第四章  モニはもう歌えない

 

 モニは次の朝、 前の晩と同じように、何もいわず、うつむいて温泉館までの道をやってきました。

 だまったまま、少年は館の主人のヤギたちを外にひきだし、その先へと登っていきます。

 でも声をあげて歌いません。

 どこまでも高くひびきわたらせていたヨーデルもありません。

 少年はうつむき、何かにおびえたような顔でした。

 落ち着きなく目をきょろきょろし、誰かが後ろから追いかけてきて、何か言いはしないかとおどおどしていました。

 もう楽しい気分は、ひとかけらもありません。

 どうして、そんなことになったのかは、最初はわかりません。

 少年はちいちゃんを救い出したのだし、また歌って楽しい気分になりたいのです。

 ところが、その歌が歌えません。

 今日の空は雲がいっぱいでした。

 太陽がでれば、また別な気分になって、さっぱりと楽しい気分になれるだろうに。

 と、モニは思います。

 山の上に着いたときにザーザーと強い雨が降りはじめました。

 モニは、激しくふりそそぐ雨に、すぐさま「やどり岩」の下に駆けこみます。

 ヤギたちも近寄ってきて、岩の下のあちこちに立っています。

 自分が特別だと思っているクロヤギは、自分のピカピカできれいな毛皮がぬれないように、モニよりもさきに岩の下に入っていきました。

 ヤギはモニの真後ろにすわり、良い場所から、のんびりと土砂降りの雨が、やむのをながめています。

 ちいちゃんはそびえたつ岩の下で、自分を守ってくれる人の前にきて、小さな頭をひざにこすりつけて甘えます。

 そして少年を見上げます。

 なぜだかモニはじっとしたままで、ちいちゃんにいつものようにしてくれないのです。

 モニの家の茶色ヤギも、少年のあしをつついて、メエとなきます。

 朝のあいだ、ヤギたちには、まだひとことも言わずにだまりこくっていたんです。

 モニは、ひどい天気にときにいつも使っている杖にささえにして、そのまま深い物おもいに沈みます。

 こんな雨の日にはクツをはいています。

 クツははだしよりすべりやすいから、急な坂道でころげおちたりしないようにする杖でした。

 そのままモニは、「やどり岩」の下で数時間すごしました。

 じっくり考える、よい機会でした。

 そのときモニが考えていたのは、イェクリに約束したことです。

 イェクリは、大切なものを盗んだのです。

 そして自分も、同じようなことをしたのです。

 そうとしか考えられません。

 だから、イェクリはその代わりに、モニになにかあげるか、なにかしなければならなかったのです。

 モニはやっぱり、まちがったことをしました。

 そしてモニを守ってくれていた天のお方は、今のモニが気に入らないでしょう。

 そんなようにモニは心の中で感じていました。

 モニにとって良かったのは、雲が多くて雨がふっていて、自分が岩の下に隠れていることです。

 だって少年は、いつものようにまっ青な空の下で、空を見上げる気持ちがないんです。

 少年はいままで、自分が頼みきっていた天のお方が怖くなっていました。

 それにモニには、まだまだ考えることがあります。

 次にちいちゃんがもう一度がけから落ちて、つれもどそうとするときに、どうしょう?

 頼りにしていたあの方は、そんなときでも、ボクをもう守ってくれないだろうな。 お願いすることも、助けを呼ぶこともできないんだ。 落ち着いてなんかいられやしない。

 きっとボクは崖からすべって、ちいちゃんといっしょに下に落ちていくんだ。 そしてふたりともメチャクチャになり、深い谷底でダメになって見捨てられるんだ。

 ああ、なんてことだろ。

 少年はひどくおどおどして、そんなことにならないように、心の中でつぶやきました。

 自分の情けない心をなんとかしなければなりません。

 少年はふたたび祈ります。

 自分の心の中にあるすべてのものを、天のあのお方の前にさらけだして、なにもかも見せられるようにしなければいけません。

 そうすれば、もう一度、楽しくさっぱりとした気分になれる。

 そうモニはおもいました。

 少年は、自分をおしつぶしている重たいものを、投げすてる決心をします。

 行くんだ。

 そして全部を館のご主人に話そう。

 でもそれから・・どうなる?

