ζωτική(ゾティケー; lively, cheerful, いのちに溢れた、生き生きした、快活な)



<ζωή(ゾエー; 命)

ー霊的・天的いのち。復活であるキリストを通して生命の源泉である神から受けて維持される命。






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さんさんとした陽の光をうけ、

牧場をいっぱい走りたい。





子牛のように はね回り

のびのびと 無心に

かけ回りたい。






ばかみたいに突進して

ぶつかって 転んで 泣いても

また 走ろう。







輝く日光と 一面にひろがる緑の大地。



どこまでも どこまでも 

続いている。








私は 走りたい。



笑いながら 泣きながら 

どこまでも 走りたい。







夢をみ 虹を追いかけながら 


花の絨毯の上を

どこまでも 走っていきたい。





――このいのちの続くまで。


このいのちの続くまで。
 









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静かに。
おお 全地よ、静かに。



月の明りがともり、

わずかな星々が
淡く、
おぼろげに光を放っている。



そして、紅のゆり、白色のゆりが
神々しい聖人のように
おのおの たたずんでいる。




ほら、影のようにおぼろで、
夢見ごこちの あの木々を見てごらん。

澄んだ空気の深みにどっぷり浸かっている。




さあ、そよ風のささやき声に耳を傾けてごらんなさい。

祈りをささげる人のように、
こんなに優しくささやいている。





静かに、
おお、全地よ、静かに。


ここは聖なる地だから。


月の光によって洗われ、
雪のように混じり気のない地。



かつて、園の中で、
月光の王冠を戴きし主にまみえる。



おお 月光よ、ふたたび
この方を 王冠で飾りなさい。



そして、ゆりよ、
お前たちの聖鐘を今、響かせなさい。




おお 愛の王、そして痛みの王よ、


汝はここにおられます。

インマヌエル。






Amy Carmichael, Hush
私訳







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ちいさい羊。
愛しい羊。



まるくなって
うずくまっている。




沈む夕日と、
家々の灯り。


語らいと
団欒と笑い声。




ぼくは ここにいよう。
ここでじっとしていよう。



――――


愛しい羊よ、
目を上げてごらん。



ほら、ここに
優しいまなざしがある。



愛らしいおまえを
みつめる 

ひとつのまなざしが。




家なき子、わが子よ、

この世のどこにも 住み処をもたない 
わが宿なし子よ。




目を上げて わたしを見てごらん。

わたしの心を見てごらん。




ほら、ここに 家があるから。

――おまえの永遠の家が。







黙示録22:1、2a


御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。

それは神と小羊との御座から出て、

都の大通りの中央を流れていた。





神の喜びをたたえた栄光の川。


とこしえなる神の 至福の泉。





荒涼としたわびしい荒野を

歩きつづけてきた私たち。


――もはや永遠に渇くことはない。




おお この光景を

どんな言葉で言い表すことができるのだろう。




川の岸べに、


弱っている者、

疲れ果て

力を失ってしまった者たちが、


続々とやって来、

喜びの流れから 水を飲んでいる。





「愛する者たちよ、心ゆくまで飲みなさい。」


甘美にしてしずかな声が語りかけている。



「来て、いのちと愛と栄光に満ち満ちたこの水を

心ゆくまで飲みなさい。」





今、私たちは このお方の御顔を仰ぎ見ている。



ああ、ここにおいて

あらゆる渇望のうめきが、

永遠にしずめられる。





天において、

この方以外にだれを持つことができるだろう。



そして地上において 

汝以外にだれを求めよう?





ここに来る道程で味わってきた

あらゆる困憊、かなしみが、



輝かしい主のご臨在の中で

ついに消え去った。


――太陽の前に消える 夜のように。





否、沈鬱や暗やみだけではない。


これまでの悦びでさえも 

もはやそこにない。




輝く朝日を受けし星々のごとく、


黄金の日の中で 

それらは自ら消え去っていった。





そして、私たちの前には、唯一、そう、ただ唯一、


曇りなき光輝につつまれ、

キリストが立っておられる。




御頭には栄光の王冠、

そして御手には、釘のささった跡。




おお そこにおいて、


汝の受難の奥義、

汝の十字架を

私たちは 見ている。





そして そこより

神の喜びをたたえた川、


新鮮にして けっしてよどむことのない自由なる泉が、

湧き出ているのだ。





私たちのために 無限の価で得られし

永遠なる歓びの水。





見よ!砂漠は 神の園。

そして荒野は パラダイス。




この十字架と栄光から

目を背けることなど だれができよう?





