2.対等主義は、聖書釈義の分野において停滞している。



この論争が進んでいくにつれ、語の意味、文法的構造、より大局的な聖書的そして歴史的背景など、さらに多くの情報や事実が明るみになってきています。


そして、学的な分野におけるこういった進展は、相補主義の立場を強め、裏付けるのに貢献している一方、再三にわたり、対等主義の立場は揺さぶりをかけられてきました。


例えば、アンドレアス・コステンバーガー(Andreas Kostenberger)とH・スコット・バルドウィン(H. Scott Baldwin)の研究により、1テモテ2:12のauthenteoの意味に対する私たちの理解に重要な進展がみられました。


そしてこの研究により、――この語には否定的な意味が付与されている、という対等主義側の主張ではなく――「権威がある」「権威を行使する」という意味があるということが明示されたのです。



参照記事:

アンドレアス・J・コステンバーガー師へのインタビュー記事(1テモテ2:12に関して)【福音主義教会とフェミニズム問題】

コステンバーガー師へのインタビュー続編(1テモテ2:12)【福音主義教会とフェミニズム問題】






またリチャード・ホ―ヴ(Richard Hove)の重要な研究により、ガラテヤ3:28(「、、男子も女子もありません、、、なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」)の箇所が、異なる役割をもつ異なる人々の間の一致(unity of different persons with different roles)を説くものであって、対等主義者の主張する「男女の役割における同一性sameness of men's and women's roles」を説いたものではないということが示されました。

Evangelical Feminism and Biblical Truth, p.184-85参)




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また、「当時のエペソでは女性たちには十分な教育が施されていなかったため、パウロは女性たちが教会で教えることを禁じた」という対等主義の人々の主張とは対照的に、スティーブン・バウ(Steven Baugh)等は、新約が書かれた当時のエペソにも教養のある女性たちが存在していたことを示しました。(同著p.289-91参)


またM・H・ブーラー(M.H.Burer)およびダニエル・B・ウォーレス(Daniel B. Wallace)の研究を通し、ローマ16:7のギリシャ語episemosは、ユニアス(ユニア)は、「使徒たちの間によく知られている(well known among the apostles)」というよりは「使徒たちによく知られている(well known to the apostles)」という意味であるということを提示しています。(同著p.224-25参)


またこれは私自身の研究によるものですが、「権威のある人("person in authority")」を意味する50以上の例を検証し、ケファレーkephale 「かしら」)の意味に関する考察をいたしました。


対等主義の一部は、家庭内において夫が妻のかしらであるという聖句によって示されている男性リーダーシップを否定しなければならない必然性から、「AはBのかしらであっても、AはBの上に権威を持ってはいない」という主張をしています。


しかしながら、聖句中にあるどのテクストをとっても、そのような事が明確に意味されている聖句は未だ一つ足りとも見つかっていません。(同著p.202-11)



参照記事:

かしら(head,κεφαλή)の意味は「長 "authority"」ではなく、「源 "source"」だった?―フェミニスト神学への応答

かしら(head,κεφαλή)の意味は「長 "authority"」ではなく、「源 "source"」だった?―この問題がなぜ今、大切なのでしょうか〔後篇〕





こういった諸研究を概観した際に見て取れるのは、相補主義は詳細な聖書研究により、ますます堅く立っていきているのに対し、対等主義の議論は、不安定になってきているということです。


でもここで疑問が生じます。それならば、どうして現在、対等主義の立場が前進しているのでしょうか?



今日のジェンダー論争に関しての個人的所感(by Wayne Grudem):3)なぜ対等主義が前進しているのか?【前篇】

今日のジェンダー論争に関しての個人的所感(by Wayne Grudem):1)男性優越主義というのは実際、歴史をとおして主要な問題であった。