 そうしたらイェクリはお父さんを説きふせないだろうし、そうしたらご主人はちいちゃんを処分してしまう。

 だめだ。とてもだめだ。 そんなこと、つらすぎる。

 思わず口にします。

「だめなんだ。 ボクにはできないんだ。 なにひとつ言えっこない!」

 でも、その瞬間、気分は落ち込み、心のおもりはますます重たくなるのです。

 そうしてモニは一日をすごしました。

 少年は夕方になっても、朝と同じように、元気なく戻ってきました。

 館のそばにはパウラが立っていました。

 そしてヤギの小屋のところから大急ぎでとびつくようにやってきて、心配そうにたずねました。

「モニ。あなたどこか体が悪いの?

 どうして、いままでみたいに歌ってくれないのよ!?」

 少年は背をむけて言います。

「できないよ・・」

 彼は逃げ出すようにして、いそいでそこからヤギたちをつれていきました。

 パウラは、上の部屋にいたおばさんに言います。

「わたし、なにも知らないんだけど。あのヤギかいの子になにがあったのかな。

 みんなが知っていた、あの子らしいところが、ぜんぜんなくなって、すっごく変なの。

 もう歌わないのかな !」

「ひどい天気のせいでしょう。 それで男の子のきげんが悪いんでしょう。」

 おばさんはそう思っていいます。

「どうしてイヤなことが、みんないっぺんにおきちゃうんだろう。

 私たちやっぱりもう、帰りましょうよ」

 パウラはおばさんに頼みます。

「ここではいいことが、ないんですもの。 最初に、私の大切な十字架がなくなって、もう見つかることがなくなったでしょ。 それにいつまでも雨が続くし、 とうとう、やぎかいの元気な歌まで聞けないなんて・・。

 帰りましょうよ!」

「温泉でのお休みは体のためですよ、最後までいなければいけません。 ですから、まったく賛成できませんね」 おばさんは注意しました。

 次の朝も、暗く、退屈でした。 土砂降りの雨が、絶え間なく降り注ぎます。

 モニはそれまでの日と同じようにしています。 少年は岩の下に座っています。

 考えることは、ぐるぐるとまわっていつも同じです。

 少年がこんなふうに決心するとします。

「そう、ボクはやらなきゃいけない。 正しくないことをうちあけるんだ。

 そうすればボクはまた、空を見上げても恥ずかしくなくなるんだ・・。」

 すると、ふいにちいちゃんがナイフの下にいる姿が、頭にうかびます。 すると、みんな、またはじめから考えなおしです。

 モニはくよくよ思いつづけ、なやみます。

 ずっしりと心が重たくてしかたありません。 だから夕方には、すっかり疲れてきってしまいます。

 それから、どしゃぶりの雨に打たれて帰ります。

 でも雨がふってることさえ、気がつかないほどでした。

 

 下の温泉館のところで、ご主人は戸口のところに立っていました。

 そして、モニをしかりつけます。

「やっとヤギたちをつれてきたか。 みんなずぶぬれになってるぞ !。

 おまえはなんで、カタツムリみたいにノロノロ山を降りてきたんだ !

 本当に、おまえどうしたんだ。 こんなこと変なことしやがって」

 

 館の主人がこんなに不機嫌そうだったことはありません。 それどころか、いつもこの人は陽気なやぎかいの少年に、暖かい言葉をかけてくれていたのです。

 でも、モニの変わり方は主人の気にさわりました。 そのうえ、もっと嫌な頭にくることがありました。

 パウラお嬢さんがご主人に、大切なものがなくなったと相談していました。

 それはとても値打ちのある十字架で、ホテルの中か、その玄関のドアの、すぐ前あたりでなくなったに違いない。

 とパウラはいうのです。

 彼女は毎日、夕方に帰ってくるヤギかいの歌を聞くときしか外に出ないからでした。

 その人にとって、こんなふうに、自分の温泉館のなかで高価な宝石がなくなって、そのまま出てこないなんて、ものすごく嫌なことです。

 主人は前の日に、ホテルで働いている人をみんな集めて、きびしく質問し、おどかしました。

 そして見つけた人には、ほうびを出すと約束していたのです。

 温泉館全体が、なくなった宝石のために、かきまわされていたのです。

 

 モニがヤギたちをつれて館の前を通り過ぎようとしたとき、パウラがそこに立っていました。

 モニをまっていたんです。

 モニがやっぱり、歌をうたうことができなくて、ニコリともしないのが、とてもふしぎでした。

 少年が体を小さくするようにしてこっそり歩いているとき、彼女はさけびます。

「モニ、モニったら!

