわくするというか・・・

こういう感覚って、年をとっても変わらないんですね。





冒頭のメッセージは、愛する読者の方が私に書き送ってくださったものです。おそらく多くの女性のみなさんが、「うん、その気持ちすごくよく分かる!」と共感してくださったのではないかと思います。


私の親しい友人が昨日、自作のyoutubeビデオを作ったのですが、その中で彼女は、自分の信仰のことや祈りのベール、慎み深い服装のことなどを証しています。(The Old Paths: Headcovering, Skirts and Dresses Only, and More!


北米の保守的な聖書信仰の姉妹たちの間では、Skirts and Dresses Onlyということばがよく出てきます。慎み深く、女性らしい服装を日常的に実践している、その信仰のあり方や生き方をあらわす言葉です。





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思えば、北米やフランスにいる私の友人たちは、ほぼ全員、このSkirts and Dresses Onlyの女性たちですし、また、私自身、ここ10年近くロング・スカートだけを履いているので、外見的にみれば、おそらく私もSkirts and Dresses Onlyの範疇に入るのかもしれません。


しかし、この立場に対する私の見解はどうかと申し上げますと、「共感します。でも完全には同意していません。」という感じになると思います。以下にその理由を書こうと思います。





共感はしても、完全に同意はしていない理由




この立場を根拠づける聖句としてよく引用されるのが、旧約聖書申命記22:5です。



女は男の衣裳を身に着けてはならない。また男は女の着物を着てはならない。すべてこのようなことをする者を、あなたの神、主は忌みきらわれる。




ここで言っているのは、男性と女性の服装は、互いにdistinctiveなもの(=明確に区別できる)でなければならない、ということだと思います。


しかしながら、具体的にどのような服のかたちや種類が男性と女性にそのdistinctiveness(区別)を与えるのかという詳細は書かれていません。


たとえば、下の写真をみてください。




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これらの丈長スカートは、たしかに女性らしく、また男性の服装との間にもあきらかな区別のある、慎み深い服装だと思います。


それでは次の写真をみてください。




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インドの女性たちの服装です。彼女たちはズボンと取り合わせた伝統的なインド服を着ています。


注目していただきたいのは、ズボンを着ている彼女たちが皆、非常に丈長のブラウスを着ており、そのため、ヒップやその周辺の体のラインが公衆の目には隠れるようになっているということです。これは慎み深さを考慮しての彼女たちの選択なのだろうと思います。


さて、彼女たちはズボンを着ていますが、そうだからといって、女性らしさを失っているでしょうか?いいえ、そうは思いません。私の目に彼女たちのこういった衣裳も、スカートと同様、フェミニンに映っています。


ムスリムの女性たちの服装についても同じことが言えると思います。




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というわけで、私は、「クリスチャン女性の慎み深い服装にはもちろん、Skirts and Dressesが含まれるけれども、それだけが全てではない。スカート以外の服装によっても、慎み深く、女性らしさを表現することは可能。」と考えています。





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慎み深さとは、あなたの美しさを、尊厳(品位)をもって扱うことです。






共感する理由



しかしながら、その一方で、私はSkirts and Dresses Onlyという考え方の背後にあるスピリットには多いに共感しています。


そのスピリットとは――聖書的な女性らしさを保持したい、神の創造の中におけるgender-distinctiveness(ジェンダーの区別)を大切にしたいという――信仰者たちの切なる願いであり、信仰告白です。


娘が小学生のころ、小学校の体操服の色が変わった。以前は男子は青色、女子はえんじ色だったのが、男女共通の紫になった。ちょうどその頃、男女混合名簿が導入された。これは公立の小中高等学校を中心に、性差を意識させるような男女区別を、子どもの視野からいっさい排除しようというジェンダーフリ―教育の一環としてなされていることである。


・・フリーとは自由である。自由というのは、その者が本来もっている個性にふさわしく生きることが許されるときにこそ得られる。ジェンダーフリーと称して、男と女の個性を中性という檻に監禁することのどこが自由なのだろうか。数年後には青少年の心の病気が激増するだろうと先の心理学者は予測している。私たちは創造主の前に謙虚になって、男子は男らしく、女子は女らしく育てたいものである。


水草牧師のメモ帳より






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みなさんはこのテーマについて、どう感じていらっしゃいますか?なにかご感想がありましたら、ぜひお聞かせください!




友が私を見捨て、敵が私を傷つけるときにも――嵐の夜の歌

土の下に横たわる根