砂漠にいる 旅びとたちは、

そこにおいて、

満たされるのだ。


――そう、永遠に。






T.P. Rivers in the Desert,
私訳




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そこで、彼らは問うた。

「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。


彼は、「いや、そうではない(I am not)」

と言った。


ヨハネ1:21a






「私はそうではない(I am not)」

おお、人の唇には受け入れがたい言葉――



「私は何者でもない(I am not)」

おお、私たちを再び神の元に導く言葉!




そして、かの麗しき隠れ家に至る

小道を知る言葉。



嵐を避ける避難所、

そして暑さから身を守る木陰。




天のことば。

――世の賢人には隠され、

子どもたちに明かされる言葉。




偉大なる教訓を含みし

「私は何者でもない」という一言。





人間の心―。

汝の母語は他にあるのだ。



そしてこれは何千という人種によって話され、

互いにみな、似通っている。





「私こそ一角の者である(I am)」


――私こそ富んでいて、賢く、敬虔な者――

そう、それこそが自分なのだ、と。




そして、「私こそ一角の者」であろうと、

人は生き、労苦している。




そう、「私こそ一角の者」であらんと、



人は死に、

挑み、四苦八苦し、


すべてを犠牲にしてでもそれを得ようと

血眼になっている。



――ああ、数々の骨折り、疲労、束縛、

罪、悲嘆、そして痛みよ。






祝されし福音書には、


富んだ一人の男が

主イエスと弟子たちを宴会に招いたことが

記されている。




「この預言者をもてなそうではないか。」

そのように富者は思った。




しかしありあまる財産に囲まれつつも、


この人には、「私は何者でもない。」という心が

欠如していた。






そこに涙で泣きはらした

一人の罪深い女がやって来た――。



「私は何者でもありません(I am not)」

彼女の心はそう言いつつ、

主をひたすら見つめていた。





傷つき、

ぼろぼろに損なわれつつも、



御使いたちにまさる座におかれ、

太陽よりも明るく輝く 彼女の心を、


主はご覧になっていた。




「私は何者でもありません」――


このお方の前にちりに伏し、


彼女の心は

敬拝の喜びに満ちた歌を歌いつつ言った。




「そうです、汝こそがとこしえまでに

全てのすべてです」と。






なぜなら主の御心は、

ご自身のさまよえる この小さな羊の心に語りかけ、



永遠の愛のうちに、こう仰せられたからだ。

「『わたしはある』という者である」と。





もはや永久に彼女は渇くことがない。

彼女に必要なすべては与えられているからだ。




主ご自身以外に、

この地上に彼女はだれをも持っていない。



天におられるこの方以外に、

だれをも持っていない。




おお天的な報酬は、

永遠の相続地は、なんと麗しいことだろう。




ああ、願わしくば私が、


キリスト、このお方のためだけに、

永遠に――

とこしえに「何者でもない」者であらんことを!






Heinrich Suso, I Am Not
私訳







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「わが神よ、あなたを愛しています。」


そのように 人はよく言う。





でも、


もしも これがいつも


わが魂の内奥で


語られているのだとしたら、






そのとき、


私の口は、


もはや ひとことも


語る必要を感じないのだろう。







Gerhard Tersteegen, Worshipping in spirit
私訳





 
神をみることにより、

この世の色彩は失われます。




御使いたちのいる はるか上空の野には、

生ける水が

おだやかに流れている。




わが思いが高く舞い上がり、

飛翔することができたらどんなにかいいでしょう。



しかしああ、

罪がわが魂の上に重くのしかかっています。




おお十字架の上で死にゆく

麗しきキリスト、


汝の流されし血潮によって、

この咎の重荷は取り除かれます。




そして、ご自身の羽ばたいておられるところに、

汝は私をも連れていくことがおできになります。



そうです、天的な鳩!