 あなたったら本当に、朝から晩まで歌いまくってた、あのヤギかいさんなの?

 

♪空はなんて 深い青

  うれしいボクは 天にものぼる

 って、歌ってたんでしょ !?」

  

 モニには、それがはっきり聞こえました。 なにも答えはしません。

 でも、彼女の声は、少年に強いショックをあたえたのです。

 まったく。 どうしてこんなに変わってしまったんでしょう。

 あの男の子は一日中楽しそうに歌うことができて、歌っていた歌詞と、まったく同じ気持ちだったというのに。 (ここで作者のスピリが顔を出している !?)

 そうなんです。 また歌えるようになれたなら、どんなにいいでしょうか !

 

 次の日も、モニは山に登っていきました。 何もいわず、ふさぎこんで、歌もうたわずに。

 雨はやんでいました。

 でも、山ではまわりに重苦しく霧がかかっていました。 空はまだ雲でいっぱいです。

 モニは、また岩の下に座って、自分のいろいろな考え方をぶつけあってみました。

 お昼ごろ、空は晴れ上がってきました。

 あたりは、どんどんと輝くように、明るくなっていきます。

 モニは、洞窟からぬけ出したような気がして、まわりに目をむけます。

 やぎたちは、前のように楽しげにあちらこちらでとびまわります。

 ちいちゃんももどってきたお日様の光の下で、すっかりうれしくなってはしゃいでいて、思いっきりジャンプしています。

 モニは外の「つくえ岩」の上に立ちます。

 そして、渓谷をみおろし、山々の上のはるか向こうが、いつもよりももっと美しく、もっと明るくなっていくのをみあげます。

 たった今、たくさんあった雲がはらわれて光がさしこんだのです。

 明るい青い空は、なんて気持ちよく、なんて優しげに下の世界をみつめてくれるのか。

 その景色にモニは、あのお方が透きとおるような青空のかなたから、下にいる自分を見守ってくれているのを感じました。

 この瞬間、少年の心がはっきりと定まりました。

 やらなきゃいけないことがあるんです。

 もう、悪いとわかっていることを、心の中に閉じこめておけません。

 正しくならなきゃ、いけないのです。

 モニは自分のそばで遊んでいる子やぎをひきよせます。

 腕の中に抱きしめ、せいいっぱいのいとおしさをこめて言います。

「ああ、ちいちゃん。 なんてかわいそうなちいちゃん

 ボクはできることをしたんだ。 なにが、ほかにできたろう。

 でも、それはいけないことだった。 人間がやっちゃいけないことなんだ。

 ああ。 おまえが死ななきゃいけないなんて。 ボクはきっとガマンできないよ !」

 そしてモニは、ボロボロと涙を流して、泣きはじめます。 もう、なにも話し続けることができません。

 子やぎはメェと悲しそうに鳴きます。

 そして、少年の腕の中ふかくに、体をすっかり隠して安心しようと、もぐりこんできます。

 モニはそんな子ヤギを両肩にかつぎあげました。

「おいで、ちいちゃん。

 今日、ボクはおまえを、前みたいにこうやって、家まで抱きかかえていってあげる。

 たぶん、もうすぐ、こんなこともできなくなるんだ。」

 モニとヤギの群れが、温泉ホテルのそばまでもどると、パウラが帰ってくるのを見張ってまっていました。

 モニは子ヤギと母親のクロヤギを小屋の中に入れます。

 そして、群れをもっとさきに連れて行こうとしないで、近寄ってきます。 そして、少女のそばを通り過ぎて、建物の中に入ろうとします。

 少女はモニの前をさえぎりました。

「まだ歌わないの ?。モニ。

 あなた、ずっとそんなに悲しそうにして、どこへいくつもりなのよ ?」

「ボクは、話さなきゃいけないことがあるんだ」

 モニはうつむいたままで答えます。

「話すこと ? どんなこと ? 私に教えてくれない ?」

「ボクはここのご主人に、あるものを見かけたってことを言わなきゃいけないんです」

「見かけた? なんなのそれ? わたしの方でも、失くしたものがあるの。きれいな十字架。」

「そうなんだ。それに間違いないです。」

「あなた何をいっているの !」

 パウラは、びっくりして思わず叫んでしまいました。

「それって、きらきらした宝石がついてる十字架 ?」

「ええ。そのとおりです」

