少し前に、近所のバングラデシュ人の奥さん(スンニ派)が魚の骨を喉にひっかけ、私たちは彼女を病院に連れていきました。


それからしばらくして、その家に招かれ、夕食をごちそうになったのですが、その時、そこの家のご主人が私たちに次のような興味深いことを話してくれました。


それによると、お嫁さんが病院に行ったことを聞きつけた故郷バングラにいる彼のご両親が、「なぜ病院にわざわざ彼女を連れて行ったのか?うちのかかりつけの治療師に頼めば、すぐにでも喉に詰まった骨を取り除いてもらえたのに、、」と言ってきたというのです。


「バングラデシュにいる治療師が、どうやってギリシャにいるこの奥さんの喉に詰まっている骨を取り除けるの?」と私は唖然として、このご主人にさらなる説明を求めました。


すると彼曰く、この治療師は、イスラム教のプロの霊師でもあり、彼が「信仰によって」祈れば、地理的に何千キロ離れた所にいる患者やけが人であっても実際に癒されるというのです。


ある村の家に、毒コブラが入り込んだそうです。


そこでそこの家の人はこの霊師にお金を払い、彼を呼びました。すると、彼は玄関戸をくぐるなり、霊の目で、コブラの隠れている場所を正確に見極め、目にもとまらぬ速さでコブラを退治したそうです。


☆☆


「奇跡と癒しのミニストリー」がキリスト教界をにぎわせています。


私は聖霊の顕現としての癒しや各種賜物を信じており、実際に、自分の目の前で真正なる癒しと奇跡のわざを目撃したこともあります。


その方は某国のテロ組織にいた方でしたが、夢の中で、ある声が「バプテスマを受けなさい」と彼に語りかけました。


数日後、また夢の中で同じ声が、「バプテスマを受けなさい」と彼を促しました。怖くなった彼は当時読みかけていた聖書を棚にほうり込み、もうこういう「惑わしの本」に関わり合わないことにしたそうです。


しかしそれからまた数週間して、また同じ声がし、今度は「洗礼を受けなさい。そうすれば、麻痺しているあなたの右手も癒されるだろう」と非常に具体的なことまで語られたそうです。


そこでついに彼は意を決し、キリスト教会でバプテスマを受けることにしました。10時頃、洗礼式があり、その後、兄弟姉妹と共に、わが家でお祝い会をしました。


今でも――彼の座っていたソファーの位置まではっきり覚えていますが――、お昼の3時ごろ、神経系の病気で麻痺していた彼の右手のくるぶしが動き始めたのです!


彼はその癒しを通し、イエス・キリストがまごうことなき救い主であるという信仰が強められ、信仰の試練に遭うたびに、癒された自分の右手をみて、救いの原点に立ち返ることができたとその後、証してくれました。すばらしい証だと思います。


しかしながら、聖霊さまご自身よりも、聖霊の賜物やしるしや体験の方に人のフォーカスが移っていく時、私たちの霊的識別力は澱(よど)み始め、ついには「イエスを告白しない霊」(1ヨハネ4:3a)の力による「癒しと奇跡のミニストリー」に深入りするという危険に陥ってしまうのではないかと思います。


冒頭でもお話しましたように、聖霊以外の「霊」によっても、めざましい「奇跡と癒しのミニストリー」は行われ得るからです。


先日も、イエスさまを信じた元ムスリムの女性が、(回心前に体験した)幽体離脱や、その他さまざまな霊的体験などについて語り、「これらも神様の働きだと私は信じています」と主張しておられたので、私は、1ヨハネ4章を開いて、彼女に読んでさしあげました。



1ヨハネ4章1-3節


愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。


人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。


イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。




ある方が、次のような思慮深いメッセージをしておられましたので、それを引用したいと思います。ある国のペンテコステ派の教会に通っておられる信徒の方です。


人がキリストに出会い、神に従う者とされる。これ以上の奇跡はありません。

そうした意味で「イエス様を信じればこんな奇跡に恵まれる」というような奇跡の喧伝には、私は賛成しかねます。

神様との関係そのものよりも、神様が何をくれるかばかりに私たちが焦点を当てる時に、繁栄の神学への傾倒が始まるのではないかと思います。





「すべてのものを識別し、、」(1テサロニケ5:21a)

παντα δε δοκιμαζετε


δοκιμαζω(dokimazo)

=確かめる、見分ける(新改訳)、吟味する(新共同訳、岩波訳)、検討する、ためす(文語訳)、判別する、識別する(口語訳)、真偽を見別ける(塚本訳)、

prove, test, examine, distinguish by testing, approve after testing





祈り

天のお父様、イエス・キリストの御名によって奇跡を行ない、悪霊を追い出し、癒しを行なう教師やネットを通したミニストリーが、教会内外に溢れています。

それらの教師が本当に、十字架を背負いイエス・キリストの足跡に従う、へりくだりの人であるのかどうかを見分ける識別力を私たち一人一人にお与えください。

また、私たちを十字架の道に導かないあらゆる偽りの霊およびそれらの霊の虜になっている教師たちと、私たちがはっきり袂を分かつことができるよう助けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。



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