3)なぜ対等主義が前進しているのか?【前篇】




聖書研究の分野で大幅に後退しつつある対等主義ですが、それにもかかわらず、エヴァンジェリカル界の最前線においてそれは前進を続けています。


なぜでしょうか。この20年余りに渡り、私はこの論争に参入し、一連の動きを注意深く見てきましたが、その結果、私は「対等主義前進」の要因として、以下のような点に気づきました。




A 聖書の不正確な解釈


本書で取り扱っている対等主義者たちのさまざまな主張の大半がこのカテゴリーに入ります。(中略)





B そこに存在しないものを無理に聖書の中に読み込もうとする。




対等主義者の中には、聖書が実際には言っていないことをベースに議論を繰り広げている人々がいます。


例えば、「デボラがイスラエルを率いた」という主張(Evangelical Feminism and Biblical Truthの4章1項を参照)、「ミリアムはイスラエルの民の上に立つ指導者であった」という主張(同著4章5項)、「アブラハムはサラに服従した」という主張(4章8節)。


また「箴言31章は、家庭内における男性リーダーシップを覆す内容の章である」(4章10項)、「新約の教会では使徒たちに対し特別な権威は何も付与されていなかった」という主張(5章8項)、


「ペテロがタビタを生き返らせたのは、彼女が指導者の役割を担う人物だった」(5章12項)、「1テモテ5章の未亡人たちは、教会の長老だった」(7章13項)、


「家を所有していた女性たちは、家庭集会において教会を「監督」していた」(7章14項)、「新約の教会の長老たちは諸教会の上に権威を持っていなかった」(7章16項)、「パウロは女性たちに『みことばを説教しなさい』と言っている」という主張(7章18項)等。。





C 聖書の語の意味に関する誤った言及



また対等主義の人々の中には、「すべての英語訳聖書は間違っている」「ほとんど(あるいは全ての)ギリシャ語辞典は間違っている」と主張し、それゆえに「(この論争の中でキーワードとなっている)いくつかの言葉に新しい意味が付与されなければならない」と言っている人々もいます。


例を挙げますと、創世記2:18bの「わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」の聖句をもって、「これはエバがアダムよりも優越(superior)していたということを意味している」という主張(3章9項)。


それから、「『かしら(head)』の意味は、――「長(かしら)」とされている人に付与されている権威を否定する意味での――『源(source)』である」という主張(6章6項)。


さらに、「ローマ16:2のフィベは、多くの人々の『指導者』であり、『統治者』であった」(7章1項)、


「エペソ5:21で言っている意味は、夫と妻が、『相互に恭順し合いなさい "mutually submit"』ということである」という主張などです(6章4項)。



訳者註:


"mutually submit" (相互恭順)という言葉を聞いて、勘の良い方は、『神の小屋』の著者ウィリアム・ヤング氏の三位一体論の中における、"mutual submission"(相互恭順)という誤った教えのことをはっと思い出されたのではないかと思います。


ここのパラレル関係には重大な意味と「意図」があります。この点に関してさらにお調べになりたい方は次の記事をご参照ください。


「相補主義」と「対等主義」について(その3)――三位一体論をめぐる両者の衝突 【ジェンダー問題】


恭順というのは、権威や従順ではなく、「愛と尊敬」、これに尽きる?―『神の小屋』の著者ウィリアム・P・ヤング氏の提唱する新しい三位一体論についての検証記事




その他の例を挙げますと、「1テモテ2:12の『権威をもつ(have authority)』の意味するところは、『権威を濫用する』ないしは『殺す』、『暴力をふるう』『自分自身を人の創始者であると宣言する』である」という主張(8章8項、9項、10項)。


「1テモテ2:12で、パウロは、『男性に対し、支配権を得る目的で教えるという行為』を女性たちに禁じていると言っている」(8章11項)といった主張などが挙げられます。




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今日のジェンダー論争に関しての個人的所感(by Wayne Grudem):3)なぜ対等主義が前進しているのか?【中篇】

今日のジェンダー論争に関しての個人的所感:2)対等主義は、聖書釈義の分野において停滞している

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