IMG_0326 (2)



そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで("Tarry ye here")、目をさましていなさい。」


それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、、


マルコ14:34、35


-----


"Tarry ye here!"
「ここを離れないで。」



おお、悲しみの人が呼んでいる。


暗きこの時、わたしの傍に立つのは誰かと。





おお いざ来たりて われと共に嘆け。
そして 十字架の傍にとどまらんことを。


おお 来て、共に嘆こう。
われわれの救い主イエスが十字架に付けられた。





嘆き告白というのは、今日西洋のクリスチャンの間ではもはや忘れ去られたものとなっています。


そしてそれに代わり、私たちを取り囲む世俗世界の態度を反映するかのごとく、プラグマティックな見解に則ったクリスチャンの行ないが私たちを圧倒しています。


「神に知られている者でありたい」という願い以上に、単なる知識追及がもてはやされているため、〔心砕かれ、罪を嘆く〕告白の姿勢というのは、私たちの間にみられません。




0d39df8b3ae6bbcf87c432cb05ea950c.jpg



キリスト教聖画をみますと、両腕を天にかかげ必死に助けを求める姿、嘆願しつつ跪く礼拝者、地のちりの中につっぷし、主の前にくずおれている姿など――


公に、全身全霊でわが身の悲しみ・嘆きを主の前に注ぎ出す姿が見いだされます。



Bruce K. Waltke, The Psalms as Christian Lament, A Historical Commentary






祈り


神の御子、主イエス・キリスト。このような罪びとを憐れみたまえ。


Κυριε Ιησου Χριστε, Υιε του Θεου, ελεησον με την αμαρτωλον!







自分の知り、歌い、詠唱する

あらゆる種類の祈りの中にあって、


一つの祈りが、

たぐいなき力をもって私の内に息づいている。



そう、すばらしいこの一言の祈り。

主よ、憐れみたまえ!




単一にして、切なる嘆願が込められたこの祈り。


私は慈愛に満ちた神に祈る。



ああ、汝の偉大なる御力によって、

この罪びとを救いたまえと。


主よ、憐れみたまえ!




apPeter20161124.jpg




私は、暴風で荒れ狂う人生の航路を

一人進んでいる。




人生で遭遇する喜び、

そして胸を裂かれるような悲しみの数々。




このような嵐から誰が私を救ってくれようか?



私は一言のこの祈りを祈る。


主よ、憐れみたまえ!」と。





深い絶望の谷の内で慟哭する時、


数々の欲情が私を圧倒する時、




私は心を振り絞り、

力の限り祈り、叫び求める。


主よ、憐れみたまえ!」と。





そしてこの地上での旅路を終える時、


わが魂は、なおもこの祈りを祈ろう。




墓を越え、

永遠の希望をみつめつつ、


主よ、憐れみたまえ!」と。




-Lord Have Mercy,
translated from Russian by Natalia Sheniloff (source)





イエス、わが最愛の救い主。



我を、汝の聖き足跡――

苦悶のうちに汝が泣かれたその道――に

つき従う者とさせたまえ。



おお主よ、


わが人生すべてを汝に捧げさせたまえ。



わがために、かくまで苦しみを忍ばれた汝に

わがすべてを捧げさせたまえ!










スポンサーサイト

オンボロ戦車―ある日のスケッチ

牧会をしていらっしゃる私の友であり、姉であり、かけがえのない仲間である姉妹のみなさんへ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。