――汝のやさしき翼に乗って。




おお たった一度でいい、


駈け上り、

永久(とわ)に拡がる天空の栄光を

目にすることができたなら!




そうしたなら、

この世の一切の有様は、

なんと卑小なものに思われることでしょう。



そして、わが目に、どんなにか

卑しむべきものと映るでしょう!




わが神よ、汝を仰ぐ

その一瞥さえ与えられるなら、


地上の国々や人間の諸事象は、

またたくまに消え去ってしまうはずです。




おぼろげなろうそくの灯が

昼間に絶えてしまうがごとく、


そのようなものは、

幻のように はかなく消えてしまうでしょう。




そうするなら、


たとい彼らが怒り狂い、戦い、うなりを上げようとも、

たとい怖ろしい雷鳴が轟音をたてようとも、



それらは揺れる一枚の葉の音のごとく、


わが耳に 

もはや無音なものとなるでしょう。




すべてのすべてであられる方、

永遠なる王よ。



どうか汝のその美しい御顔を

仰ぎ見させてください。




おお 私は汝の前にひれ伏し、

力の限りを尽くし、


とこしえなる汝の壮麗さと、恵みを

歌い続けるでしょう!




Isaac Watts, HYMN 41
私訳



礼拝者の祈り


私はまずしく裸であなたのみ前に立ち、恵みを呼び求め、あわれみを請い願います。

あなたの飢えたこじきを養い、私の冷たい心をあなたの愛の火で燃やし、わたしの見えない目を、あなたのご臨在の輝きで照らしてください。

どうかすべてのこの世のものを、私にとってにがいものに変わらせ、すべての苦しく不利なことを、忍耐を強めるものとし、すべての低い造られたものを軽んじて、忘れるべきものとしてください。

私を追いやって地をさまようことなく(創4:12、14)、心をあげて、天にいますあなたに向かわせてください。

あなただけが、これから先、いつまでもわたしにとっての甘美の対象となりますように。


イエスさまの御名によって、

アーメン。


―『キリストにならいて』より





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主はよみがえられた。Χριστός Ανέστη!



キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、
死はもはやキリストを支配しないことを、
私たちは知っています。

ローマ6:9





死のかせの中に主は横たわり、

われわれの咎のために屠られた。



しかし、今日、この方は蘇られた!



そう、キリストは再び、私たちにいのちをもたらしてくださったのだ。



だから、皆、喜ぼう。

そして歓喜の声を挙げ、高らかに歌おう。


ハレルヤ!




今や、われわれの過越しの小羊は、主ご自身である。


そして主によってのみ、

われわれは生きるのだ。



木に架けられ、

われらのために、ご自身を捧げられたイエス。



信仰により、われわれは、みずからの戸に主の血潮を塗る。




そう、死はもはや

われわれを害することなど

決してできないのだ。


ハレルヤ!





主の晩餐に招かれ、

今日、喜びつつ、そこに向かおう。



平和のことばが今や回復され、

古いパン種は

取り除かれた。



そして、これからは、

キリストだけがわれわれの糧となるのだ。



さあ、信仰により、

他のなにものでもない、

主のいのちだけを持し、

生きていこうではないか。


ハレルヤ!





Martin Luther, Christ lag in Todesbanden, 1524
trans. by Catherine Winkworth, 1855
私訳





おまけです

↓日本語の聖歌では172番「はかのなかに」に該当する賛美です。
これを聴いてみなさんも元気になってください!








幻が色あせ、

さまざまな事への感覚や力が、

空気の色のように

はかなく消え去ってしまうとき、



そして、

汝にささげ物を

携えてゆく力を

もはや失ってしまったとき、



祈ることもできないとき、、、





そんな時、

パラダイスから吹きよせてくる

よそ風のように、



私の耳に、魂を癒すことばが

ふっと入ってくる。



「私が手を上げることが、

夕べのささげ物として

立ち上りますように。」



そう、主はたしかに聞いてくださる。





Amy Carmichael, No Strength to Pray
私訳






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