「どこで見つけたのよ? モニ。 私にかえして。 それってあなたが見つけたの ?」

「ちがう。キュブリスのイェクリなんだ」

 すぐにパウラは、それがだれで、どこに住んでいているか、知りたがりました。

 そして誰かキュブリスに降りていってもらって、十字架をもち帰らせようとします。

「ボク、あいつのところへすぐに行ってくるよ。 たぶんまだ持っている。

 ボクがもらってくる。」 モニは言います。

「まだ持っているかも・・ ですって ?!」

 パウラは怒って大声をあげます。

「その人はもう持っていないの?  どういうことなの。 それにモニ。 あなたどうして、そんなこと、みんな知ってるの ?

 いつその人は見つけて、そんなことを、あなたが、どうしてわかってるわけ?」

 モニはうつむいてしまいます。 少年はどうしてこんなことがおきたのか。

 どうして見つけたものを秘密にするのを手伝ってしまって、

 自分がそれがガマンできなくなるまでだまっていたのか、話すことができません。

 でも,パウラはモニに、とても優しかったんです。

 少女は少年をそばにひきよせ、自分は木の切り株にすわって向かいます。

 そしてニコニコしながら言います。

「ねえ、お願い話して。 いったいどうしてそうなったの?

 わたし、あなたから、きっといいお話が聞けると思ってる。」

 モニは良い人間なのだと信用されているんです。

 そして、すべてのことを話し始めました。

 ちいちゃんをどうやって救おうか悩んだこと、 明るく楽しいことが、みんな、なくなってしまったこと、 そして、自分のすべてを知っている「青い空」を見上げられなくなったこと、

 今日になってもうガマンできなくなったこと。

 そんなすべてを、モニはパウラに話して、わかってもらおうとしました。

 パウラはモニにとても気をつかって話しかけ、そしておしえてあげます。

 はじめに、ここに来ればよかっただけなのです。

 そして全部を伝えなきゃいけなかったんです。

 でも、こうやってモニがパウラに、すべてをありのまま話したのは、とても正しいことです。

 話したことで、モニを苦しめるようなことはしない。

 と、いうことです。

 そして言います。
「モニから、イェクリに10フランあげると約束してきて。」

 パウラが十字架を手にしたらすぐに、イェクリはお金をうけとれるのだと。

「10フランも ?」 モニはびっくりして、口マネをします。

 だって、イェクリがはじめにいくらで売ろうとしていたか、わかってるんですから。

 モニはすぐに立ち上がりました。

 今日のうちにキュブリスにおりていって、できることなら十字架を手に入れて、明日の朝早くに持ってこようとしたのです。

 すぐにそこから走り出します。 すっかり前みたいに、身軽にとびはねていきます。

 同じように心の中もすごく軽くなって、自分を地面にぺちゃんこに押しつぶしていた重たいものはもうありません。

 少年は家で自分のヤギを小屋に入れて、おばあさんに言います。

 まだやらなきゃいけないことがあるんだ !。

 そして、キュブリスにむかってかけおりていきました。

 イェクリが家にいるのをみつけ、モニが何をしたのか、すぐに話しました。

 イェクリは最初はとても怒りました。

 でも、みんなバレてしまったとわかったので、考え直します。

 十字架を取り出しながら、たずねます。

「こうしたら、その女の子は僕にもなにかくれるかな?」

「そうだとも。わかるだろ、イェクリ」 モニはいらだって言います。

「正しいことをやってりゃ、すぐに10フランもらえたんだ。

 悪いことしたって、たったの4フランじゃないか。 今おまえは10フランもらえるんだ」

 イェクリはとてもびっくりしていました。

 そして今になって、なぜ温泉館の入り口で十字架をひろったあと、すぐにとどけなかったのか、くやしくなりました。

 やっばりいい気持ちがしなかったんです。 こんな気分を味あわなくてもよかったのです。

 でも、遅すぎました。

 イェクリは十字架をモニに手渡し、 モニは急いで家へ帰って行きます。

 もうすっかり夜になっていました。

(最終章につづきます。)

『ヤギかいのモニ』(ヨハンナ・スピリ作)第5章

『ヤギかいのモニ』(ヨハンナ・スピリ作)第3章