死ぬ時がきたら、もはや死ぬ事より他にやり残したことはないと言い切れるようにしておきたい。


~ジム・エリオットの日誌より抜粋




祈り

主よ、心は死にますが、私は自分に課された使命を果たしてからこの地上を去りたい。最後までこの戦いを戦い抜く勇気と力をこの者に与えたまえ。



Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chap 14より一部抜粋



目次

はじめに

.リベラル諸教団

.文化的センシティブ対等主義者(Culturally Sensitive Egalitarians)

.体験指向の対等主義者(Experience-Oriented Egalitarians)

.指導者に影響された対等主義者(Leader-influenced Egalitarians)

.どちらの立場を採るべきか決めかねている、あるいは決断を差し控えているグループ





はじめに


14章2項 対等主義のグループ



対等主義の諸グループは、次のような考えを支持しています。


――つまり、①男女はその価値において同等の存在である。②しかし、家庭および教会におけるすべての役割は、賜物、能力、趣向によって決定されるのであって、性別によって決定されるのではない。


本項において私は、あるグループ(組織)の優勢な強調点が対等主義的見解にある場合、そのグループを「対等主義」のカテゴリーに入れています。


(しかしあるグループではその中に相補主義的見解を持った人々も混じっています。その一方、対等主義的な立場だけが是認されている団体もあります。)




1.リベラル諸教団



ある教団が「リベラル」だと言う時、私が意味しているのは、リベラル主義が支配的な神学的見解である、ということです。


したがってもちろん、その中には、ほとんどと言っていいほど、より保守的な信者の方々も混じっておられる場合が多く、そういった方々は自教団のリベラル化を嘆き、そこに留まりつつ、内部改革を目指しておられます。


本書の11章と13章で説明した通り、対等主義というのは、神学的にリベラルな教団すべてにおいて、支配的な見解であり、その教団がさらにリベラル化傾向を深めるに従い、対等主義もまたその内部で勢力を増していきます。註1


註1) Evangelical Feminism and Biblical Truth, chapter 11, section 11.2, pp. 469-72, chapter 13, pp.500-505において、リベラリズムと対等主義の相関性についての考察がなされています。




しかしながらことわっておきたいのは、すべての対等主義者がリベラル者ではないということです。


いくつかの教団では、その他の理由から、女性を牧会職に就かせています。(それについては後の項で取り扱います。)


それにもかかわらず、ここに不動の事実があります。それは何かと申しますと、神学的リベラリズムは必ず女性の牧会者承認の方向に向かうという事実です。


すべての対等主義者がリベラル者である訳ではありませんが、リベラル者は皆一様に、対等主義者です。


今日、米国内において神学的にリベラルな教団ないし神学校の中で、女性教職就任に反対の声を挙げている機関は皆無です。







対等主義の教会 検証シリーズ②:文化的センシティブ対等主義者(Culturally Sensitive Egalitarians)

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