Wayne Grudem, Evangelical Feminism and Biblical Truth, chap14.4より一部抜粋



1)男性優越主義というのは実際、歴史をとおして主要な問題であった



これまでの歴史を振り返ってみますと、ほとんどの文化圏において、男女に関する聖書的スタンダードからのもっとも深刻な逸脱は、フェミニズムではなく、むしろ過酷で抑圧的な男性優越主義に因るものでした。


これは米国内の家庭に限らず、世界のさまざまな文化圏において今日も存在している問題です。


非キリスト諸教――たとえばイスラム教――などでは、悲劇的な形で女性を抑圧している場合が実際多く、神のかたちに等しく造られた存在として女性たちを取り扱っていません。


聖書は冒頭からそれを是正し(創1:27)、男女は共に神のかたちに創造されたと記してあります。


その後も聖書は一貫して、神の目に女性が等しい尊厳と価値を持ち、私たちはお互いをそのような存在として取り扱うべきであるということを言っています。


しかしながら、この真理がいつも認識されてきたかといいますと、残念ながら――教会の中においてでさえも――常にそうであったとは言えません。


現在のこの論争における神のご目的の一つは、これまでエヴァンジェリカル界の諸教会や家庭の中に存在してきたいくつかの間違った伝統や男性優越主義に関する誤った考えを是正するためのものではないかと私は考えています。


こういった事柄に関し、私たちは、教会が主により従順になっていくことを絶えず期待しつつ生きていくべきだと思います。


(中略)キリスト教会は、これまで、このように論争を通して、学び、成長し、そして清められてきました。


そしてキリスト教理史をみましても、ある論争が一定期間続いた後、聖書信仰の教師や指導者たちのmain body(主体)は、常に正しい決断、そしてより深い理解へと導かれていきます。


なぜなら、イエス・キリストこそ教会の「主(lord)」であり、主は教会を守り、清め続けてくださるからです。


その一方、残された少数派はなおも間違った諸意見に執着し続け、やがては周縁化し、消えていくか、もしくはたとい存在し続けても、それ以後は、キリスト教会に、もはやこれといった影響を及ぼす存在ではなくなっていきます。


ですから、現行のこの論争もまた――過去の諸論争と同じく――、教会が正しい決断をくだす段階に達し、間違った諸見解が是正される状態に達するまで、続くだろうと思います。


男性優越主義の誤りについて申し上げましたが、しかしそうであるからといって、エヴァンジェリカル諸教会(および家庭)が常にそういう誤りの内にあったかというと、そうではありません。


例えば、ヨハネ・クリュソストモス(374-407)の説教集をひもとくと、その中には、彼が夫たちに妻を愛するよう勧告し、互いに対し尊厳と敬意をもって接するよう促す多くの美しい文章が盛り込まれています。


そしてそういった説教は教会史を通し、主だった著述家たちの文章に見いだされます。


また今日、多くの教団・教派では男性にも、そして女性にもそれぞれにふさわしい奉仕の働きが与えられるよう奨励がなされています。


ですから、相補主義クリスチャンである私たちは、絶えず、次のように自問し続ける必要があると思います。


つまり、「聖書の定めた枠の範囲内で、私たちは女性の方々がより一層、尊い働きができるよう励まし、それらを積極的に肯定していくにはどうしたらよいのだろうか」と。


そして神の国の働きの中にあって、男女が真に等しい価値をもっているということを本当に純粋に自分は信じているのだろうか、と。




スポンサーサイト

今日のジェンダー論争に関しての個人的所感:2)対等主義は、聖書釈義の分野において停滞している

対等主義の教会 検証シリーズ⑤:どちらの立場を採るべきか決めかねている、あるいは決断を差し控えているグループ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。